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Center:1993年2月ー登校拒否は教育と社会をゆるがす

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2011年7月14日 (木) 15:22時点における版

登校拒否は教育と社会をゆるがす

子どもからのメッセージを受ける多数のアンテナ
(『登校拒否関係団体全国リスト』1993年2月)

(1)
私たちは、昨年(1992年)、不登校・登校拒否の情報ネットワーク誌・季刊『こみゆんと』を創刊し、予想をはるかにこえる反響を得た。
創刊以降、多くの子どもたち、親たち、そしてさまざまな立場でこの子たちにかかわっている人たちから、いろいろな教えをいただき、また、たくさんの要望を受けてきた。

今回の、この『登校拒否関係団体全国リスト』の発行は、その要望の一つにこたえるものである。

相談先さがしの手がかりにしていただければ幸いである。

また、相談先さがしだけでなく、登校拒否に対して、どのような立場から、どのように理解し、どのように対応しているのかを、全体として知ることにも役立つだろう。

それぞれの団体・機関の間の交流の手がかりになるかもしれない。

地域で取り組みを始めるときの参考例があるかもしれない。

さらに、登校拒否をどう理解し、どう受けとめるのかを深めていく資料とすることができるかもしれない。

そのあたりは、読者の活用方 法に期待したい。

一方、情報という形で、このような関係団体・機関を紹介することにはある限界を感じる。

「有象無象 と一緒にされる」と言った人がいる。

明確に危険があると指摘した人もいる。

編集者としても同様の不安を打ち消すことができない。

だから読者の方に、特に相 談先をさがそうとしている方にあえて申し上げたい。

これは、私たちが推薦している団体・機関ではない!

私たちには、 推薦できない所を意図的に掲載するつもりはない。

けれども、推薦するにはそれぞれの団体・機関の内情に通じていなくてはならない。

私たちには実情を十分に知ることができない。

ここに掲載しているのは、私たちのお願いに応えてくださったそれぞれの団体・機関の自己紹介である。

この点をご容赦願いたい。
こういう危険性や限界があるとしても、何も材料がないよりはよい。

情報が見えない閉鎖性こそが一番問題ではないか。

それがこの情報ブックを編集・発行した意図である。

相談先や通所先、特に宿泊施設を考えるときには、慎重を期してほしい。

著名であるとか、新聞・テレビで紹介されているというのは、ほとんど意味がないと思ってほしい。

親子で実際に訪ねてみたり、様子を見たり、話を聞いてみてほしい。

相談先に一方的にお願いするなどの上下関係であったり、子育ての下請け機関として考えるような関係では、真実の目で相手先を見ることはできないのではなかろうか。

人間として対等であることが重要であり、そういう関係になるにつれて、本当の姿が見えてくるように思う。

(2)
『こみゆんと』を編集することで、私たちは登校拒否の子どもたちが、どんなことを考えているのかに触れる機会が多かった。

登校拒否にかかわって、社会や教育がどう対応し、動いているのかを見ることもできた。
ある面からみると、現在の学校・教育は、登校拒否および高校中退への対応によって大きく揺り動かされているような気がする。
例えば、管理主義的な校則とか体罰が徐々に通用しなくなっている。

学校を子どもにとって快適な居場所、子どもが主人公の場にする必要性も叫ばれている。

登校拒否の子どもを怠けや非行扱いして切り捨ててきたものが、ふと気づいてみれば、切り捨てられつつあるのは学校のほうではないのか? 

そんなことに気づいて、遅ればせながら対応しているが学校教育の現場ではないのか。

精神的には文部省や教育委員会のほうが、もっと深刻に受けとめているかもしれない。
もちろん、40人学級枠があるとか、受験体制が続くなかでは、それらの対応策はいずれも十分な成果を上げることができない。

文部省の政策自体が、この矛盾した状態を表している。

だが、何かに一辺倒という感じの文部行政が、取り繕いの形であれ、いくぶん揺らいできている。

その引き金が、学校を見捨て始めた子どもたちの、大量の出現であることに間違いはないだろう。

人間ということについても、登校拒否の子どもたちは大変な提起をしているように思う。

彼ら、彼女らの手記を読んでみるといい。その手記の内容の重さは、感動的である。

若者たちの手記で、これほど自分の体験がしっかり見つめられたものは、“群”としてはあまりないように思う。
この手記の多くからは、彼、彼女がいかに人生に対して真っ正面から立ち向かっているのかが伝わってくる。

何と哲学者の多いことか。

人間としての、繊細さ、やさしさ、深さ……が自分の苦しみとして語られている。

小器用に素通りできないのだ。
それに無為安逸な選択もない。

「偏差値が高いので医学部に合格できると思い、医師の道を選びました」というような無機質なことができない。

偏差値で自分を判断し、進路を選択するサイボーグのような人間が次々に生まれているなかで、「自分は何なのか、何ができるのか」を本気でさがし求めている一群の子どもたち―そういう彼、彼女らが登校拒否の子どもたちのなかにいる。

私たちは、このような登校拒否の子どもたちを見間違ってはいなかったのか? 

この子たちは社会についていけないのではない。

むしろ、社会のゆがみについていけなかった、いけないのではないのか?
登校拒否の子どもの状態はさまざまである。

だから、すべての登校拒否の子どもが右のようであると言うことはできない。

しかし、そういう一群の、最も人間らしい感性と知性を持っている子どもたちが、登校拒否の子どものなかにいることを、『こみゆんと』をとおして知ることができたのは、うれしいことだ。
ここに紹介した団体・機関の多くも、このような登校拒否の子どもたちのメッセージを受信できるアンテナの役割を果たしているのに違いない。

願わくば、もっともっと多くのアンテナがほしい。

日本人のもっと多くの人が、彼らの声を受けとめる感性を持つことを望みた い。
これまでも、いまも登校拒否の子どもに対応しようとして、いろいろ研究・実践をしている私たち大人は、振り返ってみれば、むしろ彼らのイニシアティブによって引っ張られていることになるのかもしれない。

これは私だけの思い込みなのかもしれない が……。
最後にもう一度伝えたい。

ここにある団体・機関の情報を、単純に受け取るのではなく、自分の感性・知性・体 験で確かめてほしい。

そして、相談をした体験者として感じたことを、私たち編集部にも伝えていただきたい。
                    (T)

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