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Center:2002年1月ーゼロからの居場所づくり(その2)

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目次

ゼロからの居場所づくり(その2)

当事者の会をどうつくってきたか

前号の「EDITORIAL」の述べたことのつづきです。居場所(当事者の会)をともかくスタートさせた、それをどう続けていくのかの話をしましょう。今回も、当事者や親が中心になってつくる居場所を主に想定します。私の体験発表と反省的な内容になります。

参加しようとする人たち

 何よりも、よびかけにこたえて参加しようとする人の気持ち、状態から考えなくてはなりません。その人の主体的条件と行き先(居場所=当事者の会)の客観的状態の両方が、クリアーされる対象です。
 行き先の客観的状態とは何でしょうか。居場所をつくる人、あるいは居場所自体の“信頼性”がひとつ。平たく言えば、ほとんど何の役にも立たないところへ出かけていって、金だけとられるのではないか、もしかしたらそのうえに傷つけられるのではないか、そのような心配をもつ人がいます。
 いかに居場所をつくろうという人が善意にあふれ、一人の体験者として自然体の試みであったとしても、乗り出していく世界は、「信頼感願望」とそれと裏腹の「不信感・不安感」に満ちているのです。そのことを頭の隅においていなくてはならないでしょう。
 実際の取り組み、積み重ねる事実によって、信頼性を高めていくしかないでしょう。この事態の重さにたじろぎ、スタート間もなく居場所づくりをあきらめると「やっぱりたいしたやる気のない人の思いつき的取り組み」とみなされるだけのことです。
 そうなると内容のよしあし、運営をどうするかという以前のところで結果が出てきます。始めたならば少なくとも、どのような事態になっても6か月は続けてほしいと思います。そのためには、気負わず、むしろ気軽に、肩の力を抜いてつづけるのがいいと思います。
 これらの点か ら考えると、精神保健福祉センター(都道府県や政令指定都市が設立)や保健所が関係していることは、少なくとも信頼性とお金がかからない点で、最初の客観 的状態の壁の一つを低くしてくれます(そのための働きかけ、準備などはたいへんですが……)。
 主体的条件とは、参加 しようとする引きこもりの人の心身の状態です。家からほとんど出られない人、毎日のように外出してはいるけれども人間関係ができない人など、個人差があり 状態は幅広いものです。実際に居場所に参加できるかどうかは、当日にならなければわからない人もいます。会場の入り口まで来たけれども入れない人もいま す。
 私は当事者の会をいろいろな形で何度も開いてきました。いまは毎週開いていて常連がいますが、それでも毎回のように初参加の人がいます。そういう初参加の人についてみると、おおよそ次のようなことがわかります。
 「参加する」「参加したい」と言ってきた人のうち、本当に参加できる人は多くて7割、少ないと2割程度です。新聞告知などがあると、参加予約なしに参加する人もいます。当然、参加するつもりではあったが「参加予約をせずにいて、参加しない(できない)人」もいるに違いありません。
 参加する、しないというのは、このようにかなり揺れた状態でそれぞれの人がある程度思い切って「参加する」と言ったり、参加してくるのです。こういう主体的条件を予測しておくことです。
 現実に、居場所(当事者の会)に参加できた人は、このような主体的条件と客観的状態を、ともかくつきぬけてきていると考えられます。引きこもりの人にとっては、居場所に参加すること自体が一つの挑戦です。ですから、参加できることは、引きこもり状態という範囲のことですが、ある程度のエネルギーのある人たちだといえます。
 しかし、参加した人だから客観的状態(居場所の姿)も基本的に満たされていると判断するのは早計です。どう判断する(される)のかは、まだ始まったばかりです。
 居場所を成立させる本当のしんどさは、このときから始まります。私はこれらの条件、状態を知らないままスタートさせたのです。あまり物ごとにこだわらない(落ち込まない)性格とねばり強さだけはあったので、この高い壁を登れたように思います。

中心はフリートーク

 1996年8月4日、初めての当事者の会を開きました。通信生、大検生の会です。集まったのは5人です。その年は年末までに7~8回の会合をよびかけました。10人、20人と問い合わせる人は増えました。そのつど今度は7~8人は参加すると考えていたのですが、4~5人どまりのことがほとんどです。1人だけ来て私と話をしたこともありました。
 翌年には、月1回のペースにしました。ときには2~3か月休みのこともありま した。“休み”といっても、その間には、不登校情報センター主催の進路相談会を開き、その手伝いに参加者に応援を頼みました。そのときの参加者は案外多 かったです。話し合いよりも、何か作業をしながらコミュニケーションをとる機会がよかったのかもしれません。
 こうして、当事者の会に10人以上が通常に集まるようになったのは、スタートしてから1年半ぐらいはたったころです。もし4~5人しか集まらない時代にあきらめていたら、そこまで到達しなかったでしょう。
 なぜ参加できたのか、参加ができなかったのか、そういうことを会話のあい間にあるふとした言葉でわかるようになりました。引きこもり状態の人の生活、日常の状態が徐々にわかるなかで、参加できる本音の理由、参加する実際的な目標がときどき見えるようになったのです。
 参加者が10人未満のころは、その日のテーマを私の方である程度準備しました。しかしそれはなるべく事務的連絡事項にし、フリートークできることをより重視しました。私の報告は公式の時間ですが、非公式のフリートークの時間こそ重要なのです。
 当初は、不登校情報センターの事務所がありませんでした。公共施設の会議室などを借りました。会の途中で喫茶店やファーストフードに話す場所をかえました。そこで隣に座った人、前に座った人と個人的に話をする、そういう運営です。それが話しやすく、本音での話ができやすいように思えました。
 そういうフリートークの時間は、私にとって場をとりしきる立場から外れることでした。私が何を話すのかにとらわ れず、参加者が自分のことを夢中で話せるようになってほしかったのです。その意味では脱線することを望む場でした。私が居ながら、私がそこに介在していな いことこそベストだったのです。
 ところが参加者が十人を超えるようになると、この望んだ方式ではうまくいかなくなり ました。どうしても進行系的な人が必要で、私がその役をしなくてはなりません。その向かう先は会議としての成立でした。これはプライベートなコミュニケー ションの場を求める方向とは外れてしまうのです。
 あるとき「体験発表会」というのを思いつきました。常連的な参加者や、やや元気そうな人に頼んで、自分の体験を話してもらうのです。だいたい1人10分ぐらいの長さで頼むのですが、5分で終わったり、20分ぐらいに長びいたりします。
 この体験発表会の第2回目の会合が、新聞で報道されたので上に紹介しておきます。東京都内版のトップ記事として扱われたのには驚きました。世の中にはもっと重大な記事にすることがあるはずなんだが……と考えながらみていました。
 体験発表者は2人から3人。その発表者を中心に、分科会方式で数人で話し合いグループをつくります。新聞記事になったのは、主に20歳以上のひきこもり体験発表の女性を中心に7~8人が1グループ。もう1つが十代後半の高校生年齢とその母親が参加したグループ。記事はこの後者のグループの内容を紹介したものです。
 この体験発表会と分科会方式は、当事者の会への参加人数が増えたときの一つの運営方法です。ときには司会者的な人があらわれてうまく取りしきることもあります。誰が司会者ということもなく数人で延々と話し合う光景も生まれました。
 私の目ざすのは、この司会者らしき人がいなくて、話があちこちにとんだりし
ながら、自分の話をしていくようなことです。このようなものを私はうまくいったと思っています。
 会議になり、あるテーマについて結論じみたものを引き出す方向にいくこともありました。この場合を、私はうまくいった例だとは思いませんでした。

参加者の多様性を受け入れる

 通信生・大検生の会の延長に、1999年秋に、引きこもり経験者を中心に人生模索の会が生まれました。ふり返ってみると、当事者の会としては、この新しいグループの誕生を知っている人以外には両者の違いは伝わりません。
 一般には自助グループとか当事者の会として伝わり、それぞれにいろんな人が加わってきました。私の方でも両方を区別してそれぞれを独自に育てていく余裕がなくなり両者が区別しにくい理由になりました。
 それでも人生模索の会では、20代後半以降の引きこもり状態の人にとって、「社会参加」が大きなテーマになることが明確になりました。
 会の運営面では、条件に変化がありました。不登校情報センターの小さな事務所(7坪ほど)が常設になり、そこで主に会合を開くからです。最初に自己紹介と私からの公式的な発言の時間。そしてその後フリートークの時間です。小さな事務所で、2つぐらいの小グループに分けても、やがて隣に座った人同士の雑談にすすんでいきます。
 もう一つはだいたい5時にその会を終了するのですが。二次会と称して近くのファーストフード店に行くことになったのです。私はこの二次会に出ませんので、いわば自主的な場がそこに生まれてきたのです。
 しかし人数がどんどんふえ、参加者がついには30人ぐらいになりました。7坪といっても机が2つに、会議用の大きな机があり、実質的スペースはさらに狭いのです。狭い所に文字通り肩がふれ、膝をつきあわせての雑談がくり返されるようになりました。事務所に移転後1年したときには、毎週水曜日に定例会を開くようになっていました。
 タバコを吸うために外にでたり、息抜きに外に出たりするようになっていました。人数が増えると引きこもり状態といってもいろいろな様子の人がきます。
 こういう状態になったところで大きな転機が訪れました。現在の事務所への移転です。第一高等学院(学育舎)からのビルの無料使用の申し出です。4階建ての校舎、スペースにして20倍以上になるところに移転することになりました。このへんの事情は特殊すぎますので一般には参考にはならないでしょう。
 それでも、いくつかの現象に気がつきました。いすに座って話をするよりも、畳やジュータンの上に座って話をするが、雰囲気として落ちつくという点が一つ。
 以前の狭い部屋にギューギューになっていても、それはそれでよかった、ということです。身体的な距離が部屋の物理的な狭さによってせまられれば、心理的に受け入れやすいのです。これは、人への親近感を伸ばす上で有効でしょう。
 いまの事務所はスペースが広いので、このような面はなくなりました。そのかわり、2人だけ、3人だけで部屋を抜け出し(あるいは初めから部屋に入らないで)、適当なところで談笑しています。卓球をしています。一人で本を読んでいたり、パソコンの前に座っていたり……しています。多くの人と関わることをさけやすい条件もできていることです。
 しかし、大勢の人の中には入りにくいという人にもとりあえずの居場所があります。フリートークだけでない、場のつくり方が可能になっているともいえます。
 どのような環境であっても、それを利用する方法を研究、追及することによって道は開けるということでしょう。
 人生模索の会の重要な一面は、対人コミュニケーションの練習の場です。そこにいろいろな傾向の人が入ってきます。社会参加を願いながらも、その道は思いの外、苦労するところです。
 より直接的に、人生模索の会という場を、その社会参加へのジャンプ台のようにしたいと思う人もいます。そういうなかで、この人生模索の会という当事者の会に対する要望がでてきます。これは前向きの気持ちによるものです。
 一方私は、引きこもり状態から抜け出したい、話し相手がほしい、そういう人なら誰でも入れるようにしたいと思っています。
 訪問活動をしていて、そこで一緒に外出できるようになった人に外出先として入りやすい場にもしておきたいのです。初歩的ともいえる対人関係の練習の場を維持しなくてはなりません。
 いまは、こういういろいろな思いが錯綜しています。たとえばこんな意見が出てきました。
 (1)スタッフとしてサポートできる人を入れてはどうか→その場合は、利用料が必要になる。その料金負担をどうするのか。
 (2)社会参加をめざすというレベルの人に、参加者をしぼってはどうか。逆に言うと病的と思える人(感情表現ができず神経症的と思われる人)の参加を断ってはどうか。
 いまのところこれら2つの点は採用していません。元気が出た人だけで別のグループをつくって、何かに挑戦すればいい、ということで進んでいます。引きこもりもそれぞれの時期に直面することはいろいろな形があるはずです。会は続いているのに、何も発生しないのが実はおかしいのです。
 それが会を発展させ、参加者のもつ課題にこたえることです。気楽に、無理せずに取り組んでいきましょう。継続させることが第一と信じて。

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