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Center:2004年11月ー対人関係に心の壁がある…

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対人関係に心の壁がある・・・・

『友情論』テキストによる第4回学習会
〔2004年11月〕

初参加者5人を加えて、合計8人による第4回しゃべり場的学習会を開きました(11月24日)。
今回読んだのは「つねに現在の関係」のところです。はじめの部分は知人と友人の対比、その後につづく大部分は恋愛関係と友人関係が対比されるなかで友人とは何かを述べてありました。
各自の友人について語ろうとしたが「友人はいません」 「微妙なところ」というの が多くて、体験に裏づけられた友人論とか友情論は展開されませんでした。
そこで(たぶんそうなることは予測していたのですが) 、「なぜ自分には友人ができてこなか ったのか、各自の思いあたることを話してください」という、本日のメインテーマに 入っていきました。
 「他人に気をつかう」「相手の反応が気になる。受け入れられていないと思うと話 に入っていけない」「オープンになれない、親しい関係になるのがつらい」「一対一の 関係ならなんとかできたが、グループになるとダメだった」「関係が一方通行だった。 自分は相手を気遣いながら接したのだが、相手は自分勝手にふるまっているだけだっ た。そういうのが続いて人間関係がつくれなかった」「過剰に気を遣い、自然体で相 手とつきあえない」「自分の領域に侵入されてくる感じがして、それに器用に対応で きず、しばられてしまう感じがした」 「相手の気を悪くさせたくないと思ってきた が、それでも人間関係はできなかった」・・・・・
 かなり実感があふれる、それでいて自分の子ども時代から今日の時代(?)状況を 告発するような、深く鋭い意見や感想でした。
 このようなところから出発して、「出る杭(くい)は打たれる」ので出ないように した。また、こちら側になにか負担になるようなことがあると、「それを弱みとして 突いてくる」、だから弱みをみせられなかった、(それが自然体にふるまえなかったこ とにつながる)などの一歩ふみ込んだ情景も語られました。

 私の受けとめ方、感じとしては、「自分をまもる」という潜在的な意識が底流にあり ―そうしなくてはならない理由が、もの心のつく年ごろには既に経験していた―それ が日常の対人関係づくりにおいて働くのです。相手は攻撃してくるタイプではないこ とを確かめたい、相手の気分を害することのないように気遣う・・・・・それらが、 自分の意識の表面に出ると、上記のような姿勢として、あるときは無意識に、別のあ るときは意識して行動する、もちろんそれは個人的な色あいをおびざるをえないので すが。

 そしてそれをさらに深く考えていくと、結局はいつも私が言っていること(学習会 の第1回のときにも話した点)にまで、さかのぼるように思います。
 1つは、天性としてもっている感性・感覚の繊細性によるもの。
 もう1つは、育つ過程において自分のなかから伸びてきた芽を無視されたこと。社 会(?)が大事だと思うことを植えつけられようとしてうまくいかなかったこと。い いかえると自分が尊重されなかった。自分を受けとめられなかった。自分が否定的に 見られてきた経験の蓄積です。

 学習会の終わりの 15 分ぐらいで、今回参加して感想文を書いてもらうことになり ました。全員が 15分から 20分かけて書いてくれたのですが、「公表してもいい」と いうのは1名です。この意見が代表例というわけではありませんが、8 人にある程度 共通していると思えるのは、「大変だな、苦心しているな、心を壊さないで」という気 持ちになることです。

 感想文全体を読むと2系列の意見があると思います。
 1つは、壁をつくって自分を守っていた。長年続けてきたことを変えることは難し い、自分は不可能に近いと思う。
 もう1つは、守っているだけでは社会に通用しない、場数をふんで慣れなくては生 きつづけることはできない。
 どちらも一理あり、一人ひとりがこの両方を揺れ動いていると思います。ある本の 中に次の一説がありました。
 「最初は、自己に対する破壊的な危害を予防するための守備軍あるいは防壁として 作られたものが、ついには自己を閉じこめる牢獄の壁となりうる・・・。世界に対する 自己の防衛は、防衛というもののもつ一次的機能さえ喪失するにいたる。つまり他者 に物としてとらえられ操られるのを防げることによって、迫害的な力の侵入(内破) を防ぎ、自己を生きのびさせようという本来の機能を失う」。
 自分の感性のよさを受け入れる人たちのなかで、安全に囲まれたなかで自分を少し ずつオープンにし、その免疫力を高めながら徐々に対人関係の幅を伸ばし広げていく のがいいのではないかと思います。でもそれは実にねばり強さ、忍耐のいる作業です。 そういう人たちが安心できる状況を社会全体に広げるのもまた(いろんな人の協力を 得たうえで)、自分自身なのだと思います。

対人関係を学び収入につながる取り組みをする場

不登校情報センターのフリースペースの今日
〔2004年11月ころ〕

2002年3月までのフリースペースの経過

 不登校情報センターの当事者の会は、不登校・高校中退者の当事者の会として始まり ました。1996年8月に通信生・大検生の会として5人が集まったのが最初です。
 その後、いくつかの施設(会議室)を会場に集まる機会が生まれ、その1つが1999年 10月に引きこもり経験のある当事者による人生模索の会です。1998年秋から豊島区大塚 のワンルームマンションを情報センターの事務所にしていて、人生模索の会が生まれた ころは多いときには30人を超える人が集まるようになりました。
 2001年6月、第一高等学院新小岩校の後の空き教室に移転しました。ここは30人が集 まっても十分のスペースがありました。むしろ移転当初は、広いスペースをどううまく使えばいいのかを考える状況でした。
 2001年後半には、広いスペースをより積極的に利用する試みを始めました。「学校案内 書フェア&進路相談会」を初めて開いたのはこの年の10月です。2002年1月~3月末ま での約1ヵ月半、人生模索の会が停止されました。発生した対人関係におけるトラブルを鎮 静化し、これまでの事態を振り返り総括して、新たな方向を探求しようとするためでした。

2002年3月以降のスペースづくり

 2002年3月末に「あゆみ書店」を開きました。このスペースをつかい不登校・引きこ もりと周辺事情に関する本を集めて販売する、当事者が書店員として取り組む、この両面 を見て開始したものです。
 その後、三十歳前後の人の会などから多くの人が仕事的なことや収入になる取り組みに 就けることを探すなかで、2002年10月ころには「あゆみ仕事クラブ」が生まれました。 この動きのなかで12月にはデジタル印刷機の寄贈を受け、翌年4月にはある教育機関か らパソコン14台の提供を受けることができました。労働金庫からは「パソコン・印刷室」 を充実させるために100万円の助成金を受けることができました。
‘’発送作業‘’と称してフリースクール、サポート校などの協力団体の案内書をDM発 送する作業も、このあゆに仕事クラブの1つとする形で取り組むことになりました。 2003年5月には生活情報誌『ぱど』を周辺地域に、9月には江戸川区中央地域に月刊地 域新聞『江戸川タイムス』のポスティングを担当することになりました。これは不登校情 報センターの取り組が周辺地域に根ざした部分をつくることになりました。
 こうして2003年にはあゆみ仕事クラブとして収入につながる取り組み、仕事的な活動 のベースが初歩的にできるようになりました。ところが、2004年入ると、このベースを形 の上で持続したままで、当事者の参加が徐々に減少する事態がすすんできました。2003年 末に「フリースペースの利用のしかた」を作成したのは、それまでの到達状況を映し出す とともに、ほころびはじめた当事者の会を回復させようとする面もあったのです。
 こうした動向はいくつかの面が交錯した結果によると思います。対人関係のすれ違い、 ぶつかりをうまく調節する機能を欠いていたこと、用件があるときにそれに参加する目的 で来所する人が増えたこと、当事者の会に来る人は 2~3年である種の目標をとげ次の前 進を期待するのに、このスペースにはその条件がないこと・・・が挙げられます。会費月額 500円を徴収することが少しは影響しているのかもしれません。
 しかし、1つの運動法則としてみるならば、3年ぐらいたつと何ごとも質の変化の時期 を迎える、それがこのような形で表われたと思います。
 このような参加者の減少の徴候は、2003年の末ごろからすこしずつ見え始め、2004年 1~2月には顕著になりました。当時ある程度定着してきたカウンセラーによびかけて、セ ミナーや学習会をよびかけたのはこの状況においてでした。
 その結果、学習会、セミナーが最盛期と考えられる2004年5~7月ごろには、青木カウ ンセラー「建設的生き方」学習会と絵手紙サークル (親と当事者)、荻原カウンセラーの 交流分析によるセミナー(当事者と親)、 高山・荻原カウンセラー共同のコミュニケーシ ョンセミナー(当事者と親)、およびトカネット親を対象にした栗田セミナーが、それぞれ 月1回開かれる状況になりました。
 これらのセミナー・学習会は9~10月にはほとんどが終息しました。またこのセミナー ・学習会が開かれていた期間を通して、フリースペースの潮流が大きく変わったわけではありません。

学習会という対応方法

 2004年10月、この動向のなかで私は当事者を対象とする新たな学習会を始めようと決 意しました。それが月2回のペースの『友情論』をテキストとするしゃべり場的学習会で す。また、8月から中断している「建設的生き方」の忘れ形見ともいえる絵手紙サークル を生かし、親の学習会を復活させることになりました。このほかに当事者にとってはビー ズアクセサリーに取り組むグループ、親の定例会の午前中に十代親の会の学習会を始める ことにしたのも、一連の事態です。
 これらの取り組みを、当事者に目をむけるという視点からいえば、「対応して当事者に 向かう」方向です。一人ひとり個別対応というよりも数人毎に組織的に関与する対応のし かたです。

あゆみ仕事クラブの活性化

 その一方、当事者への仕事的取り組み、収入につながる取り組みは、全体の参加者が 少なくなっているのにもかかわらず継続し、いくぶんは前進しています。この時期「N

EET」(若年無業者)という新たな言葉が注目されるようになりました。引きこもり傾向 の人に仕事探し(起こし)的対応をするあゆみ仕事クラブのやり方が、NEETへの対応 として評価可能な内容になっています。この面からもあゆみ仕事クラブをより活性化す る方向が考えられます。
 偶然、3か月ほど前から来ていた○○さんが、内職業者と連絡を取り、内職も始まろ うとしています。高場さんがテープおこしなど外注的仕事を結びつける役割を始めてく れました。『スクールガイド』(2005年版)編集のためにスクール情報を入手し、文書作 成という作業が生まれました。いま新たにこれを不登校情報センターのホームページ上 に掲載し、検索サイトを制作することにしています。2004年に入ってからのパソコン関 連のペルプデスク作業も断続的に続いていますし、ポスティング(『ぱど』と『江戸川タ イムス』)は安定的に続いています。

当事者の会(フリースペース)2つの目的

 こうして現在、当事者の会(フリースペース)は、新たな方向性が事実上設定されて います。一つは対人関係づくりの場として学習会を中心に‘’意識的に対応して当事者 の会を指向するもの‘’になること、もう一つは‘’収入につながる取り組み‘’をす るあゆみ仕事クラブを成長軌道に乗せることです。

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