カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


“死ぬほど”とは最大の気持ちですが確かめられてはいない

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
移動: 案内, 検索
Icon-path.jpg メインページ > 不登校・引きこもり質問コーナー > “死ぬほど”とは最大の気持ちですが確かめられてはいない

“死ぬほど”とは最大の気持ちですが確かめられてはいない

電話というものはこちらの事情に関係なく突然にくるものです。
いま白川静『孔子伝』(中公文庫、1991年)を読んでいて、先ほど電話がありました。
「高校に行きたいと思うのですが、どういうところがいいのか心構えを教えてほしいのですが…」
「それはあなたの状態によります。状態に即した心構えになります。どういうことですか」
「いま高校3年生で休学中です。死ぬほど(高校には)行きたいです」
「それなら高校はどこでもいいです。“死ぬほど”というのが実際はどのようなものかを自分で確かめられると思います」
「わかりました」
これが応答のすべてです。3分もかかってはいなかったでしょう。
突然の電話でしたが、短い会話が論語のようになってしまったと振り返っています。
この生徒の質問のしかた自体がそのようなものであったのは、偶然なのですが。

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス