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「ひきこもりが問題でない」社会を描く試み

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「ひきこもりが問題でない」社会を描く試み

最近3年間に調べて確認したことはこうなります。
高度経済成長期を通して、社会は生産性による価値判断に一層傾き、物品生産・サービス提供を含む活動のなかで生産的とみられないものは軽く見られました。
生産性を表示する効率、金額、またはGDPが大手をふるい、それが個人の価値基準、存在基準、さらに幸福基準に扱われて今日に至っています。
それは少なくとも2つの方向から偏っていると私は明らかにしようと試みました。
人間が生きていくのに不可欠な働きが、歴史の途中で導入された市場経済の枠内で扱われていること、言いかえれば市場経済に入らない人間労働や活動が軽視、ときに排除されていることが1つの面です。
他方では人が生きていること、存在していることが人の生活の幸福基準に加えられていないことにも目を向けようとしました。
これにはペットを飼う人が増え、ペットがその人の生きがいや幸福感につながっていることが証明しているように思います。
ペット以上に、自身や身近な人の存在が生きがいや幸福感に影響しているのに、GDP基準では考慮されないままになっています。
そこにエッセンシャルワークやケア労働の役割が注目されたのがコロナ禍です。
以前から「Being」として評価する立場はありました。この両者を結び付けて考えることです。
GDPに代わる人間の幸福基準に加える方式を私は知りませんが、そういう方式は「ない」のではなく、できていないのです。
GDPも元来はなく、20世紀になって人間が考案し広げたものです。
同じようにしようとする提示です。
GDPに代わる基準に包括的富(Inclusive Wealth)が提示されています。
それが不十分と思うのは、とくにケア労働あるいはエッセンシャルワークという人間の命と生存に不可欠な働き、動き、存在を含めるものが上手く組み込まれていないからです。
この問題を私は、GDPにカウントされない家事労働として考察しました。
家事の社会化(社会的分業)はいまも進行中です。
それでは満たされない、あるいは達成できないケア労働が家事活動にはあります。
完全には家族外に委託できない(社会化できない)部分があります。
その役割を評価することでもあります。それは人間の存在そのものを問い、それなくして生きていけない要素になるからです。
家族内でケアできず、専門の施設(病院入院、介護施設入所)を利用するばあいでも、なお欠かせないケア活動です。
家族外に委託する(社会化できる)幼児期の保育園・幼稚園、少年期の学校、医療機関の医療や看護におけるケア労働もより正当に評価されなくてはならないのです。
家族構成員数が縮小し(核家族化し)た現在に表面化している問題は、母親1人にかかる子育て(ワンオペ保育)、介護におけるヤングケアラーの発生はここに由来しています。
家族との関係に絶望し「トー横」に集まる若い女性、周囲に家族を失くした高齢者の孤独・孤立の発生もここに由来します。
このケア労働の考察は私には未着手です。
それは分業化(社会化)したケア労働と家族内のケア労働の対比、家族内ケア労働の困難から派生する問題、家族内ケア労働を評価し、子育て支援策として公的に支給される金額の妥当性などが析出できる作業でしょう。

ひきこもりの発生は、この数十年間の大きな社会構造の変化のなかで、自らの居場所、所在のしかたが確定しがたい状態になった人と見ることが可能です。
多くの人はやがて自分の落ち着く先を見つけていくと期待されます。
それでもなおそこに入らず一方には心身不調と社会的困難になる人が、他方には未来を肯定的に予測できる人が生まれています。
肯定的に説明しようとする動きはひきこもりにかかわる世界ではすでに主張されてきました。
2021年8月に中止されたフューチャーセッション「庵IORI」では「ひきこもりが問題にならない社会」を掲げました。
「庵IORI」は8年間2カ月ごと50回開かれた、ひきこもり当事者の集まる居場所です。
「庵IORI」と並行して「ひきこもりUX会議」が活動を続けています。
ここはいろんなタイプのハンディになる人の集まりです。
支援型の取り組みよりも、あるいは就労や自立より「ほんとうに大切にしたかったもの」を見つける方向を目指しています。
それは生産性基準とは別のものがあり、内容は当事者の動きのなかで鮮明にされると考えられます。
その状態の説明を精神・心理学的だけでなく、社会的状態から説明したのが私のめざすところです。
その向かう先は社会全体におよび、高度経済成長期以降につくられた社会構造に含まれるゆがみや弱点を変えるものでしょう。
それは、障害者の取り組みから成長し自治体が進める「地域共生社会」、国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)とも重なり、それより深遠な展望を持ちます。
私はひきこもりを関わって約30年になり、幸運にもその現場からこういう展望を考えられる時期になりました。
しかしまたその説明の難しさにも直面しています。
これらの総体、新しく認識される幸福基準、人間活動を生産性よりも命と結びつく価値基準が定着する社会、そこはハンディのあるさまざまな人が安心して暮らせる社会、「ひきこもりが問題にならない社会」です。
私はとくに経済社会面の言葉でさらに具体的・詳細に説明したいと願います。

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