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「わかってくれない」と言われて何のことやら…

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「わかってくれない」と言われて何のことやら…

読売巨人軍の原辰則監督の姿を思い出します。
バットスウィングを説明するのに、「非常に感覚的なところがあって言葉での説明はしづらい…」と、素振りを交えながら打撃フォームを話していました。
感覚的なことを言葉で説明するのが難しいのは引きこもり状態だけではなさそうです。

先日の引きこもりの親の会で「子どもからは自分のことを少しもわかってくれない」と言われ続けて、お母さんが嘆いていました。
何をわかってくれないのか。
子どもが感じている周囲の雰囲気を親が自分と同じように感じてくれない、それを伝えようとしているのに親がちっともわかってくれない。
この「わかってくれない」のはそういう意味が込められていることが多いのです。
言葉にしづらいのですから、聞く親にとっても理解しづらいものです。
そこに「わかってくれない」が発生します。
典型的なのは音でしょうか。私も音はだめですね。
「ほら、わかるでしょ」とか言われて、何のことかと思うときは音に関することが多いです。
屋外の音をかなり細かく聞きとっています。
それが音にとどまらずに周囲の雰囲気とかヤバソウと言われたこともあります。
実際に危険になったことはありません。
しかし、彼ら彼女らの感覚が間違っているともいえません。
周囲の雰囲気を自分に攻撃的に感じてしまう“クセ”に関係するのです。
音やある種の雰囲気は実際に発生しているのです。
引きこもりになる人はそれをとらえる感覚的な力が強いのです(全員ではなく個人差があります)。
感覚過敏といわれますが、むしろすぐれた身体能力でもあります。
太古の自然界において弱い状態の人間に備わっている本能的な自己防衛能力のようです。
ちょうど小さな子どもがそうであるように。
ところで、そのすぐれた感覚能力でとらえた事態を言葉にすることはかなり難しいのです。
当人にはそれが当然であり、他の人も同じように感じていると思っているのですから、それが通用しないことが不思議です。
自分にはわかるけれども他の人にはわからないものがある、成長とともにうすうす感じ始めます。
思春期のころに気づくことが多いと思います。
それでも生まれた時から自分を育ててきた親は、特に母親にはわかるだろう、と思いやすいものです。
ところがそこを外される、それどころか人のなかに入って行く苦痛にまるで気づかずに学校に行け、就職しろと上から押し付けられるようなことが続くと「わかってくれない」という言葉が出てきます。
引きこもりの「わかってくれない」という言葉の背景にはこういう事情があることも承知していていいでしょう。
この状態から進むには周囲の環境、時間等が必要ですが、どうしようもないことではありません。

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