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「黙って行かせて」...母と子の関係

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「黙って行かせて」...母と子の関係

以前NHKでラジオドラマを書いていた人と知り合いました。
彼女が脚色したヘルガ・ シュナイダーの実話作品「黙って行かせて」の一部をラジオドラマで聞かせていただきました。
60年近く前に4歳の自分を捨ててナチス親衛隊に入り、アウシュビッツ強制収容所の冷酷な看守をしていた母との27年ぶりの再会の物語です。
27年前に一度母に抱きしめられることを望んで訪ねたとき、過去の栄光に浸り、ユダヤ人を虐殺したという罪の意識の微塵もない母の姿に嫌悪感を覚え、それ以来27年の間忘れようとしていた高齢の母親との最後の対面の場面という、非常に重いテーマをラジオドラマにしたものです。
母親が人生の終わりを前にしてもなお、過去の栄光にしがみつく姿にさらなる嫌悪感を覚えているのに、それでもかすかな「おかあさん」という肉親の情が結ばれるのを期待しながらの会話から娘の苦しさがつたわってきます。
自分を捨てた母親というのは、子どもにとっては特別な大きな存在でしょう。
母を愛することも憎むこともできない娘の複雑な苦しさと悲しさ。
その胸の内が伝わってきました。
母の言葉に愕然としながらも、絆と呼べるものはないのかと探さずにはいられない娘の苦しい心の内。
ここまで壮絶ではなくても私たちの多くは、母親に「こうしてほしかった」「こうであってほしかった」という思いを少なからず持っているのではないでしょうか。
子供のころに自分を捨てて家を出た母親に、大人になって再会して「あの時苦しかった」とつい言ってしまったとき、母親は「離婚した親なんてどこにでもいるのにそんなことを恨みがましく言われても今更どうしようもないじゃない」と反撃されて、さらに傷ついたという話もきいたことがありました。
母親にとっては一生懸命生きてきた今までの自分を否定されたと感じ、それを認めることはなかなか難しいことだったのかもしれません。
それ故自分を責めていると感じ反撃せずにはいられなかったのかもしれませんね。
ヘルガの母親も自分の過去を懺悔することは自分を否定することになり、そうすると自分が崩壊してしまうという恐れから、しがみつかざるを得なかったのかもしれません。 母と子のボタンの掛け違いはどちらにとっても苦しいことですね。
ところが、先日あるお母さまから過去の傷から抜け出せない自分の息子に対して「今まであなたのためだと思ってつい先回りしてしまっていたけど、あなたの気持ちを置き去りにしてしまったかもしれない」としっかりと言葉にして謝ったというお話を伺いました。その言葉を出すということはさぞ勇気がいったことでしょう。
今まで自分の中で息子のためと一生懸命やってきたことなのですから。
それでもそのあと、息子さんの行動に少しずつ変化が生まれたということでした。
このお母さまの勇気というか、息子へのその気持ちに心打たれました。
このラジオドラマを聴いていて、なおさら印象深く思い出されたお話でした。

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