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いわゆる田園回帰の動き

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いわゆる田園回帰の動き

(試論の素描 3)

2015年、私が高校までを過ごした島根県大田市が「移住したい自治体」の全国1位になりました。
これは『田舎暮らしの本』(宝島社)の報告ですが、ふるさと島根定住財団(公益財団法人)が取り組む島根県の状況の一端を示します。
島根県をはじめ、全国各地の農山村地域でこのような移住者、ときには人口増の地域が表われました。
田園回帰と言われる動きで規模はまだ小さなものです。
全国的な人口減が続き、島根県全体も人口減ですが、あちこちの農山村・漁村でこのような人口増があります。
そこにはどんな背景があるのでしょうか? 
小田切徳美・前掲書『農山村は消滅しない』では、これに関する社会経済の背景事情の報告を引用しています(195p)。

前回の会報では高度経済成長期(1960年代)を挟む経済社会の変化を描きました。
しかし、この部分は長くて(必要な説明に限りましたので決して詳しくはない)、会報には約半分しか載せていません。
今回はその続きになるのですが、前回の終わり部分を見ておかなくてはわかりづらいので、関係部分を手短に紹介します。

1980年代の後半に世界の資本主義国間で矛盾が深まり、先進諸国間でも貿易の不均衡が大きくなりました。
特に日米経済摩擦が挙げられました。
その状態を解消するために1985年に先進5か国がプラザ合意という協調政策を取りました。
その結果、日本の円高が異常なレベルになります。1971年までは1ドル=360円です。
そのあと変動為替制に移り、1985年に1ドル=240円前後。
プラザ合意後の1994年には1ドル=108円で、国際貿易条件がきわめて急激に変動しました。
アメリカなどの貿易収支は改善に向かいましたが、日本は大きな影響を受けました。

それが引き金になって、日本企業の(中国や東南アジアなどへの)海外移転が進み、それに伴い国内で就職難が広がりました。
徐々に不況の波が広がり、1992年には“バブル経済の崩壊”になります。
この変動の全部をプラザ合意で説明できるとは思えませんが、それなくしては説明ができないことも確かです。
この円高とバブル経済の崩壊が日本社会の多方面に影響します。農山村への移住もその小さな動きの一つになるのです。
小田切さんの引用はその事情を説明しています。

「『若者はなぜ、農山村に向かうのか』の企画・取材で若者の後を追ううち、彼らの年齢が圧倒的に32歳前後であることに気づき、なぜそうなるのかを調べてみた。
そして愕然とした。日本経団連が「新時代の日本的経営―雇用ポートフォリオ」なる雇用ガイドを発表したのが1995年。まさに彼らが大学を卒業した年である。
そこでは「雇用の柔軟化」として(1)長期蓄積能力活用型(将来の幹部候補として長期雇用が基本)、
(2)高度専門能力活用型(専門的能力をもち、必ずしも長期雇用を前提にしない)、
(3)雇用柔軟型(有期の雇用契約で、職務に応じて柔軟に対応)と、雇用が三段階に分けられた。
不況で企業の採用数が減っただけではなく、雇用の形態そのものが終身雇用・年功序列の時代から大きく変化していたのだ。…
こうして正社員は激減し、「安価で交換可能なパーツ労働力」として派遣・契約社員、パート・アルバイトが大幅に増加することになった。
95年以降の10年で、非正規雇用は50%も増え、いまや1500万人以上。一方、正規雇用は10%減少、3500万人を割り込んだ。
…だが、若者たちはおとなたちがつくりだしたそうした状況への批判にエネルギーを割くのではなく、農山村へと向かった」(引用は『現代農業』2005年10月号 から)。

『現代農業』が指摘したことは次のように理解できます。
日本の若者たちの中には、非正規雇用という上からの使い捨て型の雇用策に正面から反撃するのではなく、別の対抗策を取った人がいるのです。
対抗策というよりは意識としては自分なりの選択という穏やかな意識の人が多いはずです。
使い捨て型の雇用策(それはまた自分を押し殺していく就労・働き方)の社会参加スタイルを読み取って、あるいは感づいて選んだ対応策というべきものです。

この日本経団連のいう雇用ガイドがどのように実行されたのか。
強制的に冷酷そのものに行われたのですが、そればかりではないでしょう。
労使間の事態解決に都合がよかった場合も、軟着陸型の導入などいろいろなケースがあったはずです。
さまざまな曲折を経ながらも非正規型の雇用が目をみはるばかりに増えていきます。
2005年当時には被雇用者の3割に達し、産業界の一部においてさえ行き過ぎが反省される程度になりました。

結局は上からの非正規型雇用の推進に対して、否応なく適応せざるを得なかった人は多いのです。
仕事に就いたが正社員ではないと親から攻められて落胆した人の話も聞きました。
この大きな動きに一人の青年に何ができたというのでしょうか。
他方では農山村に行って自営的な生産・生活方式を求める動きをした。
農業に自分なりの可能性を見いだした人も表われた、それが田園回帰と表現されたのです。
そこには各人さまざまな事情があります。
そういう個人的な理由や選択の総和のうちに社会的な動向やときには意思が示されるのです。
非正規雇用者は当時すでに1500万人。今はさらに増加しています。

これらに関わることを居場所でも聞きましたし、相談を受けたことがあります。
『ひきこもり国語辞典』にも採用したので紹介しましょう。
〇田舎暮らし「30代の半ばを過ぎたので、いまさら就職するのがいいとは思えません。
田舎で農業をしながら一人暮らしをしたいのが本音です。
人間関係が近くなるという難題はありますが、穏やかな人と穏やかな環境を求めています」
〇自給自足「衣食住をはじめ、生活全般のことを自分で用意するのが、自給自足です。
実際にはそんなことはできないのですが、心の奥には自給自足で生活したい願望があります。
なるべく人と関わりたくない、人との関係を小うるさいと思う気持ちがあるからです」
両者には違いも見られますが、ともにひきこもり経験があり、田舎暮らしと自給自足生活に気持ちが向いているのです。
行動できる条件(これには周囲の条件だけではなく、本人の気持ちも入ります)ができたら農山村に向かう可能性があります。
 

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