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こころからの謝罪が欲しい―認める、謝る、赦す

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こころからの謝罪が欲しい――認める、謝る、赦す

会報「ひきこもり居場所だより」2021年3月号
 
ラフカディオ・ハ-ン(日本名;小泉八雲)に「停車場にて」というエッセイがあります。
殺人を犯した男が警察官に連れられて熊本駅に着いたところです。
駅前には多くの群衆が集まっていました。
群衆の中にこの男に父を殺された4歳ほどの男の子も母に背負われていました。
警察官が群衆に向かってこの家族を呼ぶと、母に連れられた子が一緒に殺人者の前に出ました。
突然、男が崩れるように男の子の前にひざまずいて、泣きながら赦しを請うのです。
「あなたのお父さんを憎くて殺したんじゃない、死んでお詫びをする…」と。
男の子は泣きながら動かない、警察官も目に涙をしている。
おとなしいとは言えない多くの群衆も静かにその場面を見、やがて引き上げていきました。
ハーンはその場面を見、そして言います。
ここには本当の謝罪があった。
それを見ていた群衆は納得した、私も納得した。
―これは明治のころの話です。

ハーンが目にしたのは殺人事件の場合です。
より多く発生するいじめやハラスメントや間違いによる無礼などに対してはどうでしょうか。
それを認める、それを謝罪するのは当たり前のようですが、なかなかそうはならないものです。
「私にはそのつもりではなかったのですが、相手の方がそのように受け取られるようなことであったとしたら、お詫び申し上げます」
何かのことがあったときのよく聞かれる謝罪のことばです。
これが相手への無礼を認める言葉でしょうか。
これが謝罪のことばでしょうか。
相手の受け止め方に問題もあるという認め方ではないですか? 
謝罪の気持ちはないのに、お詫びという言葉が形式的に文字面に取り入れられているだけのように見えてしまうのですが、どうですか? 
これをもって謝罪したことになる社会はかなり干からびた形式社会ではないか。
そう感じる謝罪会見が多く、潔くはないです。

他者のことを言う資格があるのかと自分を振り返るに、同じような干からびた謝罪をしてきたのではないかと心配になります。
私の中学時代です。学級委員長をしていましたが、何年生のときか忘れました。
昼食時間の終わりに、教室の前に出て何かの連絡事項を話しました。
席に戻ろうとしたとき最前列にいた女子生徒の弁当箱をひっかけて、ばらまいていました。
ほぼ食べ終えていたのでばらまいたものは多くありませんでしたが、その子にはすごく謝りました。
「現行犯」ですから、認めるも認めないもありません。
困ったような、大丈夫ですよというか、なんとも表現しづらい目で見られていました。
そのあとのことです。突然呼び止められました。
「タケミくんは公平、だからみんなから認められる」と女子の中でリーダー的な生徒から言われました。
弁当を落とした子は体の小さな虚弱な感じの子で、女子の中では低く見られていたのでしょう。
その子に対してすごく謝っていたのを「公平」と言ったのです。
今でもそうですが私は人の気持ちがよくわからないところがあります。
そのために別の基準で人付き合いをしていたのですが、この公平ということばを聞いて、「そうか、自分は公平を基準にしていたのだ」と意識した記憶があります。
*私がアスペルガー気質であり、人の気持ちを読み切れないタイプであると知ったはほんの十数年前のことです。
これは相手への無礼を認める、謝るという例にしては的確ではないかもしれません。
しかし思い出す例が特にないのでやむをえません。
ただ第三者であるその女子生徒には私が謝っていたことは伝わったと思うのです。
この1例をもって、私が人への無礼を認める、謝る姿がいつもよかったというつもりはありません。
そうとは言えないこともいろいろあったかもしれないです。
しかし、先ほど挙げた干からびた形式的な認め方や謝り方はしてこなかったつもりです。

認める、謝るについては、こういう事態もありました。
ひきこもりの親の会には当事者も参加します。当事者のNくんもよく参加していました。
あるとき彼の母親が参加すると連絡を受けました。
それをNくんに伝えると「じゃあ、オレは休む」というのです。
親が一緒なら出席はいやだということは他の人にもあります。
その理由はいくつか考えられます。
親のいる前で本音、ほんとのことは話せないというあたりが中心ではないかと思います。
同じテーマの逆の場合もありました。
二十歳前の娘さんがお母さんをつれて不登校について話す交流会に参加しました。
親子の同席です。
その場では娘さんは中学時代の友達を家に呼んだ時の母の対応を例に、母のやりようを告発するように話しました。
今風に言えば“公開処刑”です。
お母さんは静かにそれを聞いていました。
司会役の私はそれを聞いてハラハラする気持ちでいました。
会が終わって帰るとき、娘さんがお母さんに謝り、お母さんもまたごめんねといった光景がありました。
『ひきこもり国語辞典』にも紹介したエピソードです。
親の会に参加をするのをやめたNくんは、こういう場面になるのを予感でき、避けたかったのかもしれません。
彼らの嗅覚は鋭いので必ずしも当てずっぽうとは言えないです。
このように親子の中に続いてきた事態で、親が認める、親が謝るという機会をつくるのは困難を極めます。

子ども時代に親からのハラスメントを受けていた人と私の二人で話したことがあります。
その人は親の押しつけがましい、自分を拘束してきたやり方は相当に時間を経ているのに忘れることができない。
しかし、いまさらどうすればいいかも分からない…と続きます。
その一方で親はとにかく自分を育ててくれたことは確かです。
今も経済的には世話になっている。
この相反する気持ちが同時に沸き起こってきます。
こういう自分の状態を振り返ると、感情的にはとても不安定になるといいます。
しかし親はいずれいなくなる。
その時までに何とかなってほしいと思う。
親が自分のしたことに間違いがあることを認め、謝ってくれればいい。
しかし、うちの親はそんなタイプではないという諦めもあります。
仮に謝られたとしても、自分がそれを抵抗感なく認め、受入れられるかどうかはわからない。
そうなってみないと何とも言えない。そんな話でした。
その後で、親が謝ってくれるのは1つの区切りにはなるかもしれない。
親が謝ってくるなんて想像もできないが、そうなったらこっちが逃げ出したくなるかもしれない。
だから、不愛想に一言「悪かった」と言ってくれるのがいちばん聞きやすいかもしれないと言いました。
親子間の子ども時代の無意識のハラスメントを認める、謝るというのは親にとってだけではなく、子どもにとっても大変な難関を超えることだと知らされました。

私が20代から30代のころの話です。
事件などで被害を受けた人が、「謝ってくれればいい」とか、逆に「損害賠償はくれたが謝ってはくれない」というのを聞きました。
損害賠償よりも謝罪の有無に重きを置いたことばですし、これは今でもよく聞きます。
こういうのを聞いたとき納得しづらい気持ちでいたことを思い出します。
受けた被害と謝罪の有無を天秤にかけたときの不釣り合いが大きいと感じたのです。
これだけの被害を受けたらせめて損害賠償と謝罪のことばの両方が当然と思いました。
実際には費用負担や刑事犯として処罰を受けるなどいろいろでしたが、どうも謝罪を受けるほうに重きがあるように感じるのです。
逆に言えば私は謝罪のことばよりも、損害負担や刑事罰などの社会的な制裁に重きを置いてみていたのかもしれません。
だんだんと気持ちは後回しで損害負担や処罰に重きを置いていたのではないかと思い始めました。
ところがいつの間にか「謝ってくれればいい」というのは実はすごいことではないかと考え始めていました。
といってもすべてのケースがそうであればいいと思っていたのとは違います。
この気持ちというか理解の変化はゆっくりした移行でした。
上の「親が謝ってくれれば区切りになる」という話を聞いたころからかもしれません。
この変化は何なのでしょうか。
苦しさ、悔しさ、憎しみ、差別を受けた気持ち、それらのマイナス感情を昇華しているのではないか。
感情世界から精神世界への昇華にあると思います。
「謝ってくれればいい」という人の全部がそうとは言えないにしても、そういう感情を昇華し、精神世界に取り込み、感情を気高い精神にしているのではないか。
そういう理解の仕方の大きさが徐々にわかってきたわけです。
いやそれはきれいごとだ、諦めや自分の力のなさからきているに過ぎない。
そういう受け止め方もあるし、事実としてそういう実態もありうると思います。
それでもマイナス感情世界を自身の精神性を上げることで表している人もいるのではないか。
少なくとも干からびた形式社会の日本にもこういう精神文化の気高さを持っている人はいると思います。
その思いは残るし、それなら目標にしてもいいと考えるこのごろです。
このあたりに「8050問題」といわれるひきこもり問題をの抱える家族の中に手がかりはないでしょうか。
後期高齢の時期に入った私には遅すぎるテーマ設定ですが、それでもぼちぼちと進むつもりでいるところです。

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