カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


つながりたくない理由

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
移動: 案内, 検索


つながりたくない理由

■つながりたくない理由(ワケ)
「ステイホームダイアリー」に参加し、8月の「ひきこもりを考えるセミナー」では、不登校の子どもに向き合った体験談を語ってくれた藤原さんを取材しました。
子どもの不登校が始まり、人を避けるようになっていったという彼女の思いとは――
■2人の子どもが不登校に…
・あんなに学校が好きだったのに…
・親としては、何とか学校へ行かせたい!
・私の育て方が悪かったのかな?
・状況が違うのに「私だったら…」のアドバイスがつらい
・もう人とのつながりを断ちたい
自分自身や周囲の「こうしなければならない」といった固定的な考え方が当事者や家族を苦しめているのかもしれないニャ…
◇藤原広美さん
不登校の子どもを持つ母親。「ステイホームダイアリー」にも参加
◇藤原さん
絵が大好きな藤原さん。ご家族のイラストもご本人に描いてもらいました!
私の大好きな長女と次男をご紹介します。これまで2人の不登校と向き合ってきました。
・長女
中学3年生。幼少期から繊細な子で人が怒られているところを見ると怖くなったことも。絵が得意
・次男
専門学生。小中学生の頃は、明るい性格で学校が大好きだった。グラフィックデザイナーが夢
◇子どもたちが不登校に…一体どうしたらいいの?
新型コロナの流行前に比べ、市内小中学校の不登校の件数は倍増しています。
「ステイホームダイアリー」に参加していた藤原広美さんの子どももその中の一人でした。
「長女が小学3年生の頃から、徐々に学校を休むようになりました。
学校の先生やスクールカウンセラーなどにも相談し、教室ではなく保健室へ登校しながら学校へ通っていましたね」と藤原さんは当時を振り返ります。
6年生になるとめまいや吐き気などの症状が出始め、朝起きることが困難に。
小児科で検査をしてもらうと「起立性調節障害」と診断されました。
本人に「学校に行きたい」という気持ちがあっても、体がついていかず、親としても「なんとかして学校へ行かせてあげたい」と焦る毎日だったといいます。
そんな中、藤原さんの次男も「学校に行きたくない」と休みがちに。
高校1年生の時でした。自分の部屋にこもることが多くなり、家族との会話も無くなっていきました。
高校の先生に相談しても、不登校の理由が分からず、直接本人に聞いても明確な原因は口にしませんでした。
「中学校までは学校が大好きで、明るくてよく会話する子だったのに…。
原因も分からないし、元気だったころとの差が大きく、本当にショックでした」と藤原さんは打ち明けます。
その後、本人の希望で、2年生から通信制の高校へ転校することが決まりました。
先生の勧めもあり「少しでも単位を取って転校させたい」と、数日の間、嫌がる次男を学校へ行かせることに。
すると、ある日「学校に行かなあかんのやったら、死にたい!」と言って号泣したそうです。
それ以降、藤原さんは、無理に学校へ行かせようとはしませんでした。
◇いつの間にか人と距離を置くようになって…
「不登校の子どもが2人もいるのは、私のせいなのだろうか」。そう自分を責めたという藤原さん。
「同年代の子の制服姿を見ると涙が出ることもありました。
でも、落ち込んでいる姿を家族に見せたくなくて、いつも通りに振る舞おうと気を使っていました」と思い返します。
泣きたい時は車で外出し、気持ちが落ち着いてから帰宅することもあったそうです。
知人に相談すると、「学校を休ませてあげるなんて、子どもに優しいよね」「私だったら叱り飛ばしてでも学校へ行かせるわ」と言われることもしばしば。
「人に安心して相談することができない」「嫌な思いをして、自分が傷つきたくない」「誰も知らない土地へ引っ越したい」。
そんな思いがだんだんと強くなり、知人に会わないよう、自宅から遠く離れたスーパーへ買い物に行ったり、知人を見つけたら、そのまま買い物もせず店を出ていったり…。
気が付けば、人を避けるようになっていた藤原さん。
そんな彼女の転機となったのは、「まちの保健室」の職員との出会いでした。
〔広報なばり 令和5年10月10日号〕

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス