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ひきこもりからの社会参加

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ひきこもりからの社会参加

会報『ひきこもり周辺だより』5号(2017年9月号)
今年3月に第12回全国若者・ひきこもり協同実践交流会が開かれました。
その準備過程の実行委員会でちょっとした意見が交わされました。
この全国集会は12年前に始めたころは「支援者交流会」です。
途中から「実践者交流会」に変わりました。
その意味を問うものでした。
要点は支援対象者であったひきこもりの中から支援者側に回る人たちが多く表われた。
この事情をより適切に表現する方法を集会名に取り入れたのです。
ひきこもりの当事者が各地の団体グループに加わっている状況は顕著のようです。
私が知りうる範囲でもいろいろ見ることができます。
私の言葉遣いも変わってきましたが、事情は上の点とは違います。
振り返るとこうなります。
20年以上前にひきこもりから抜け出す方法は「就職」でした。
仕事に就くことを目標にして人材養成バンクなるものを提示し受け入れ先事業所を探したこともあります。
人材養成バンクの取り組みを終了して、しばらく後に使い始めた言葉は「社会参加」であり、ときおり「社会の一員として生きる」を使いました。
私の言葉遣いの変化は高い目標のハードルを下げ、実情に見合う取り組みのベースをつくるものです。
基本的に今日まで使い続いています。
そして私の言葉遣いの変化と実践者交流会の変わってきた事情が交錯していると考えるのです。
ひきこもり当事者が支援する側に回るというのはこの「社会参加」と重なります。
それは就職し仕事に就くこととは矛盾しません。
両者が連続する過程になることもあるし、片方だけのことも並立することもあります。
各人の条件に合わせて仕事に就きながら、当事者が支援する側に回る状態は少なからずあります。

この状況をどう見るのか、それは何を示しているのか、その可能性を考えてみたのです。
入り口は社会参加と仕事の2つです。
そこに入る前に1つ確認しておきます。
ひきこもりは身体的な症状によるものではなく、対人関係の不全感の蓄積から生まれるものが中心です。
ですから多くは医療の対象ではありません。
*身体的な症状によるひきこもりもいます。
なにしろ「いろいろな要因から」ひきこもりは生まれます。
それでも一般論として病気や精神病予備軍と扱うわけにはいきません。
2つの入り口とは、社会参加と仕事に就くことです。
両者は重なる部分もありますが、分けて理解するのがわかりやすいし、正当でしょう。
(1)社会参加とは、対人関係づくりから、居場所・当事者グループへの参加、社会運動的な動きまでの幅広い状態があります。
これは一連の動きです。
(2)仕事に就くとは、ボランティア活動、パート労働・アルバイトから常勤的な仕事まで、これもいろいろな状態があります。
(3)そしてこの両側面の融合するところが仕事おこし(起業)です。
この仕事おこしもいろいろな状態があります。
趣味的な小遣い稼ぎから生活基盤にできる自営・自由業・SOHO型まで広がります。
この分け方のうち就職以外は直線的に就職に向かうものではないという意味で社会参加としてとらえ、表現します。
このようにひきこもりから社会参加を考えるには3つの面からアプローチが可能です。
それは社会の変化がひきこもりにどう表れるのか、それを見ることといえます。
ひきこもり自体が社会変動の所産でもあるからです。

私は2002年ごろにひきこもり当事者に「引きこもりの人が望む将来生活の姿」を聞いて調べたことがあります。
職業選択に限定した質問ではありません。
71人からアンケート回答をえました(男41・女30)。
回答者は20代後半が中心で30代は3割弱(19人)です。
回答では過半数が就職型を望んでいます。
今すぐに就職という意味ではなく、将来願望です。
就職以外の仕事につく方法は自営業、自由業、SOHO型であり、合計すれば比較的高い割合でした。
手芸作品やWEBデザインなど広い意味でのアート指向が多かったと確認できます。しかし自営・自由業型になるのはハードルが高そうです。
生活できる収入の人はいませんでしたが、すでにしている人がほとんどでした。
好きなこと・趣味の延長であり、それを生かすことを将来像として答えたのです。
この傾向はひきこもりだけではなく、社会全体の傾向だと思います。
自分の好きなものに取り組み、生活できる収入にしたいのです。
なぜそれが社会全体の傾向かと考えるのか。
大学等を卒業して就職した人の3割ぐらいが5年以内に辞めている、というのがその傍証です。
その背景事情を詳しくみると私が見ている状況と重なるでしょう。
この傾向は少なくとも20年は続いています。
これは就職難の時代においても続いていたことです。
少なくとも半世紀前にはここまで明瞭ではありません。
大きな時代の変化が表われているのです。
ひきこもりのこの状況は、これから迎える時代を無意識に先取りしています。
ひきこもりはそれを極端に、行き過ぎといえるほどに生活面・心身面で表わしていると私は理解しています。
ところで、ひきこもりの社会参加の指向はアート関係に集中しているのではありません。
当時はまだはっきり整理がつかないでいたことがあり、2002年のアンケートにはそこまで踏み込んだ質問項目を私は思いつかなかっただけです。
だから回答する項目を設けておらず、回答することができなかったのです。
ひきこもり経験者のその後の動きをみると、パソコン・ネット関係、カウンセリングや身体療法など対人サービスに関心を向ける人も多いと思います。
好きなことをしたいというのが本質的なことです。
好きなこと以外には向かわない、その傾向が顕著に示されたのです。
AI(人工知能)が進むと多くの職業がなくなる予測されている中で、ひきこもり経験者が関心を持つのは、将来的にもなくならないと予測されている仕事です。
偶然とは思えないほど不思議な一致です。
このような社会状況に向かい、現在も進行中です。
しかし、ひきこもりの人が取り組んでいることの到達点は全般に低く、十分な収入には届いていません。
趣味的なことが特にネットにより幸運な成果につながる人もいますが、ほとんどはレアケースです。
それらが一時的なものではなく継続的なものになり、収入レベルが徐々に上がれば初歩の社会参加から、やがて生活できる収入レベルに届くでしょう。
そのような時代が開かれる扉の前で、多くのひきこもりが目立たないながら、それぞれのしかたで取り組み、ひしめいている状況を感じています。
それはひきこもりが示しているほかの可能性です。
社会運動(活動)家という表われ方、資本主義的な利益の追求を最大目標とするのとは異なる社会企業型の事業への関心に示されているようにも思います。
これらは私は十分な情報や知識を持ち合わせておらず、全体を評価できません。
言葉として表現できないのです。
しかし、ひきこもりのなかで続けている「好きなこと・続けていること」の動きは無駄ではない、その多くがいつか報われる時期が来ると予想はできます。

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