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ひきこもりが問題でない社会の内容を推測す

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「ひきこもりが問題でない社会」の内容を推測する

〔2024年3月8日〕
高度経済成長期を通して、社会は生産性による価値判断に一層傾きました。
他方では物品生産・サービス提供を含む活動のなかで生産的とみられないものは軽く見られました。
生産性を表示する金銭・金額、またはGDPが大手をふるい、それが個人の価値基準、存在基準、さらに幸福基準のように扱われて今日に至っています。
それは少なくとも2つの方向から偏っていると私は明らかにしようと試みました。
人間が生きていくのに不可欠な働きが、歴史の途中で導入された市場経済の枠内で扱われていること、言いかえれば市場経済に入らない人間労働や活動が軽視、ときに排除されていることが1つの面です。
他方では人が生きていること、存在していることが人の生活の幸福基準に加えられていないことにも目を向けようとしました。
これにはペットを飼う人が増え、ペットがその人の生きがいや幸福感につながっていることが証明しているように思います。
ペット以上に、自身や身近な人の存在が生きがいや幸福感に影響しているのに、GDP基準ではそれを排除しそれに代わるか基準を提示できないでいます。
そこにエッセンシャルワークやケア労働の役割に改めて注目されたのがコロナ禍です。前からはすでに「Being」として評価する立場はありました。
両者を結び付けて考えることです。
GDPに代わる人間の幸福度基準に加える方式を私は知りませんが、そういう方式は「ない」のではなく、できていないのです。
GDPというのも元来はなく、20世紀になって人間が考案し広げたものです。
このGDPに代わる基準は、既にいくつか考案されています。
しかし私は、特にケア労働あるいはエッセンシャルワークという人間の命と生存に不可欠な働き、動き、存在を含める幸福度基準が必要であると考えます。

この問題を私は、GDPにカウントされない家事労働として考察してきました。
家事の社会化(社会的分業)はいまも進行中です。
それでは満たされない、あるいは達成できないケア労働が家事活動にあります。
完全には家族外に委託できない(社会化できない)部分があります。
その役割を評価することでもあります。
それは人間の存在そのものを問い、それなくして生きていけない要素になるからです。
家族内でケアできず、専門の施設(病院入院、介護施設入所)を利用するばあいでも、なお欠かせないケア活動です。
家族外に委託する(社会化できる)幼児期の保育園・幼稚園、少年期の学校、医療機関の医療や看護、介護施設における介護、そこに見られるケア労働にも共通します。
現在の問題は、家族数が縮小し、核家族化している中で、母親1人にかかる子育て(ワンオペ保育)、介護におけるヤングケアラーの発生はここに由来しています。
孤独・孤立の発生する「トー横」に集まる若い女性や、周囲に家族を失くした高齢者もここに由来します。
このケア労働の考察は私には未着手です。
それは分業化(社会化)したケア労働と家族内のケア労働の対比、家族内ケア労働の困難から派生する問題の所在、家族内ケア労働をどのように評価し、子育て支援策として公的に支給される金額の妥当性などが析出できる作業でしょう。

ひきこもりの発生は、この数十年間の大きな社会構造の変化のなかで、自らの居場所、所在のしかたが確定しがたい状態になった人と見ることが可能です。
多くの人はやがて自分の落ち着く先を見つけていくと推測されます。
それでもなおそこに入らない人がいます。
一方には心身と社会的に困難になる人が、他方には未来を肯定的に予測できる人が生まれています。
この認識を社会経済の成長過程から説明したいと思います。
というのはひきこもりにかかわる世界ではすでにそれが主張されてきました。
2021年8月に中止されたフューチャーセッション「庵IORI」では「ひきこもりが問題にならない社会」を掲げました。
「庵IORI」は8年間2カ月ごと50回開かれた、ひきこもり当事者の集まる居場所です。
「庵IORI」と並行して活動を続けてきた「ひきこもりUX会議」は、支援型の取り組みよりも、あるいは就労や自立より「ほんとうに大切にしたかったもの」を見つける方向をめざしています。
生産性基準とは別のものがあり、その内容は当事者の動きのなかで鮮明にされると考えられます。
その向かう先が社会全体に及び、高度経済成長期以降につくられた社会構造に含まれるゆがみや弱点を変えるからです。
それは、障害者の取り組みから成長し自治体が進める「地域共生社会」、国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)とも重なり、それより深遠な展望を持つものです。
私はひきこもりを関わって約30年になり、幸運にもその現場からこういう展望を考えられる時期になりました。
しかしまたその説明の難しさにも直面しています。
これらの総体、新しく認識される幸福基準、人間活動を生産性よりも命と結びつく価値基準が定着する社会、そこはハンディのあるさまざまな人が安心して暮らせる社会、「ひきこもりが問題にならない社会」です。
私はとくに経済社会面の言葉で説明できるように試みたいと思います。

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