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ひきこもりを社会的・経済的背景から説明

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ひきこもりを社会的・経済的背景から説明

ひきこもりという歴史的・社会的現象は、これまで主に日本人の精神・心理学的な面から研究・説明・対応されてきました。
私はこれを社会的・経済的な背景から説明したいと考えました。
それはひきこもり当事者背景に社会的な事情があり、それとの関連を考えなければ、十分な説明も対応もできないと思うからです。
まだ十分とはいえませんが、全体の大筋の説明ができるところまで論点は整理されてきたと思います。
日本社会は大きな変動期を通過中であり、この変化を過敏に察知する若い世代の一部にひきこもりが生まれたことは偶然ではありません。
2040年代には、現在ある職業の半分近くがなくなり、それに代わる新しい職業が生まれつつあります。
この変化を時代の空気として、自身が日ごろ体験する周囲の人たちとの間に違和感をもつ程度の人のなかにひきこもりが発生します。
この変化は産業構造の変化、さまざまな技術的な要素により生まれるので、世界的に同時期に表われています。各国・各地域にそれぞれの事情があり特色もあります。
とくに日本人にひきこもりが目立つのは、日本人の精神文化の特質が関係します。
それはいろいろな部分が精神医学・心理学あるいは身体科学の面から解明されています。
ひきこもりがこれまで主に個人的な事情に関係するとされ、個人対象に対応が考えられたのはこのためでもあります。
しかしこの大きな変化は社会全体のものです。個人事情だけではなく、社会の変化の中で生じている点にも注目しなくてはなりません。
この数十年間の人間生活を支える経済社会の技術的な基礎の変化に関係します。
多くの電化製品の発明、通信手段の圧倒的な変化…が関係します。
それが社会関係の中で社会グループとしてひきこもりを生み出したのです。
社会の変化の内容には、職業選択の自由化(それには職業選択の流動化、その促進策を含みます)が進むのはむしろ当たり前であり、必要なことでもあります。
この職業選択の自由を広げることで流動性の高い職業選択の部分が生まれます。
たとえばフリーアルバイター(フリーター)が登場し、いろいろな非正規労働が表われたのは社会の変動に沿ったものでした。
それは同時にそれまでに備えられていた就業条件を変えてきました。
終身雇用や年功序列型の要素が失われました。
社会変動の時期においては、それらの面をカバーするいくつかの対応策が講じられるべきでしたが、それらは社会的に、もっといえば政策的、政治的、行政的には必要な目を向けられなかったのです。
各種の非正規労働は職業選択の自由のための道を開くことになった反面で、生活基盤の安定システムを失う状態になりました。
その失った部分を、一口に言えば、生活基盤システム(社会のセーフティネット)の消失です。
いろいろな分野に及んでいます。
代表的なものを上げると、継続的に収入を得る機会の保障がありません。
年功序列型賃金体系にあった年齢ともに期待できる収入増の機会がありません。
正規雇用に伴う、各種の社会的な支えがありません。
それはいろいろな部分に及び一律ではありません。
身分保障がなくなり援助を期待できません。
健康保険、住宅確保、交通費、環境衛生などがすべて個人負担になり退職金、失業手当がもらえないこともあります。
非正規労働の雇用枠どんどん広がり、正規労働に入る道は閉ざされているのに、非正規労働を選んだのは、自己責任にされてきました。
そして自ら不安定な就業形態を選んだ人と見られるようになっています。
これらは1990年ごろに明るみになったことです。
1970年代のはじめに日本が高度な経済社会に到達したころから徐々に始まり、90年代のバブル経済崩壊とともに大きく表面化したわけです。
加えて、生活基盤を支えていた社会の変化もありました。
従来あった家族(血縁)と地域の共同的な結びつき(地縁)が大きく変化しました。
血縁も地縁も、日本の歴史上かつて絶対的であったことはありませんが、それでもいろいろな場面で「最後の砦」の役目を持っていたものです。
高度経済成長期には、個人の生活基盤の安定・強化に、職場の役割が大きくなりました。
職場の役割が大きくなったのはいいことですが、それに比例して、家族や地域の役割を減少させるマイナス面も進行していましたが、目を向けられませんでした。
バブル経済が崩れ、多くの職場での社員の生活を保障するいろいろなシステムが弱体化しました。
それに対して、家族や地域がその役割を復活させる事態は全体としてみればほとんど生まれなかったのです。
「最後の砦」は1990年ごろにはかなり弱体化しています。
これには地域差や家族差がかなり大きいのですが、それでも高度経済成長以前の日本社会と比べてかなり弱まっていると指摘されなくてはならないでしょう。
2011年の大震災の後、絆(きずな)が急に持ち出されてきましたが、それは時間をかけて地縁・血縁の結びつきの衰退とともにすり減っていったものです。
少なくとも新たに持ち出された絆の中身が「相手を思う心」以外に何があるのかは行方不明です。

1990年代の初めのバブル経済の崩壊により、大手企業を中心に海外への移転がすすみました。
その反対側で国内企業の衰退が生まれ、就業難の時代が始まりました。
就職氷河期と称される時代がありました。
こういう社会のいろいろな変化が、時代の空気をつくり出しました。
こういう時代環境は、日本人全体に感じられるものでしたが、とりわけこの時代の空気をストレスの強い、自己責任として感じやすいタイプの人におしよせました。
注目すべきは、それらは確かに各人の個人特性に関係しているけれども、その背後には時代変化による世代間のギャップがある点です。
世代間のギャップといいますが、そこにギャップを感じる繊細な人たちが新たに生まれてきていることがまた、時代的な背景の表れでもあり、その内容でもあります。
発達障害というのが広く考えられるようになったのは1990年代です。
これは身体科学の成果でありますが、該当者が医療現場や心理相談室に行くようになった結果でもあります。
最近ではHSP、HSCという感覚の過敏性の高い人が注目されていますが、同じ事態と申し上げていいと思います。
似たようなことはLGBT(性的少数者)にもいえます。
これらの人たちは以前からいました。
それらが表面に現れたのは、人権意識あるいは人としての公平感の向上がありますし、それとともに隠れていたLGBTあるいは発達障害の人たちを表に出せるようになったのです。
今では世代人口の7~8%はいると推測されています。
1980年代の半ばに、不登校生が増え始めました。
90年代になるとひきこもりが表れ始め、徐々に増え始めました。
これらの人が生まれたのは1970年代の半ば以降です。その人たちが思春期に差し掛かるころ不登校が増えたのです。
その人たちが社会に入る時期にひきこもりが増えたのです。これは個人的な特性だけで説明できることではありません。
たかだか同世代の1~2%の人に生じたことでその個人特性に合わせて対応すれば何とかなるものではなかったのです。
この世代の精神文化、仕事・働き方に関する意識が全体に変わってきており、その突出する部分がひきこもり、発達障害、HSP、あるいはLGBTと考えられるのです。
いまなお不登校生もひきこもりも増大しています。
個人対応では問題の大きな所在にたどり着かないことの証明ではないでしょうか。
ひきこもりの人はざっと100万人、おそらく成人人口の1%ほどでしょうが、社会のある現象はいつのばあいでも、より敏感に感じる人とそうでない人に分かれて表われるものです。
私が出会った不登校やひきこもり経験者の多くが、感受性の強い世代であったということは、これとは無関係ではなく、その証明でもあります。
これらはこれまでは主に個人の問題と考え、個人的な対応が考えられてきたのです。
しかし、もはやそれでは見通しのある対応はできないところまできました。
障害者雇用を準備する作業所や、LGBTに対応するパートナーシップ宣言などはその現われ始めた制度の代表でしょう。
これらの面を私は評価するのですが、ひきこもりに関して言えば、就業支援に偏っていては大きな前進は図れないと思います。
社会的・経済的な面から説明を試みて、その点を強く確信するのです。
以上はラフスケッチです。それぞれの個所を証拠立てることも必要でしょう。
反証となるものもその意味するところを説明することが求められるものと考えています。
ここまでたどり着くのに多くの期間が必要でした。
限られた条件の中で考え続けてきたものです。

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