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ひきこもり発生の基盤的要因は家族制度の不全性

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ひきこもり発生の基盤的要因は家族制度の不全性

社会的ひきこもり、ここでは単にひきこもりと称していきますが、その増大を年代において見ることはその社会的背景、社会経済的な関係においてみることです。
日本における社会的ひきこもりが増えたのは1990年代、先行的には1980年代に始まりました。
ひきこもりの要因は、人間の精神活動の大部分がそうであるように、個人の性格などの資質の面とその人が生きる歴史的、社会的環境条件に左右されます。私はこれまで個人の状態や心理や家族・友人関係の両面から理解しようとしてきました。
1980/90年代の日本に、あるいは世界に何があったのでしょうか? 多くのことがあり、その中でも重要である部分を私なりの相互に関係する系列として列挙してみます。
⑴ 高度経済成長により日本が高度に発達した経済社会に到達したのは1970年代のはじめです。すでに工業社会でしたが、高度経済成長に前の就業人口の最大は農業でした。高度経済成長を通して農業は衰退し工業が成長し、製造業就業者が最大になりました。まだサービス産業の就業者は最大にはなっておらず、情報(化)社会の入り口にたどりついたところでした。
⑵ 国内においては大きな人口移動がありました。1955年の総人口は9000万人ほどで、そのあと1億3000万人に増加しました。工業地域・都市への人口移動が続きました。やがて全体的に人口は増えたにもかかわらず、農山村では過疎状況が生まれました。
⑶ この人口移動において1つの家族は国内に分散しました。同一家族の子ども世代は都市に移り、そこに定着し、父母・祖父母世代は農村地域に残りました。血縁的家族の分散が進行し、地域的な共同体もまた変化し衰退しました。
⑷ 産業構造の変化のなかで女性の就業者が増大しました。それ以前の女性就業者は、家業的な農業を除くと衣料・食料などの軽工業部分が中心でした。サービス産業の発展により男性よりもこの分野では女性就業者が多くの割合を占めるようになりました。一時「男は仕事、女は家庭」という女性就業者増加の足ぶみに近い時期もありましたが、全体の女性の就業者増加傾向は一貫していました。
⑸ 1990年代に雇用における非正規型労働が増大し、これは就職氷河期という時期を生み出しました。この要因には1985年のプラザ合意という資本主義世界におけるアメリカの衰退を支える対応でした。日本国内では円高の急激な進行と資本(企業)の海外移転を招いたことに関係します。この事情はひきこもり発生にかなり強い関係があると考えます。
⑹ 社会経済の変化はさらに多くの面に及びます。工業化に伴う公害の発生と地球環境への関心の高まり、人口偏在に伴う全国的な鉄道網の崩れと高速道路網の整備、小売業におけるスーパーやコンビニの広がり、保育園の拡充(と後の介護施設の増大)、男女雇用機会均等法が成立、ジェンダー平等と少子化の進行など多くの分野に変化がありました。高校教育の拡充・大学進学率の増大では男女差がなくなりました。これらは相互に関連の強い分野もあり日本の経済社会の発達にともなう複雑な構造を形づくっています。これらにもひきこもりの増大と関係する部分はあると思われます。
このようにみれば女性の就業・社会進出増と家族の変化が大きな意味を持つと考えられます。これは他の産業・経済社会分野とは異なる意味をもちます。人間の生活に必要な物品は生産関係(流通・消費・所有関係を含む)の状態に表われます。20世紀の日本の生産関係の基本は資本主義的な関係です。
物品生産以外の人間生活のもう1つの生産、それは人間自体の生産であり、女性の就業増と家族の変化は直接的な影響があります。家族関係における一夫一婦制の単婚家族(核家族)の成立は早くに成立していたはずですが、いろいろな攪乱条件によって(例えば父系制存続のための公式の妾制度)によって補完されてきました。
この家族関係が変化し始めました。1980/90年代の大きな社会的変化の時代に、とくに若い世代の感受性ゆたかな人たちにより、家族内の不全性は察知されました。核家族が多数を占める現代においても夫婦単婚家族における“家父長制”の残りがあり、家族内の不全性と表わします。
その家族内の不全性の発生はいつのことでしょうか? 女性が中心的な生産的労働からの解放(または排除)された古い時代です。人類が生まれた長い期間、生産力は低いままでした。生産力の低い社会はまた母系制社会であり、「元始、女性は実に太陽であった」と平塚らいてうさんが1911年に「青鞜」創刊で表わした人類史の長い期間です。
「青鞜」創刊の辞は続いて言います。「久しく家事に従事すべく極め付けられていた女性はかくてその精神の集注力を全く鈍らして仕舞った」。結びは「烈しく欲求することは事実を産む最も確実な真原因である」。
社会的分業が生まれ、生産力が上がります。生産力が高まった時期に、女性は栽培農業という生産力の高い分野の中心ではなく、家事と家族内ケアが中心になりました。
それは自然な性の役割分担であったはずですが、男女差の社会的な上下関係に定着しました。家事と家族内ケアは非生産的労働とされてきたのが女性の社会的位置に置かれた始まりです。それは慣習や常識として継続してきました。
女性が社会進出した時代であるからこそ、その不全性が明らかになったのです。若い世代の特に感受性の強い人の一部が、この状態のおかしさを非言語的な行動(振るまい)として表現した、それがひきこもりと考えられるのです。
ひきこもりのより直接的な要因には乳幼児期の虐待またはマルトリートメント(不適切な養育)が関係します。子どもの虐待とか少子化問題は「家事労働と家族内ケア」の再評価なくしては根底的には改善されないでしょう。これは平塚らいてうさんの訴えを今日に引き継ぐものです。
言い換えると核家族化に続く家族関係の根底からの変化が求められています。ひきこもりの増加した時期とは家族関係の変化が始まった時期と考えられます。
家族内の不全性が気付かれ、少子化が重大な社会存続の時期とされる現在は、同時に家族が分散し、崩壊が進んでいる時代です。それはこれまでの家族関係に代わる新しい家族関係が生まれつつある姿の反映です。ひきこもりがこの反映の主流とは言えないでしょうが、従来の家族関係のゆがみを変則的に表面に持ち出したわけです。
しかし、列挙した社会経済生活の多様で複雑な問題のなかで、家族関係の不全性がひきこもり発生の基盤とするには十分に要因が示されてはいません。私はこれらを推論、推測の仮説として提示します。その仮説のいろいろな面に言及し、検討してきました。しかしなお途上にあります。
今まさにこの家族内の不全性の改善・解消の時代に入っています。日本はこの面での遅れを指摘されています。それは重要な指摘とは思いますが、日本的特色の全体がどうかはまた別でしょう。新しい家族関係が模索されています。それらも検討の対象です。
(2025年6月30日)

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