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よくしゃべる子

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よくしゃべる子

松村淳子(助走の場・雲)

過去に出会った不登校や引きこもった状態にある若者たちは多くが自分の気持ちをなかなか表現できず周囲にもわかってもらえず、苦しい思いをする子たちが多かったように感じます。
しかし、その反面、私がかかわってきた不登校になった子の中で、「よくしゃべる子」たちもかなりいました。
外の世界には思いをぶつけることが難しいのは同じですが、彼らは家で、親に対してはとても饒舌です。
実はそういう「よくしゃべる子」たちのほうが概ね予後が良いように感じます。
そしてそれにある程度付き合っていくとその後の親子関係も良好になるケースが多いようです。
彼らは親に何回も何回も同じ小さい時の思い残しの話や、今の自分の気持ちや苦しさ、日々の生活の不満を延々と親にぶつけてきたりします。
親の都合や事情はお構いなしです。
ほかの子ができていることが自分にはできていない、「自分はダメなんだ」と自尊心が傷ついた、そのやり場のない苦しさがそうさせていることもあるでしょう。
話を聴いてもらっているときに親が少しでも他に注意が向いたり、眠そうな様子を見せたりすると「ちゃんと聴いて!」とか「寝ちゃダメ!」などと親をなかなか解放してくれません。
日常生活に追われる親にとってはその話を聴いてはやりたいものの、彼らの話は往々にしてまとまらず、また堂々巡りを繰り返し、聴く方も本当に消耗することも多いようです。
そんな話を頑張って聴こうとしても日々の疲れなどが加わってなかなか子が満足するまで聴いてやることができず、彼らはまたそのことで不満を親にぶつけます。
親にとっては苦行のような毎日が続くこともしばしばです。
しかしこの行為の中にはある意味子供の親に対する「試し」の要素も含まれているようです。
どんなに忙しくても自分のことを優先してくれているのか。
自分を大事に思ってくれているのか。…などです。
そんなある意味不毛にも見える毎日からゆっくりではありますが絡んだ糸が解れていくことを親は感じることがあります。
気が付くと小さい頃の思い残しの話が減ってきた、少しは親の事情も考えに入れて話すようになってきた、
「これ、前にも言ったけど。」などの言葉、最近笑顔が多くなってきた、などなど・・・
ちょっとしたところにそんな兆しが見えてきます。
  親にとっては苦行でも、実はこの行為は彼らにとっては苦しい道を通り抜けるための必要な通り道なのです。
彼らもしゃべる行為を通して少しずつ自分の考えがまとまってきたり、親にわかってもらえたと感じる瞬間を何度か経験して自分自身の傷も癒えていったりと。
そうして成長していくようです。
彼らに付き合った何年間かはその後の親子関係にきっと良い結果をもたらしてくれることでしょう。

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