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ネット社会において個人非難を恐れる人たち

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ネット社会において個人非難を恐れる人たち

1970年に高度な経済社会に到達し20年過ぎた1991年にバブル経済が崩れました。
就職難が続き、その一方ではインターネットが世界的に広がってきました。
ひきこもりが90年代に入って増大したのはインターネットの普及が関係するのは確かでしょう。
外と遮断された架空の世界に閉じこもる環境ができたことはよく知られています。
それがひきこもりに結びつけて考えられるのです。
しかし、ひきこもるのは別の理由もいくつかあり、今回はネットの普及に関係する別の面です。
バブル経済が崩壊し就職難だった時期とはいえ、日本はそれでもゆたかな国です。
そのゆたかになった国民はその生活に匹敵するゆたかな精神生活のなかにいたかといえばそうではなさそうです。
落ちついた表現と並んで、人をこきおろす風潮や攻撃的な気分も強まりました。それらはネットを通すと伝わりやすいのです。
それには理由がいくつかありますが、私なりに気づくのは次のことです。

(1)国民全体の生活がゆたかになったのではなく、貧富の差が拡大してきたことが背景理由にあります。
とくに中間層が下層に押し下げられる状態にありました。
力の弱いほうへストレスが向けられ、社会の底辺にいる人への攻撃も強まったのです。
(2)告発型・批判型の意志表現は、支配的な強者に向けられる以上に、身近な同類の人とのわずかな違いや失敗に非難の形で向けられたのです。
少し名の知れた人に向けられただけではなく、一般人や立場の弱い人へのバッシングになりました。
私はこれらの事情を、居場所に集まる人たちの会話に見てきました。
そこで語られるのは「怖れ」です。
2000年のころは「2チャンネルでたたかれる」ことを恐れ、2010年ころからはSNSに広がったと思います。
居場所に来ていた人がネット上のバッシングを受けていると不安げに話しています。些細のことにおびえている風です。
居場所に来るとそこでも自分のふるまいが非難されるのを恐れます。1人でも非難がましく言う人がいれば絶望するかのようです。
自分らしい表現や行動を抑制しているのでしょう。
心の奥底で自分を肯定的に支えるのではなく「自分を受け入れられない」気持ちが働くのです。
私もときどき新聞にとり上げられており、ネット世界でバッシングにあっていると居場所に来る人が教えてくれました。
完璧な人間ではありませんから、どこかをつつけば弱点はあります。
彼ら以上に非難されているはずの私はそれを気にしません。
ある人が「ネットでたたかれるようになって、ようやく市民権を得たと確認できるようなもの」と言っていたのを覚えています。今も同じです。
(3)世の中には心あたたまる出来事も少なからず生まれていますが、それは身近な人の範囲をこえて広まることはありません。
他方では「悪事千里を走る」状況があります。ニュースとしてマスコミで報じられたものは広がり、心あたたまる出来事は広く伝わることは限られるのです。
身近な、比較的似たような人のわずかなこともネット上でとりあげられます。悪事、失敗、弱点として誇大に加工されます。
(4)以上のことを含みますが、インターネットの時代、SNSの時代における他者尊重、ネットリテラシーの欠如がこれらを増幅させています。
これらは時とともに学習され、改善されると期待していますが、個人のマナー以外の作用もあります。
政治的利用や、経済的利益のために改善への移行が停滞するのは残念なことです。
(5)ネット上の表現、とくに広告または広告収入の多少に関わると誇大にされることも見逃せません。
商品・サービスのよしあしはそれ以上にその広告がどれだけの人の目に届いたかに左右されます。
いわば検索にひっかかりやすい極端な言葉づかいが横行するのです。

以上の国民感情がネット上でいかに表現されるのかを、国民性や感情表現の特色から詳しく描き、分析したのが
岩波明『他人を非難してばかりいる人たち―バッシング・いじめ・ネット私刑(リンチ)』(幻冬舎新書.2015)です。
これ全体を要約する記述はありませんが、「ネットにおけるバッシングや炎上には多くの要因が関連しており、個々のケースによって、事情はさまざまである。
いずれの場合にも、ネット住民のルサンチマンすなわち嫉妬心がベースにあることは共通しているが、それにとどまらず、マスコミや時にはネット管理者によって、「騒動」が起きるように誘導されているケースもみられる。
また事件に対する扱いには、日本人独自の特性や感性が関連していることも多い」は、ポイントを衝いています。

いったん悪評としてネット上にふりまかれるとそれをとり返すことは不可能です。
ネット管理者に削除などを訴えてもなかなか削除にはならないし、削除されてもとり返しが難しいのです。
この悪評を発した人の匿名性は守られ、何のおとがめなしという状態が続いています。
この状態への対応策も考えられ始めていますが、まだ始まったばかりです。
ただこれは歴然とした証拠は残りますので、法的な対応策は可能でしょう。
  このようなインターネット、とりわけSNSが広く利用される社会において、声を発しない人、気弱な人、内向きな人はさらに「目立たない生活」に向かいます。
ネットリテラシーが、初期の、もっと無頓着に考えられた時期(およそ2010年まで)は、これらの人がひきこもり生活に入る時期に重なります。
この状態はいまなお続いていますが、声を上げる人が増えてきたこと、誇大表現が見すかされてきたこと、ネット利用の向上、フェイクニュースへの警戒心が高まるにしたがい改善も見られるのでしょうか。
何も変わっていない、むしろひどくなっているという意見もあります。

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