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プラザ合意:企業の海外移転、就労条件の変化

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プラザ合意:企業の海外移転、就労条件の変化

家族・学校・地域(都市域)の変化の中で、1990年ころからひきこもりは周囲の人の中で知られるようになりました。
それまでも徐々に増えていったのですが、目につかないのがひきこもりです。
1990年ごろとは何か? 
先にそれまでの成長した時期をバブル経済と振り返るようになったと書きました。
確かに大きな変化があったのです。
ここでは関満博『日本の中小企業―少子高齢化時代の起業・経営・承継』(中公新書、2017)からいくつかの点を紹介します。
「(1970年以降の)この45年を振り返ると、1985年から92年の七~八年を境に、それ以前とそれ以後では、日本の中小企業の現場はまったく違った国のように思える。
1985年はプラザ合意の年であり、日本にとっては一気に円高が進んだ…」
1985年:1ドル=240円前後
1986年:1ドル=168円
1994年:1ドル=108円
(関満博・前掲書、197-198p)
この円高のスピードと規模はすさまじいものであったといわなくてはならないでしょう。

1980年代の後半に世界の資本主義国間で矛盾が深まり、貿易の不均衡がうまれました。
それを解消するために先進5か国がプラザ合意という協調政策を取りました。
その結果、日本の円高が異常なレベルになります。1985年に1ドル=240円前後だったものが、1994年には1ドル=108円です。
アメリカなどの貿易収支は改善に向かいましたが、特に日本は大きな影響を受けました。

*ウィキペデイアによるプラザ合意の説明
1985年、日本・アメリカ・ドイツ・フランス・イギリス先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート“安定化”に関する合意の通称。
輸出が需要創出の大きな柱である日本が為替レートを意図的に調節することは大きなリスクを伴う。
協調介入によって人為的に円高に導いた結果、農林水産物も、鉱工業製品も、日本人労働も、全ての日本産品は競争力を相対的に失い、自然な経済成長リズムの破綻に繋がった。
日本にとって不利になるこの合意がなされた背景には、以前からの日米貿易摩擦に加え、ハイテク分野でも日本の成長が目立ってきたことなどによる危険視の加熱があった。
1980年代前半にはアメリカの莫大な経常赤字により日本では輸出が急伸し、経常黒字は著しく増大、これにより輸出産業を中心に好業績の企業が相次いだ(ハイテク景気)。
当時アメリカは、財政赤字と貿易赤字という、いわゆる双子の赤字を抱えており、日欧諸国はアメリカによりもたらされる経常黒字が物価上昇圧力になっているという指摘があった。
これらの世界経済不均衡を是正するための効果的な手段としてドル安への誘導がなされたという指摘がある。
ドル安にすれば米国の貿易赤字、とりわけ対日貿易赤字が目減りすることが期待された。
当時の中曽根康弘首相・竹下蔵相・澄田智日銀総裁らによって決断されたこの政策は、日本がアメリカの赤字解消のための為替操作を容認した対米妥協策との解釈が一般的である。

*ウィキペデイアによる就職氷河期・氷河期世代の説明
就職氷河期は、社会的に就職難となった時期の通称。
リクルート社の就職雑誌『就職ジャーナル』が1992年11月号で提唱した造語であり、1994年の第11回新語・流行語大賞では審査員特選造語賞を受賞した。
就職氷河期に該当する世代は、1970年(昭和45年)4月2日から1982年(昭和57年)4月1日まで、または1984年(昭和59年)4月1日までに生まれ、1990年代半ばから2000年代前半に社会に出たり、2000年前後に大学を卒業した、2019年現在において40歳前後や30代後半から40代後半を迎える世代のこととされている。
氷河期世代
日本では、就職氷河期時に就職活動を行った世代のことを「氷河期世代」と呼ぶ。
内閣府は2019年6月21日の閣議決定「経済財政運営と改革の基本方針2019」において、「(2019年)現在、30代半ばから40代半ば」と定義しており、厚生労働省は2019年8月30日の発表において、「1993年(平成5年)から2004年(平成16年)に学校卒業期を迎えた世代(33歳〜44歳)」を指し、中心層は35歳〜44歳と説明している。
2021年現在の「30代半ばから40代後半(35歳〜46歳)」は、概ね1975年(昭和50年)から1986年(昭和61年)生まれ(但し、それは高校卒業時に就職した者を基準にした場合)に相当する。
大学卒業者の場合は4歳ほど上にずれるので、氷河期世代の範囲は2021年現在で40歳〜46歳(概ね1971年〈昭和46年〉度から1981年〈昭和56年〉度生まれ)となる。

こういう事情が引き金になって、製造業の多くが海外(特に中国や東南アジア地域)に移転していきました。
国内での企業活動の縮小とともに、失業者の増大と就職難が始まりました。
新規の事業所よりも廃業する事業所が多くなります。
それとともに企業の雇用方法にもにも重大な対策が持ち込まれました。
1992年には“バブル経済の崩壊”になりました。 企業の海外移転、非正規雇用の導入の原因がすべてプラザ合意によるものではないでしょうが、それ抜きに説明できないし、最も基本的な要件であったことは消せません。
これは次章以後で見ていきます。

その国際的な為替変動の伴う経済的な背景事情を描きながら、関満博さんは90年以降の特に若者たちの起業に対する意欲の低下を指摘します。
こう述べています。
「1985年までの現場では、中小企業のまだ若い経営者たちが、顔を真っ赤にして「未来」を語ってくれたものであった。
だが、プラザ合意の1985年から92年のバブル経済崩壊までの「喧噪の七年」とでも言うべき時期が過ぎると、現在に至るまで「未来」を語る経営者に出会うことは、ほとんどなくなっていった」
(関満博・前掲書、198p)
関満博さんは、このような変化をとらえるのですが、その後の変化の中でいくつかの特徴も示しています。
2000年に介護保険制度ができた後、従来の工業型事業所に代わって医療・福祉型の事業所が生まれたこと、農村での農産物直売などの女性が中心になる事業所が多くなっている点です。

生産拠点の海外移転策は、その弊害をいくぶん解消する動きが出てきたのが2000年に入るあたりからです。
そう目立ったほどのものではないと思いますが、そこに2020年の新型コロナウィルスの大惨禍が地球を襲いました。
これは多くの影響を引き起こしているはずですが、全容を見るのはまだ先のことです。
1つ先に表れたのはエッセンシャルワーク(人の生活に必須の労働)が注目されたことです。
マスクなど衛生や医療に必要なものが国内で生産されていない状況が明らかになりました。
もう1つは、国際分業を広げるにしても、必須の物は国内で生産をしながら海外では分散する必要が明確になりました。
生産供給網(サプライチェーン)の見直しです。
このサプライチェーンの見直しの中で企業の国内回帰も考えられそうですが、まだ何ともいえない時期です。
今のところ、この視点が農業や農産物に対してどの程度向けられているのかもわかりませんが、いずれその目は出てくるでしょう。

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