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下重暁子『家族という病』から新しい家族像を予想

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下重暁子『家族という病』から新しい家族像を予想

家族の問題を考えるために、古本屋さんで買った下重暁子『家族という病』(幻冬舎新書.2015)をひっぱり出しました。
家族論を書いたのではなく、家族の体験を盛りこんだエッセイです。新しい家族像を考えるのに、うってつけの意見があると考え、ここと思うところを抜き書きしてみました。それぞれの項に見出しをつけました。
出て来た順に並べたわけで、問題を体系的に考えるわけではありません。

家の仕事の分業
「かつては、夫と妻の分業があったが、今では男も女も外と内で入りまじって、自分の期待を満たすことが出来る。相手に期待する前に自分でやればいいではないか」(p42)

介護の問題
「現代社会で大きくのしかかってくるのが、介護の問題である。私のまわりには、そのために仕事が出来ない人も多い。親の介護がある場合は、やりたいこともやれず、諦めざるを得ない。
組織の中でも今では当たり前のこととして産休や育児休暇がとれる。法律上は男もとることが出来る。ずい分改善されてきたが、一番手足をしばっているものは、親の介護である。
介護休暇があるところも少ないし、公的な介護機関も人手不足で行き詰まっている。団塊の世代が年をとり、高齢者がいっそう増えようとしている現在、再び介護の問題は家族に託されようとしている」(p44-45)

戸籍上で夫婦ではないパートナー
「パートナーという呼び方も多くなってきた。パートナー、日本語に訳せば、つれあいである。
パートナーは結婚した相手でなくともいい。暮らしを共にしている人、特別の間柄の人、異性とは限らない。同性同士でもいい。お互い一番信頼出来る人ならばいい。
籍などという枠にとらわれず、「パートナー」という言い方は自由でいい。 私はもともと籍など入れるつもりはなかった。だが実際暮らしていく上で、日本では様々な制約がある。夫婦別姓は当然だと思えるのに、その都度使い分けなければならぬ不便さ。
パートナーでいられれば十分だ。欧米では当たり前のことになっていて、戸籍上の妻の他にパートナーがいる例がいくらでもある。日本人女性は、60歳になってドイツ人の70歳になるパートナーを見つけた。彼女は戸籍上の妻ではない。
フランス歴代の大統領、ミッテランも先代のサルコジも、今のオランドも、みなパートナーがいる。公の場でも堂々としていて気持ちがいい。
家族という閉ざされた関係ではなく、外に向かって開かれた家族でありたい」(p70-71)

養子のすすめ
「かつては「嫁して3年 子なきは去る」といって離婚させられた例も少なくはない。しかも跡取りの男の子を産むことが求められた。
子供は何も、自分のDNAを受け継いだ子でなければならないわけではない。DNAが受け継がれていなくとも、みな同じ子供なのだ。
欧米では自分の子がいても、養子をとる例は多い。我が子同様に育てている。
なぜ日本人はDNAにこだわるのか。自分と血のつながった子をこの世に残したいという本能的欲求が先祖から累々と続いているからだろうか。それが血のつながり、イコール家族という考えに結びついていく。 血などつながらなくとも、思いでつながっていれば十分ではないか。思いがつながらないから血に頼るしかないのでは、と皮肉の一つも言いたくなる」(p84-85)

墓の役割と扱い
「同じ考えの人達が集まってスタッフを募集し、最後までお互いを尊重して暮らす、新しい形の家族の試みが始まっている。
自分たちで家族をつくる。心許した仲間と同じ墓に入る。そうした試みが見られる。仲が良いわけでもなく、心も許せない家族が無理やり一緒に墓に入るよりは、よほど自然なことだ。
海に骨をまいて欲しい、樹木の根元に埋めて欲しい、と葬り方も色々である。なにも家族が同じ墓に入らなければいけない理由はない。
墓のあり方を見ても、いかに家族が変わってきているかがよくわかる。死んでまで、夫の家の墓に入って姑にいびられたくはない。忍耐はもうたくさんという気持ちだろう。死後のことを考えると家族のあり方がはっきり見えてくる。
私のまわりでも、先祖代々の墓には入らない、夫と一緒の墓には入りたくない、という例が多い。生前は世間体などを考えてがまんしてきたが、死んでまで夫と一緒にはいたくない、心の通じ合う人や自分の父母といたい、という思いもわからなくはない。
顔も知らない人と同じ墓などまっぴらごめんというわけである。
私自身のことを考えても、下重の家、私の父母の墓の方が、つれあいの墓よりは気心が知れている。
私の兄は、自分達だけの墓を作った。冠婚葬祭の際にだけ家族が集まることが多いのだが、それもすっかり崩れてきて、家族は名目上のものになりつつある。
家族が形骸化し、心のつながりという一番大事な部分を失いつつある証拠だろう」(p73-75)

働く女性の増大、結婚年齢の高齢化と非婚者の増大、高齢出産の増大と離婚率の増大、そして少子化。
これらが現代の家族関係の変化、その弱体化に関係するのは確かでしょう。その一端を下重さんは個人の体験として率直に書きました。
なかにはとんがった意見もあります。しかし時間とともにより多くの人に受け入れられそうです。
生活から生まれる自然な感覚は家族関係を動かす原動力です。復古的な主張で事態が大きく変わるわけではないです。

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