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伝統的な家屋の構造の精神作用

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伝統的な家屋の構造の精神作用

西谷さんが目を向けるもう一点は住居です。
典型例は「屋敷地に複数の核家族が屋敷地共住集団を形作る」と指摘する様子です。
中世に生まれた核家族は、家という中に含まれる共同的な核家族、しばしば大きな屋敷内の同居する核家族体、核家族の集合体といえます。
それが20世紀後半以降の今日から振り返るとは家父長制的な家制度の基盤になったと思えるのです。
住宅条件も和辻さんの『風土』で取り上げます。
「人間の間柄としての家の構造はそのまま家屋としての家の構造に反映している」(173p)といいます。
「「家」はその内部において「隔てなき結合」を表現する。
どの部屋も隔ての意志の表現としての錠前や締りによって他から区別せらるることがない。
すなわち個々の部屋の区別は消滅している。
たとい襖(ふすま)や障子(しょうじ)で仕切られているとしても、それはただ相互の信頼において仕切られるのみであって、それをあけることを拒む意志は現わされてはおらぬ。
だから隔てなき結合においてしかも仕切りを必要とすることが他方では隔てなき結合の含んでいる激情性を現わしているのである。」(173-174p)
この日本的な家屋の特殊性をヨーロッパの住宅と比較し別の面を見ます。
「ヨーロッパの家の内部は個々独立の部屋に仕切られ、その間は厚い壁と頑丈な戸によって隔てられている。
…これは原理的に言って個々相隔てる構造といわねばならぬ。」(174p)
「…日本人は外形的にはヨーロッパの生活を学んだかも知れない。
しかし、家に規定せられて個人主義的・社交的なる公共生活を営み得ない点において、ほとんど全くヨーロッパ化していないと言ってよいのである。」(175p)

高度経済成長期における急激な都市への人口移動は、新たに都市住民になる人たちの住居条件をかなり変えました。
特に団地・アパート・マンションという集合住宅においてはかつての日本家屋の構造は維持できなくなっています。
それでも固定的な壁ではなく襖や障子が取り入れられて作られるし、戸建て住宅においてはその割合はより多いと思われます。
それらも時とともに(そこに住み人の意識の変化によって)徐々に固定的な壁とドアと各部屋に鍵のある家が多くなったと思います。

私は過去20年間に70人ほどのひきこもりとそれに準じる人、その家族の自宅訪問をしてきました。
家屋の状況を調べる意図はなかったので、その点の記憶は明瞭ではありませんが若干の感想を入れましょう。
訪問先は古くからの住宅街も新興開発地域の住宅もあります。
一戸建て住宅も集合住宅(アパート、マンション、団地)もありました。
襖や障子で自分の部屋が仕切られていた場合もありますが、ドアで仕切られていることもありました。
部屋の区切りにはドアはあっても鍵がない場合は多かったと思います。自分で自室の鍵を取り付けた人もいました。
同じ日本家屋の状況とは言え、年月とともに徐々に各部屋の独立性は高くなっている印象を受けます。
それでも自宅と自室との境界は全体として不明瞭です。
家の内と外との区別ほど明瞭ではありません。

こうした自分の部屋が独立していないが住居状況による出来事、事態の表われ方を『ひきこもり国語辞典』に見ることができます。
例えば次のような形です。

〇居間:「家族の誰もが集まるこの部屋から排除されるか自分が占領するかによって家族内の自分の地位が決まります。
自室は自分の物置部屋にして、居間を寝室代わりにしています」

〇空っぽ:「自室でパソコンを使っていました。
家族から呼ばれた気はしたのですが、よく聞き取れなかったので無視して好きなことを続けていました。
突然にドアが開いて、わけの分からないことでしかられ続けました。
関係ないだろうと頭にきたんですが、言い返す間はありません。
怒りがわいたのですが終わりにはそれも消えて、怒りで頭が空っぽです」

それでも自室の独立性が徐々に高くなっている変化は確認できそうです。
ビル型の住宅の増大、冷暖房機や空気清浄機の普及などと相まって、個人の独立性の意識が徐々に高まっている背景が関係しているはずです。
この2つの要素はたぶん並行していますが、若い世代からの独立意識が先行し、それに伴って住環境における個室の独立性がひきずられるように高まったものと推測します。

もう一度『ひきこもり国語辞典』からいくつかを紹介しましょう。
〇要塞:「自室には誰も入れません。数年前に母の掃除を拒否してからは、家族も入らなくなりました。
入り口付近に物を重ねて入りにくくした自室は家庭内のできた要塞です。ここが静かに落ち着ける場です」。

〇万年床:「家にいて申し訳ないほど何もしていないと、床や畳よりも布団の上がよくなります。
家での自分の居場所は布団の上だけが定位置です。
うっかり布団をたたむと自分の居場所がなくなる気分に襲われます」

これらはこの家屋状態ならではの気分やアクシデントではないでしょうか。
住宅環境はこのほかにもいろいろな形で家族関係に表われているのです。

和辻さんのいう日本家屋の状況が「日本人の配慮的な性格」を生み出す根拠に挙げた論文があるので、それに引き継いでみていきます。
近藤章久「日本文化の配慮的性格と神経質」(医学書院『精神医学』1964年2月所収)です。
私が持つのは小川捷之・編集・解説『対人恐怖』(「現代のエスプリ」1978年2月発行)に転載されたものです。
私は日本人の精神性を感受性の色合いの強いと表現しますが、この配慮的な性格とは矛盾はしていないものと考えます。
近藤論文は和辻さんの意見を受け取って、精神医学の立場から日本人の精神生活が配慮的性格を持つ点を詳しく述べたものです。
私の理解で、近藤論文から「日本人の配慮的な性格」を生み出す日本家屋の状態を2点に挙げておきます。
(1)家のうちにおいて、各部屋は板戸、フスマ、障子で仕切られるが独立性を喪失している(89p)。
家族間では言語的な表現ではなく、物音や動作・動きなど非言語的な表現が多くなる。
暗黙のうちに互いの気分や気持ちを了解する感受性を発達させる。沈黙や静寂もまた気分や気持ちを象徴する。
心理的な距離を取ることを困難にし、知的発達にとっては必ずしも良い条件とは言えない。
ありかたは感情的、情緒的を主とする。
(2)ことば(日本人の生活語)は言語的なコミュニケーションよりも精神状況を把握する了解的な方法を持つ。
親と子の間では、「子供に対する配慮・保護は、親の自我にとって必要であり、欲求せられる」。
こうして近藤さんは「日本の家のうちの相互依存的共生的な配慮的精神状況が、これを可能にする地盤であると思われる」(102p)といいます。
これが家屋と人の精神状況の関係を示す要点になっていると思えます。
結論として確かなことは、日本の家屋の状況がひきこもりの生まれやすい住宅の環境条件にあると肯定的に評価できます。
ただし、この日本家屋の状況がひきこもった人とそうでない人の区別をする証拠とするには不十分です。
非言語的な表現の意味するところ、また日本語の特徴と影響についてはまた別項目にひきついで見ることにします。

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