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体験記・いろいろな仕事にチャレンジしてきたのです

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いろいろな仕事にチャレンジしてきたのです

〔『ポラリス通信』2015年7月号への投稿〕
著者:ライオン丸

私は、幼いころから、人と交わるよりも、一人で何かをするというのが好きでした。
中学時代や高校時代も、運動部に入って人にもまれ、社会性を育んでいけばよかったのですが、中学では郷土研究部、高校では歴史部と部員が2~3人しかいない部に所属しており、社会性や協調性、コミュニケーション能力をやしなうことはできませんでした。
大学に入り、日本文学研究会や考古学研究会などにも入りましたが、やはり他の人との人間関係がうまくつくれず、卒業まで続けられませんでした。
経営学科だったので、会計学のゼミにも入りましたが、勉強がきつくて途中で逃げ出しました。
柔道同好会というサークルにも所属しましたが、練習は週1~2回という趣味的なもので、柔道を軽く楽しみという感じで、人間関係は濃くないところでした。
私の父は大学時代、苦学したせいか、子どもたちには、苦労をさせずに、勉強に専念させたいという考えを持っており、私たちにアルバイトをさせませんでした。
大学院の修士課程に進学して、民俗学を専攻し研究しました。
大学院というところは、本当に自分の研究に専念すればいいみたいな環境で、人間関係の希薄なところでした。
学生時代は純粋培養的に、家の中だけで育ち、社会性のないまま終えました。
しかし、大学院修了後、もともと体の弱かった次姉が病気で亡くなり、その一か月後に父もそのショックで亡くなるということがあり、私もその影響で心を病んでしまい、精神科の病院に入院したり、通院したりということを続けました。
特別養護老人ホームでの寮母職を二か月でやめさせられたのを皮切りに、塾講師、ファミリーレストランのウェイター、甘味喫茶の調理補助、仏教雑誌の編集、ブランド情報誌の編集アシスタント、ラーメン屋、青果市場、指圧のお店、エキストラ専門の芸能プロダクションのスカウト、工場の軽作業、老人向けの宅配のお弁当の盛り付けなどいろいろな仕事をしました。
短期間で解雇されることが多く、どれも長続きしませんでした。
母の勧めで介護福祉の専門学校に進学しましたが、私のクラスの30数人中、私一人だけが介護福祉士の資格を取得できないという結果に終わり、つらい思いをしました。
学校の先生からは「お前はどこへ行ってもつとまらない」とか言われ、親戚の人からは「まともじゃねえんだ」といわれました。すごい傷つきました。
その後、精神科デイケアに通いながら、美容院のチラシを街頭で配布する仕事とか、葬儀会社の生前予約のチラシを自転車でポスティングするという仕事もしました。
デイケアでは、忘年会とかバレーボール大会とか八ヶ岳キャンプのプログラムもありました。
キャンプや忘年会では実行委員をつとめました。
デイケアと併設されている就労支援センターにも登録し、本格的な就労へ向けた準備もしました。
就労支援センターでは、陸上競技場の観客席の椅子拭きとか、霊園の草むしり及び清掃などの就労体験、登録して、就労している人の食事会やゲームなどを兼ねた交流会もありました。
支援センターの職員の推薦で、障害者の職業訓練の学校のOA実務コースに進学し、パソコンなどの事務職の職業訓練を受講しました。
訓練ののちに、支援センターの職員、学校の進路担当の先生、民間のしごとサポーターという支援機関の方の協力で、就職活動をして、郵便局の郵便窓口の仕事に内定が出て働きましたが、年賀状やお歳暮などの年末シーズンには多忙すぎて、私が周りの人の足手まといになり、二年後にはいられなくなりました。
その後、就職活動をして、某NPO法人の知的障害者の日中一次支援施設(デイサービス)で、支援スタッフをしました。
この経験より福祉に興味を持ちました。
NPO法人ワーカーズコレクティブ・グループともデイサービスはなもも、社会福祉法人和楽会、井田デイサービスセンター、社会教育推進全国協議会東京23区支部、東京朝鮮映画を観る会などのボランティア活動に参加しました。
グループホーム百合ヶ丘(認知症施設 レク担当)、サーフサイドセヴン茅ヶ崎ファーム(児童養護施設)、ばらの庄(有料老人ホーム)のボランティア募集にも応募しました。
これらの活動から社会の動きに関心を持ち、細川元首相が会長をつとめる公益社団法人整体協会にも短期間所属し、川崎市の柿生の道場に通い、創設者の野口晴哉氏の「風邪の効能」、「整体入門」などの著作を読み、活元運動や東洋医学も学びました。
日中一次支援の仕事だけでは、自立できるほどの収入がえられないため、働きながら、介護職員初任者研修の資格を受講し、他の受講生よりも、実技の覚えが悪いため、苦労しましたが、期限ぎりぎりでなんとか取得し、施設や在宅の実習も経験しました。
そして有料老人ホームの非常勤のケアスタッフに仕事が決まりました。排泄介助や移乗など、仕事がなかなか覚えられずに先輩からおこられてばかりでした。
サービズ残業ばっかりで、大変だったけど、文句も言わず、ただひたすら頑張りました。
そうしたらケア主任の方から、「将来は正社員になって、ケアスタッフ主任になってほしい」と言われました。
かつては特養を二か月でクビになったり、介護福祉の学校で資格もとれなかったのだから、あれからだいぶ成長したと思います。
そこで正社員になると、夜勤をいっぱいやったり、勤務時間も一般企業よりすごく長く大変なため、主治医に相談すると、病気のためによくないといわれ、他を探すことにしました。
そのあとエクセルシオ稲田堤校で塾講師のアルバイトもしました。
今は某特別養護老人ホームのデイサービスセンターでボランティアをしながら、就職活動をしています。
また大学院で民俗学を専攻していたことから、民俗学および政治学の研究を今も継続しています。
これまでは、伝統行事を研究テーマにしていましたが、今後は、少林寺拳法、なぎなた、二代目広沢虎造の「清水次郎長伝」などの浪曲など、日本文化一般を広く研究テーマにしていきたいと思っています。

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