カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


体験記・へんぷ・私と両親の関わり合い

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
移動: 案内, 検索
Icon-path.jpg メインページ > 体験者・当事者に関するページ > 体験者・体験記 > 体験記・へんぷ・私と両親の関わり合い

「私と両親の関わり合い」

著者:へんぷ(女性)


 今日は「私と両親の関わり合い」をテーマに話したいと思います。

 私は、気丈な母と昭和の時代を謳歌した父との間に生まれました。

 兄に厳しくしつけた事を悔やみ、母は小さい頃の私に出来るだけ優しく接してきたといいます。

 しかし父はまったくと言っていいほど子育てに協力せず、いつも自分勝手な行動ばかりしていたと聞いています。それは私も肌に感じていました。

 私が小学生の頃、母と父は毎日のように子どもの前でケンカをしていました。

 父は母の言う事を聞かずに怒鳴りつけるばかりでした。私は父の怒鳴り声がトラウマとなってしまい、怖くて怖くて仕方ありませんでした。それから私は短気な父をあまり怒らせないように気を遣い、機嫌をうかがっていました。

 ちょうどその頃私は中学受験のため、塾に通い始め、志望していた美術系の学校へ進もうとしていました。しかし学校に行っても塾通いのクラスメートと対立したり、家に帰って勉強をしていても母に「何でこんな問題出来ないの!」と叱られたり、塾に行っても成績が悪いことを先生に叱られ、どこにも居場所がありませんでした。小6の時、自殺を考え「誰もこの苦しさを理解してくれない」と嘆いていました。

 そしてようやく志望していた中学校に合格し、「これからは幸せな人生が待っている」と感じたのはハッキリ言って「思い込み」でしかありませんでした。

 学校でも人間関係や絵の上手い人との落差で悩み、友達に気を遣うようになりました。母と父の関係も上手くいかず、家でも気を遣っていました。ただ「授業だけは」と思い、真面目に勉強しテストでいい点を取って母に報告した時、ほめてくれたことだけが生きがいでした。

 しかし友達との確執が引き金となり、高校になって初めて学校にあるカウンセリングルームを訪れました。悩みを聞いてもらい、母も何度か通うようになりました。 けれど母は事の重大さを当時はまだ分かっていませんでした。

 高2まで学校を我慢していた私はついに「学校をやめたい」と初めて親に弱音を吐きました。やっぱり母は「なんでウチの子が」という思いだったらしく、必死で私を説得していましたが、私が3日間ずっと泣き通しだったため、現実を受け止め、許してくれました。

 こんな時も父は私に何の言葉もくれませんでした。全て母を通じて話しを聞き、私が不登校になった事について2人で喋ろうともしませんでした。できればあの時何か一言でもいいから声をかけてほしかったです。 そして自分で「病院に行く」と判断し、一人で診察を受け、与えられた病名は「ノイローゼ」というものでした。おまけに幻覚を見てしまう脳の障害があると言われました。

 私はこのとき認められた気がしました。母も父も友達も誰も自分の気持ちを分かってくれなかったので、病名を貰うと、何だか先生に「病気になるほど大変だった」ということを認められた気がしました。
   高校を退学した後、不登校児を受け入れてくれる単位制の高校があると知り、自分で「ここがいい」と言って編入しました。そこにいる先生や生徒たちは私を快く受け入れてくれて、安心感を得て無事卒業することができました。そして専門学校に行きましたがやはり学校に馴染めず3か月で辞めました。今は不登校情報センターで少し仕事をもらって家でやりながら生活しています。

 昔から現在まで振り返ると「せめて親なら自分の気持ちを言わなくても分かってくれる」という思いが強かったように感じます。しかし結局、最初にカウンセラーに訪れたのも自分で決め、病院に行くのも自分で決め、新しい高校も自分で決めました。「誰にも分かってもらえなかった」「自分で決めて行動しないと死んでしまうかもしれない」と思い、自己防衛のために全て自分で考えて行動していました。

 今でも「分かってもらえない」という気持ちが大きく、母に強く当たり、泣いてしまいます。私は何か悪いことでもしたのか、私が「わかってもらいたい」というのはワガママなんだろうか、と自分を責めます。

 つい先日も、テレビ局の人に「取材したい」と言われ、「誰かの役に立てる」と喜んでいた私を母は否定しました。

 確かに、自分の病気のことについて聞かれてテレビで放映するんだから「怖い」という母の気持ちは分かりますが「もし親戚にバレたらどうするの。お母さん生きていけない」と、病気の私を腫れ物扱いして「お母さんたちを苦しませたいのならやりなさい」と脅されました。自分の母親だけは病気に関して理解を持ってくれると思ったのに、そんなことを言われてしまい、本当にショックでした。

 以後、父にも母にも「悲しませてはいけない」とまた気を遣うようになりました。人に自分の気持ちを理解してもらうということはすごく難しいですが、知ろうとする努力はできると思います。母は「努力してきた」と言いますが、結局は私を守ろうとして私を傷つけているということに気づいていません。そして父は相変わらず自分の事が精一杯で病気で悩む私をほったらかしにしています。親の気持ちも分かるけど、自分たちの立場を必死に守ろうとしていて、私の気持ちに気づかずにいるのです。

 病気の私を最優先に考えて欲しいと思うのはワガママでしょうか。
 病気の私が一番苦しんでいるというのは勘違いなのでしょうか。

 結局は私も親の気持ちを理解できていないのでしょうか。
 そう思うと今まで自分が過ごしてきた苦しみは何だったんだろうと悲しくなります。今はこの事で正しい判断をし、お互いが苦しまずに生きていける事を強く望むばかりです。

 みなさん聞いてくれてありがとうございました。

 (完)

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス