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出たとこ勝負

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出たとこ勝負-2004年7月27日

7月26日は短い話でしたが、内容はありました。
記録をしておかなくては記憶に埋もれたこともありますので、今回は記憶を呼び覚ます記録のつもりでこの手紙を書きます。
私は宿題をもらっています。
宿題が何であったかも記録しておきます。
ただその解答はまだ書けません。
記録しようとしても思い出せない重要な言葉があります。
それも確認したいと思っています。
この話から始めましょう。
Eさんは、この数か月の変化、意味を考えているとのことでした。
私は、それを私なりに気づいた“変化”として2つ挙げました。
抽象化して記しておきます。
(1)自分の真実に近い状態(気持ち)が表現できるようになった。
今回の“心配”発言はそれでしょう。
(2)人との距離を置いた関係を必要とするようになった。
人との距離はある種のバランスが必要で、その調節のしかたを身につけようとするとき、このような感覚が生まれるのでしょう。
<引きこもり>もまた、その人との距離のとり方の一つですが<引きこもり>から抜け出すときの“修業”にも、この距離バランスを模索する感覚が生まれるようです。
依存と自立の関係を意識するためかもしれません。
(3)これは(私の言葉では)記録できない言葉で、あなたが語ったことです。
沈潜です。
子どもに返って自分をつくり直すというよりは、大人の部分で冷静に自己観察している、それを沈潜意識…といったように思うのですが…?
この3点が、あなたにとってのいちばん重要な変化なのだと思います。
この“変化”のあったこの数か月の意味を考えたいということだったと思います。

さて私の方の宿題に話を移します。
私はどういう意識(?)で<引きこもり>やその周辺の人たちに対応してきたのでしょうか。
それをこの事態で検証するように求められたのが宿題です。
答えはまだありません。
(1)結局、私は人間に対応しようとしており、人間を理解しようとしているのです。
不登校や引きこもりの人に限定して人間を理解することは、実は軽業のように危なっかしく困難です。
人間一般を理解しようとする意識が底にあって、目の前にいる<問題を集積し意識している人>、私の場合は不登校や引きこもりの人や対人関係不安の人ということですが、そういう人から理解の手がかりを得、対応のしかたを学ぼうとしているのだ、と思います。
(2)その人間理解、人間対応の方法の中核に、私は自分の感性、感覚をおいています。
それが私の方法の特色だと思います。
というよりは圧倒的大部分は自然にそうしていて、専門家といわれる人もその職業上の対象となる少数の人に対して、理論や学問上の理解に基づいて対応しようとするのだと思います。
私の方法は、専門家としては素人的対応であり、人間としてはごく普通の方法なのです。
反対側から表現すれば、私は普通の人間として不登校や引きこもりの人、その周辺の人を理解し、対応しようとしていることになります。
平たく言えば<フツーのおじさん>としての対応が実践内容であり、私の求める理想の理解のしかた、対応のしかたは、それです。
ふり返ってみて、多くの場合この方法は「悪くはない」と思っています。
それは徹底したもの、完全なものではありません。
ときには不都合も発生していると十分に予測できますが、その程度は人間としては許容範囲にあると信じています。
そのことを私はいつのころからか、自分の感覚を信じたうえでの「出たとこ勝負」というようになりました。
それ以前は「自然体でつきあう」と言っていたこともありますが、実態との対比で恰好よすぎの表現なので避けるようになりました。
(3)この「出たとこ勝負」が私とあなたの関係においては、あなたが「心配になる」ものになったのです。
以下省略21行。


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