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子ども時代と発達障害・HSC

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子ども時代と発達障害・HSC

身体の変化(1) 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的な広がりを見せる中で、その変異の速さには驚きます。生物の進化は常に生じているので、驚くことではないかもしれません。ついでに言うとウイルスは生物になる要件の1つ、新陳代謝を欠いているので、生物の変化というのは適当ではなく、遺伝子の変異というべきもののようです。 生物の変異、とりわけ人類の変異とは何でしょうか。変異には進化と退化の両方があり、両者は必ずしも相反するものとはいえません。ひきこもり経験者に囲まれて生活をしてきた私には、これに関していくつかの意見を参考に理解してきました。それを医学的なことに限らず経験的に見聞きしたことから考えましょう。

ひきこもり経験者には、大人になれない、大人になりたくない、という人が多くいます。これは主に社会的な要因から説明されますし、ひきこもり経験者に限らず多くの日本人の若い世代に見られます。私はこの要因に社会的な背景理由だけではなく、自然的な、すなわち生物学的な要因もあると考えます。

徳野さんが前掲書『農村の幸せ、都会の幸せ』の中で紹介していることです。 〈大学生たち100人ほどに、「君たちは大人か」と聞いたところ、大人だと答えたのはたった1人でした。あとは「大人ではない」「分からない」でした。ではいつ大人になるのかと聞くと、「就職したら」「経済的に自立したら」だそうです。その次に多かった答えがが「親になったら」。自分に子どもができて、生物学的に親になれば、大人になったと考えているようです。「結婚したら」大人になると考える学生は意外と少なかったです。そして、なんと二割ほどの学生が、「一生大人にはなれないかもしれない」とこたえていました。〉(140p) ひきこもりもほぼ同様なことがみられます。いや「一生大人にはなれないかもしれない」というのはさらに高い比率を占めるでしょう。生物学の視点で見れば、高等動物ほど成年(大人)になるまでに多くの時間を要すると理解ができます。言い換えるなら、ひきこもりとは人類の一段と発達した状態の新人類といえる可能性さえ感じられるものです。ただこれは意見としては保留しておきます。

もう一つ生物学的な面から考えるべきものは、感覚の過敏性とか繊細性が強まっていると思えることです。HSP(ハイリ―センスティブパーソン)とかHSC(ハイリ―センスティブチャイルド)の発見はそのタイプの人が増えてきたことによると感じています。ひきこもりの人たちに共通する感覚・感受性の強さはここにつながると思えます。人類が新しい段階に向かっている1つのシグナルかもしれません。 さて私はこの中で、「感受性が高くなっている」人と述べました。それはいつからそういう人が増えたのでしょうか。それは社会的な大きな変動のなかで生まれてきたものなのでしょうか? これこそ社会的・歴史的にひきこもりが生まれてきた地盤になります。いくつかのことはすでにふれました。

さらに発達障害を考えます。発達障害とは公式には先天的要因によります。ただ発達障害の支援現場では発達障害と思われるレベルの人(状態が似ている人)も含まれます。その混在に問題があるではありません。 私は発達障害を発達により多くの時間を要する人、発達のそれぞれの段階で必要な条件を得られなかった人、なども加わっていると考えるのです。これは大人になれないとか、感覚が鋭い人が増えていることと整合性があります。 私は大学病院の事務職員として働いていた時期があります。1966ー67年ころ小児科を担当しており、医療保険請求の必要から診療記録カルテを見る機会がありました。当時は発達障害という診断はなく(保険請求書の病名欄は必須事項ですが、発達障害に診断名を書いた記憶はありません)、発育不全や発育遅延はときどきあり、未熟児というのもありました。これらは先天的な身体障害だけではなく、発達の偏りとか精神的な特異性も含まれていたはずです。当時はこの子どもたちは先天的な要因とも後天的な事情によるともあまり区別はされていなかったように思います(?)。 ところが誕生後に生じたことは別です。しかし、発達障害の診断が導入され、それが先天的なものとされていたのに、先天的とは言えない状態なのに発達障害に似ている子どもも多くいます。この部分を解剖学的に解明したのが児童精神科医の友田明美さんです。それを説明する前に私の事情を話しましょう。

私は1995年に不登校情報センターを立ち上げ、そのあと周囲にひきこもりの経験者が集まりました。特に2001年からは東京の下町にある空き教室になった場所を借りられるようになってからは毎日、ひきこもりの経験者が通ってきました。ほぼ同時に親の会も生まれ親の相談も絶え間なく続きました。 親子両方の相談や話を聞き、子ども側の通所者(ほとんどが20歳以上)の自然な行動や互いのかかわりを目にできる機会が増えました。それらを通して特にひきこもりの原因とは何かを考える機会が増えました。結局たいしたことはわからないのですが、2006年に『ひきこもり 当事者と家族の出口』(子どもの未来社)を五十田猛のペンネームで出版したころはこう書きました。 子ども時代に虐待を受けることはひきこもりの重要な原因である推測できますが、現実に目の前にいるひきこもりやひきこもっている子を持つ親からはそういう虐待の影を見ることは本当に少なかったのです。そして「法的な虐待の周縁にある「法定外虐待」と位置づけ」、「虐待の周縁にある躾」(35p)としたのです。これがひきこもりの原因の一つとしたわけですが、その本の内容を読み取った編集者が、本のカバーに「無意識の、善意の、執拗な愛の嵐のなかで呻吟する子ども・若者たち」という表現にその躾の状況がよく表われています。 これは周囲に来る親たちに本当の虐待をする人がいなかった(そういう親はそもそもそういうところには来ない)という事情もあります。しかし虐待を受けたはずの当事者からは暴力的な虐待を受けた話はほとんど聞かなかったのです。しかし、次の件は通常の子育てや躾ではなく虐待でしょう。

〇 見せかけ元気:「子どものころから親の口癖は「いつも元気で健康に」でした。倒れるくらい体調が悪いこともありますが、そんな姿を見せたら怒られます。帰るときは家から離れたところのベンチで呼吸を整え、表情を確かめてから玄関に入ります。気持ちが変になることもありますが、これが普通の生活です。その結果がいまのひきこもりの私で、何かが起きそうな不安を持ち続けています」=親の気持ちには虐待の意識はないので、子どもにはこういう対処になります。本人はこれを“マニックディフェンス”と呼んでいました。 〇 百点満点:「中学生のころ、親が要求するテストの点に際限がありませんでした。95点では、なぜあと5点が取れないのかと追及されました。百点でも褒められることはなく、百点の人の数を聞かれました。百点でも認めないような感じで攻められました。私はどうすればよかったのでしょうか。圧迫が強すぎて暴力じゃないかと思います」=この例はある人から聞いていたので、親が集まるところで話したところ、「私はそうしています」というお父さんがいました。子どもを励ましているつもりでしたが、教育虐待に当たるでしょう。

気になるものにこういうのがあります。 〇郵便物:「親は私あての手紙やダイレクトメールなどを「処分しておいた」と告げるだけで私には届きません。封書の内容も知らされません。まったく何も知らされないままの郵便物もあると思います。それだけでなく、親の意向にそぐわない交友関係を禁止されました。私は親の意のままにされる付属品で、これはハラスメントです」=これは非暴力の虐待になるでしょう。 〇 胸キュン:「よく胸のあたりが苦しいような感じがして手で押さえます。胸といっても頸の下あたりで、呼吸が苦しいのとはちがいます。切なく苦しいというか、やりきれない、空しいような気持ちを落ち着かせる感じです。世の中的には「胸キュン」というのがいい感じの時に使われていますが、それとはちがいます」=なぜ気になるかといえば、幼児期に虐待を受けたら胸腺が委縮するといわれます。それと関係するかもしれません。

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