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子ども時代の愛着経験が「人生への楽観性」を生む

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子ども時代の愛着経験が「人生への楽観性」を生む

◎<根拠のない楽観性⇒この世に受け入れられる気持ち、に変える>
居場所に来ている人からある新聞記事を見せられました。
情報があふれる社会にいますが、自分に関係する分野でも重大なことは案外知らないで過ぎるものです。
とくに業界とのつき合いが少ない私にとって当事者から直接にこうした情報を得るのは貴重です。
見せられたのは2018年5月18日付のもので、時期はこの数日後です。記事は友田明美さんを紹介しています。
不適切な養育(マルトリートメント)にさらされる幼児は自身を守るために脳を委縮させるなど変形させています。
これを脳の画像診断法で確認しているというものでした。
かなり強い衝撃でした。ふり返るとその衝撃には3点あったと思います。
ただそのとき明確なのは第1の点でした。
しかしそれだけではなくもっと別のものもあると感じており、後にはっきりしてきました。
その第1の点です。私はひきこもりの大きな背景理由は「虐待の周縁にある躾(しつけ)」と考えていました。
『ひきこもり―当事者と家族の出口』(子どもの未来社.2006)を書いた当時「虐待の周縁にある躾」と表現したときのことを思い出します。
それは虐待そのものとは言い難い、ときには虐待と思わせることもあるけれども、もう少し広い範囲のもので、しばしば躾とされているものでした。
その正体を見た気持ちでした。
友田さんはこれをマルトリートメントと表わし、それが身体に、とくに脳に影響していることを脳の画像診断法で確認していたのです。
私がひきこもりの体験者から聞いていることとまさに符合しています。
また親の相談のなかのよく聞く話とも一致します。
相談に来る親には悪意はありませんし、むしろ一生懸命です。
それが裏目に出ているという感じとも矛盾しないのです。
マルトリートメントを継続的に受けた子どもは脳を変形させるというのですが、その変形の内容は別に紹介します。

第2の点は、その記事を見た時点でははっきりしませんでした。
マルトリートメントによる子どもの防衛がひきこもりの背景の中心になるけれども、それだけでは十分に説明できない感覚が残りました。
うつ(病)、強迫神経症、解離性障害、境界性パーソナリティ障害などいろいろな診断名をつけられている人たちに共通することです。
後日、私は友田さんにマルトリートメントを受けた人たちには、どのような診断名があるのか問い合わせをしました。
友田さんの回答を私は『DSM-5(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)』にはない「マルトリートメント症候群」と予想しました。
回答に送られてきたのは「アタッチメント(愛着)障害と脳科学」という友田さんが発表した小論文です。
私はマルトリートメントを受けた人の中心的な症状は愛着障害に当たると受けとりました。
予想とは違ったのですが、しかしよくわかりました。
私は居場所に通う人たちに関わります。
医師ではないので当事者に対して診断名に応じて対応するスタンスではありません。
対応のゆれ幅はありますが、医学的なことよりも対人関係づくりや作業など、各人にできそうなことです。
そういう関わりの中で摂食障害、強迫性神経症…などを自称し、また診断を受けているそれぞれの人を診断名にとらわれずに状態を見てきました。
一人ひとり違うけれども何か共通するものがあります。その状態の多くがひきこもり経験です。
そして全部の人とは言い難いのですが、予測するのは親子関係です。
親の思いと子どもの受けとめのすれ違いです。
しかし、それには当人か家族から子ども時代の話を聞かないとわかりません。
これは私とその人の関係に左右されます。 居場所に来る人全部が子ども時代の話をするわけではありません。そうなるのはむしろ少数です。
それを含めて2006年の本を発行した時点で「虐待の周縁にある躾」であることは明瞭でした。
その親子関係にあるすれ違いとは愛着体験の欠如と理解できたと思うのです。
もちろん100%が該当するのではありませんが。
しばらく後になって岡田尊司『愛着障害-子ども時代を引きずる人々』(光文社新書、2011)を読んだとき、これをさらに再確認できたと思います。

第3の点は、この第2の点とも重なります。
ひきこもりではない人、一般人には「どこか根拠のない楽観がある」というのですが、その正体がこれに当たります。
ひきこもりの人のもつ不安感、「私はここにいていいですか」「ここにいては迷惑ではないですか」という気持ちは、乳幼児期に体験する愛着体験の不足、すなわち愛着障害が原因になっているとわかってきたのです。
「ない」ことによって何ができていないのかを示すことは難しいものです。
乳幼児期に愛着体験がないこと(この場合はかなりの頻度でマルトリートメントを受けている)によって、何ができていないのか? 
それは「この世に産まれてきたことを十分に歓迎されている」実感がないことではないでしょうか。
それが愛着の欠如、すなわち愛着障害ではないかと理解できるようになったのです。
乳幼児期の愛着経験はそれぞれでしょう。それがあるレベル以上経験できた人は愛着障害にはならず、人生のいろいろなときに極度の不安に陥らない、「根拠のない楽観」が生まれるのです。
日常的には意識しないですが、自分が生まれてきたことを親や周囲の人から受け入れられた実感を経験しています。
だから、何かの困難にあったときも、心の下支えを感じるそれが「根拠がない楽観」です。
それは決して「根拠がない」のではなく、気づかないうちに獲得してきた子ども時代の愛着体験によります。
このあたりをよくわかっていなかった時期から私は当事者の依存表現を必ずしも否定的には見ませんでした。
心理療法を学んだカウンセラーさんがクライアントの依存傾向を回避しようとするのはそれなりの理由があるでしょう。
私には「人は依存経験を重ねることにより依存から離れる」との感覚があったのです。
子ども時代の愛着とは養育者(母親など)への依存であり、それを経験するから思春期以降の自立心が伸びるというのに合致します。
高年齢化したひきこもりの人たちの愛着経験の不足は、それぞれの年齢のところでどう回復できるのかは、未解明のテーマです。
そこでは愛着や依存の表現が否定的に扱われるようなものではないと予想します。

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