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家庭内の仕事から社会的分業へ

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家庭内の仕事から社会的分業

中世に成立し変形しつつ昭和の前半まで続いた核家族複合型においては、若者が社会に入って働く見本は身近にありました。
自分や親族の家、周辺の家業を身近に体験的に知る機会が多くありました。
それを受け継ぐ形で自分がそこに入り、そこが仕事と生活のベースになります。
家業、仕事という目で西谷正浩・前掲書『中世は核家族だったのか』(吉川弘文館、2021)を見ました。
家族内の男女の分業が社会的な分業に移行する側面です。
「中世には、激しくエネルギーを燃焼させる田地の農作業は男の仕事と見なされていた。
また、名主職のほうも肉体労働を含む現場管理者的な職務であり、これも男の仕事とされていた。
…女性が名主職を相続した場合には、真の所職(しょしき)所有者である女性ではなく、実際に労務に当たる女性の夫や兄弟など近親男性が表に立ったのである」(83-84p)。
女の仕事「様々なサービスが便利に購入できる現代社会と違って、中世には、男女の協力体制が欠かせなかった。
江戸時代には、肌触り・保温性のよい木綿が庶民の日常衣料となるが、中世は木綿以前の「苧麻(からむし)の時代」であった」(84p)。
これは永原慶二『苧麻・絹・木綿の社会史』からの引用です。
「江戸時代には、衣服は商品として買われるようになるが、中世には、民衆の衣類は自家生産でまかなわれた。
苧麻からとった繊維を糸に紡ぐ苧績(おう)みは、きわめて手間が懸かる作業であったが、一家の妻女がこの仕事を受けもった。
…つまり中世には、農業は男、衣料の生産は女という分業が存在し、男女両方がそろって、初めて一家の生活がまわった」(84-85p)。
屋敷の近くにある畑を菜園といい、それをこう記述します。
「田地の農作業とは反対に、菜園の管理が女性の仕事で、主に日々の食材となる里芋や大豆などの蔬菜を育てていたが、網や紐にするために蔓草を蒔くこともあったらしい。
これが近世になって衣料が商品化したことにより、女性がその生産労働から解放され、女性が農作業に本格的に参加するようになった。
中世の百姓は、畠で桑・麻を育て蚕を飼い、それを材料に女性が家庭で衣料をつくった。
中世前期の名主の一家は、紡績・機織りの道具をもち、家内で衣類を生産した」(85p)。
「百姓の妻たちが生産した衣類が日常的に市場で売られていた…。
百姓自身の日用品であるとともに、一家の大事な収入源でもあった」(86p)。

同じ事情は宮本常一『日本庶民生活誌』(中公新書、1981)において、こう書かれます。
宮本さんは土・茎皮繊維・竹などを素材として作られるものを軟質文化とよびます。
そして「これはだれでも練習すれば作り方を身につけることができる。
親から子へ、兄から弟へ、姉から妹へ、友達から友達へと技術を伝えることができるもので、その制作は主として家族内で行なった。
日本の民衆の家庭は軟質文化の工場でもあり、家庭はそういうものを制作することで成り立っていたともいえる。
これに対して硬質文化は主として刃物を利用して制作するもので、素材としては木材・石・金属などがある。
その制作技術は素人でも可能ではあるが、よりよいものを作ろうとすれば玄人の力を要求される。
いわゆる職人によって制作されるものであり、このほうは商品として取り扱われる性格を持っている」(124-125p)。

伝統的な日本の家庭・家族は、このような小さな経済生産単位=家内工場でした。
この家族内における男女の分業は、地域的な特色やそれぞれの家族集団の事情を織り込みながら、中世以降少しずつ形を変えて、長く日本の庶民生活の中に続きました。
これが1960年代からの高度経済成長の時期にとりわけ大きく変動しました。
社会的分業が広がるにつれて家内の手工業は縮小しましたが、高度経済成長の大変動後も細々と続く家庭もあります。
中世の大動乱期以降を通して見ると、これは社会的分業の変化を示します。
女性史を研究している人にはこれらの事情や過程をさらに詳しく、あるいはここに記述する点を訂正しながら説明できるはずです。
いろいろなことがより専業的な職業になってきたのは、中世には貨幣経済の普及というもう一つの変化があります。
物質の交易が商業として独立し、他方では家屋建設において専門的な建築集団が生まれたのです。

現在の多くの家族において「炊事・洗濯・掃除」が家事となっていることに違和感はないでしょう。
同じようにかつての日本では家族内で機織りがあり衣類製作があり、草鞋を編み(履物)・生活用品を作っていたのはそれほど珍しくはなかったのです。
中世以来の変化のなかで(主に女性が分担した)衣料の生産は、家族とは別に専業的な衣料生産者が生まれました。
そして衣料品が商業的なネットワークに乗ったのです。
これは衣料生産や一般に物品の生産だけではありません。
江戸時代に寺子屋が広がり、明治時代には国家的事業として学校制度、これにより子どもの教育も家庭内や地域から相対的に独立した仕事になりました。
医療的なケア(とよべるレベルとは言えないまでも)や生活道具の生産(硬質文化に属する主に男の仕事)やサービスも家庭内から専業的に独立していきました。
このなかには女性が分担したことは多くあります。
家族内の幼児の養育が保育園・幼稚園として1960年代の高度経済成長をはさむ大変化の時期に専業的に分離し、20世紀末には高齢者の介護もまた明瞭に分離を始めています。
養育や介護は家族内からなくなるのではなく社会と分業する形です。
そして家庭内に残るものが「炊事・洗濯・掃除」と買い物や家計などの家事になります。
これらも家族内から外注され始めました。外食産業・家事サービス業・クリーニング業などです。
すべてが家庭から完全になくなるのではなく、家庭と社会が分担する形で専業化が進行しています。
買い物については新しい動きがあります。
しばらく前から商店の減少や住民の高齢化により買い物難民が生まれました。
ここには配達サービスが生まれました。
今次のコロナ禍におけるステイホーム生活で大規模なテイクアウト・配送サービスが成長しています。
家事労働はこのような背景から家族外に置き換えられてきたのです。
これからも家事労働は変わる可能性があります。
西谷さんは前掲書で炊事場があることが世帯に数えられる要件になる点に注目しています。
既に炊事場はあってもまな板や包丁のない世帯は生まれているようです。
21世紀初めにとりわけ重要なのは、子育てや高齢者への介護が規模縮小化した家族に負担できなくなっていることです。
それらは各家族の大きな問題であり、特に女性にこの負担が重くかかっています。
これらの負担を単独では支えきれない家族が広がり、家族内での困難、子育てや親子関係の不全性を生み出し、ひきこもりの要因になっています。
いまや新たな家族制度を生み出す要因に転化しつつあるといえるでしょう。

注目すべきことは家族内にいまも残るこれらの「炊事・洗濯・掃除」などの家事は、社会的な活動、少なくとも経済活動としては正当な評価を得ていません。
象徴的なことは国民総生産GDPにはカウントされていません。
これらは人間の生存・生活には不可欠な作業、すなわちエッセンシャルワークなのですが、私の知る範囲ではエッセンシャルワークとして十分に認められている状態ではありません。
オリンピックのような大規模イベントの経済効果を貨幣価値に換算し数字的に表現できる時代です。
家事労働はそれに比べればはるかに巨大ですが、その気になれば数字的に表現できるでしょう。
家族外に広がり、社会的な活動になっている労働の価値尺度を1つの基準にできること(時間の流動性、内容の密度は違うにしても)、その完成度は社会化されている家事労働の割合が高まるにつれて価値評価も実体に近づくでしょう。
今次のCOVID-19のコロナ禍はGDPによる国民の生活水準判断の弱点をいくぶん明らかにしました。
そこでエッセンシャルワークの役割が注目されていますが、いわゆる家事労働がそのエッセンシャルワークとみられているかどうかは不明です。
このような状態や変化も『ひきこもり国語辞典』に見られます。

〇 主夫「日常生活が、炊事、洗濯、掃除などの家事が中心の男性のことです。主婦や女性の家事手伝いの男性版です。
家電の修理や家周りの修繕など簡単な大工仕事が加わるのが自分の特徴で、男性ひきこもりの一つだと思います」
〇 家事テツ姫「家事手伝いは無職女性の場合に使いやすい肩書です。私の場合はたいした家事はしていません。
単なる無職、準ひきこもりですが、家事手伝いとみられています。しかも“姫”なんかがついて家事テツ姫です。申し訳ありません」

中世以後のこれらの家内労働が家事として残ってきた歴史を振り返ると、その基本は家族内の女性の労働や分担の仕方でした。
それらが専業・専門化し家族外に社会的分業として広がりました。それにつれて男性が加わる職業になりました。
家内労働の一部が専業化し、社会的分業として独立するのは、その労働が、その生産とサービスが自然な“社会実験”を経て、社会にとっての有用性を示してきたのです。
それは技術的・社会的な一種の飛躍でもあるので、必ずしも成功するわけではありません。
多くのいろいろな人の試みがあり、あるものは成功し、あるものは失敗します。
現在の分業化している社会状況は歴史的な検証を得た結果です。
他のことも実験はあちこちでさまざまに試みられているはずです。
これには各種の技術的な進歩による肉体の力に頼る重労働からの解放、インターネットにより情報社会の進行が関係していることは確かです。
男女平等とかジェンダー平等が進む社会的な基礎はここにもあると評価できるはずです。

家族構成員の減少に続いて自営的な家業が少なくなっています。
家族が受け継ぐ資産が不動産や技術から株式・預金に移っていることも「家」を存続させる役割を低くし、家業を存続する意義を引き下げています。
何しろ相続する固定資産に欠けます。生産単位としての自営的な家業が減り、家族構成員は給与生活者になってきました。
農業以外でも都市域ではさまざまな自営業がありますが、家族構成員が少ないと従来の家を続ける意味も減少します。
借屋住まいで自宅がない、土地・作業場などの固定資産がないと「家」の存続を図る意味が減少しているのです。
第1次産業(農林・畜産・漁業など)では、自営的な家業は残りやすかったはずですが、若い世代の第1次産業進出が増えない限り、回復には困難が多いでしょう。

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