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幼年期と愛着障害

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幼年期と愛着障害

ある当事者が新聞記事(2018年5月26日・朝日新聞)を見せてくれました。
私がとらえていた躾を友田さんはマルトリートメント(不適切なかかわり)としてとらえ、それが子どもの脳の発達に障害する事情をMRI(磁気共鳴断層撮影)によって確かめていました。
1500人から2000人のMRIにより確かめたそうです。
この部分を友田さんの簡易な説明があるので、それにより説明します(友田明美「子どもの脳をキズつけないために」、『教育相談室だより』2019年6月号)。
虐待というひどい状態でなくても、子どもは攻撃を受けあるいは雑な扱いをされたときは、脳を変形させて防衛するというのです。
厳しい体罰においては前頭前野の容積が19.1%減少します。
うつ的になりやすく、行動の統制力が低下します。
性行為やポルノ映像にさらすなど性的なマルトリートメントを受けると大脳皮質の後頭部にある視覚野の容積が18%減少します。
視覚的な記憶システムの機能を低下させるためとみられます。暴言を受ける大脳皮質側頭葉にある聴覚野が平均14.1%増加します。
言葉の理解力が低下し、心因性難聴になりやすくなります。
さらにネグレクトは左右の脳を結ぶ脳梁を変形させ集団行動ができなくなり攻撃的になる可能性を指摘しています。
脳の変形はその後の成長過程で上にあるような弊害を招きやすいのです。
私がひきこもり経験者に見た姿はその後遺症とでもいえるものでしょう。

私が「虐待の周縁にある躾」とし、友田さんがマルトリートメントとしたものはいずれも行為をさします。
その結果子ども側に生じる状態、診断名はどうなるのか。
そんなことを考えながら友田さんに問い合わせると返ってきたのは「アタッチメント(愛着)障害と脳科学」という友田さんが雑誌『児童青年精神医学とその近接領域』に載せた論文の抜き刷りでした。
すなわち診断名として広く承認されているのは愛着障害になるのでしょう。
愛着障害というのは発達障害やHSPと並んで(両方が重なる場合も多い)、現在の子どもに広がる状態です。
そしてこの3種類は、ひきこもり状態にある青少年にも当てはまる状態であろうと思います。
このうち愛着障害についても相当な深さを考えるべきものであると思えます。
そう考える理由は、おそらく子どもの乳児期にまでさかのぼる対応策が必要であると思うからです。
『ひきこもり国語辞典』の中に採用してことばにもあります。
〇 払われる:「いちばん古い記憶はたぶんおっぱいを飲むときに手で払われたことだと思います。
目の前に手が広がってきてやめさせられた像がぼんやりと浮かびます乳児のときの母によるものでしょう」 ⇒母乳哺育をされていることは確認できます。
〇 T字型:「思春期から二十歳ぐらいまでの子どもが寝ている母親の布団に潜り込んでくるのはよくあるといいます。
でもうちは三十歳を超えた息子です。私(母親)と話しているうちに私のおなかあたりに頭を置いてT字型の姿になって眠りこんでしまいました。
ちょっと安らいだ気持ちになったのでしょうね」 ⇒この話は母親から聞いたことで、『ひきこもり国語辞典』には当事者のことばしか載せていません。

私の関心はこういう経過をたどりながら、乳児期〈新生児期〉に向かいます。
その前にこの愛着障害あるいはもっと広くとらえた、ひきこもりにつながる乳幼児期から子ども時代に受けたハラスメントによる障害の回復は可能なのでしょうか。
不可能となっては手の打ちようがありませんし、少なくとも不可能という証明はされていません。
同時にこうすれば回復するという方法も不十分です。
あるひきこもりの人が働くようになったという事例は、十分な証明ではないからです。
その人に特別な事情があったのかもしれないし、ひきこもりの程度が浅く身体への影響が少なかったのかもしれません。
手元にある岡田尊司『愛着障害』(光文社新書、2011)ではこう言っています。
「通常の精神医学の方法では、根本にある障害を改善することは期待しがたい…。
残念ながら、今も行われ続けている精神医療の大部分は、愛着や愛着障害が、種々の精神疾患の成因や回復において、どれほど大きな役割を果たしているかということについて、十分な認識や対処の術をもたないのが現状なのである」(248 詳しくは別に紹介しる予定ですが、エリクソンの例を挙げています。
「エリクソン自身が愛着障害を抱え、それを克服しようとして、苦悩しながら模索してきたことが、同じような困難を抱える者の支援に役立ったのである」(256p)。
この場合のエリクソンに確立した方法論はなかったというべきなのです。
しかし、ヤミクモでもなく、ともに苦悩したということかもしれません。
愛着障害の十分確立した治療法がない、その延長としに成人に達したひきこもり経験者の中心部分に対しても十分確立した治療法はないと思います。
しかし、ひきこもりを抜け出した人はいます。
十分に抜け出して社会の一員として生活している人はいます。
それぞれ特別な事情があったわけですが、そういう人があるからといってひきこもり状態の人全部にそれを要求することはできません。
十分な回復法が確立していないとはそのことを指します。
ある人は社会参加に支障がない程度のひきこもり状態から抜けだせた。別の人はそうはならなかった。
そのいろいろな部分や場面や個人差などを総体としてとらえる複雑な関数はまだ得られていません。

それは子ども時代の一部ではありますが、特別な様子があります。項目を別にして以下に続きます。 山本高治郎『母乳』(岩波新書、1983)。 母乳の不足を補うために人工乳が開発され、改善され、普及してきたことの副作用を考えます。人工乳によるものは栄養面だけではありません。母性愛についてこうあります。「母性愛が一次的欲求として女性に具わっている本能でないことを…素直に認めておく必要があります。それは子どもを抱き、子どもに乳を与えることによって燃え上がる火であることを…知っていなくてはなりません。この事実の認識から、すべては出発するからです」(80p) 人工乳どれくらい普及したのかを厚生省による乳児栄養法調査で、1970年と1980年が対比できます(117p)。月齢(5カ月未満の乳児)につき母乳型、人工乳型、両者を合わせた混合型による表示です。月齢を経るとともに母乳が減り、逆に人工乳が増えます。70年と80年を比べるとなかなか複雑です。ただ最近の事情を含めたよりスパンの長い変化を見ることでこの点を知るのがよいと思うので、説明は省きます。 母乳哺育の低下がさほど問題にされてこなかった理由。「最も重要なものは、乳児死亡率全体が低下していること、従って栄養法の差が死亡率に与える影響は目立たないものになってしまったことであろう。1922年の米国の乳児死亡率は86/1000、1950年の日本のそれは60./1000、67年には14.9/1000という値でした。1981年のわが国の乳児死亡率は7.1/1000、しかも満一カ月以降1歳未満までの期間では、7.1/1000のうち2.4/1000が死亡したという数字です。死亡する乳児の絶対数が減ったために、栄養法別に乳児の死亡の差は医療人の目にすらはいらなかった」(121p) 人工乳の発見と普及により「乳児死亡の絶対数が著しく低下した…」その代償の1つが、私には愛着障害の増加になると考えるのです。これには他の要素もくわえなくてはなりませんが、この点は外せないと思います。人間は新しい手段で前進を遂げてきたのですが、副反応を伴うことを忘れてはならないのです。


保育園での“おかあさんさがし”ゲームをご存じでしょうか。数名以上のお母さんは頭にすっぽりと袋をかぶってもらい、子どもが自分の母親をさがします。ほとんどはすぐにわかるのですが、最後の1人残った人を自分の母とはわからずに、袋を取ったところでやっと自分の母とわかった人がいます。 この母と子のわからなさは、とりわけ子どもの深刻な状態を表わしています。幼児期にこのような状態になるのは

カンガルーケアを知っていますが?

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