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救急車にまつわること

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救急車にまつわること

救急車に関係することがあったので、救急車にまつわることを書くことにした。
大阪在住時代の20歳前後に2つある。
最初は夜間大学のころで学校の集会に参加していたとき、ゲバ棒(ゲバルト棒)を持った集団に襲われて頭部の外傷を負った。
連中は殺す気はなかったようで、大学側の通報で救急隊が到着したときは非公式の搬送ルートを作られていて、救急車に乗せられた。
救急車は1台ではなく数台だったので、負傷者は十名以上いたと思う。
救急車が到着したのは、自分が働く大阪市立大学医学部付属病院だった。
負傷者全員がここに運ばれたかどうかはわからない。処置を受けて深夜に帰宅した(まだ電車は動いていた)。
翌日、遅刻して出勤すると自分が運ばれていたことは院内に伝わっていて、歓迎されたのか好奇の目で見られたのか…。
いろいろだったが、事務室に入ると通常の窓口仕事に包帯姿で着いた。
これが最初の救急車体験になる。
職場の大阪市立大学医学部付属病院は救急指定病院だった。
事務当直としてこの救急窓口を担当したこともある。
多いのは小児の発熱で、小児科の当直医とときどき近くの居酒屋さんで食事をするときに顔を合わしたことがある。
受付の事務はこれということはなく、救急室の看護婦がその後の手配をしていた。
救急車が間に合わず(?)タクシーで重傷者が運び込まれたことがあった。
これは「救急患者を持ち運んだ記憶」として書いたので省略する。

東京に来てからもいろいろな形で救急車とかかわった。
新小岩に引っ越してきた後で、大通りから入った路地で人が倒れているのに遭遇した。
救急車を呼び、しばらく大通りに立って救急車を待っていたことがある。
倒れていた人は意識があり、外傷はなかった。こういうのが2回以上はある。
平井に来て自転車で街中を移動していたとき、目の前のマンションからよろけて出てきた男性が倒れこんだ。
「あーダメだ…」と口にして意識をなくしてしまった。
通りがかりの人に救急車を呼んでもらい数分そこにいた。
救急隊の人と話したが、このときは救急車への同乗を求められなかった。
たぶんあの人は亡くなった(と思う)。
気になるのは、情報センターに通所していた人たちに必要な救急車。
その1つは「オーバードーズの実況放送を聞く」というタイトルで書いたことがある。これも省略する。
連絡(? またはヘルプ)があった人の自宅に救急車に来てもらうようにしたのが3回ぐらいある。
多くのばあい救急車を呼ぶことに遠慮がある、判断に迷うのだろう。
この状態で救急車を呼んでいいのかという気持ちがあるからだ。
こういうときに連絡があり、救急車を呼ぶことになった。
自分で119番できたばあいと、私がその人の市街番号の119番をしたばあいの2通りがある。
オーバードーズや腹痛のケースだが今回(2023年7月)は「めまいと吐き気」になった。

そういうなかで、いちばん記憶に残るのは、12時間以上になった例。
情報センターに来ていた人と一緒に食事に出かけたのだが、居場所に戻る途中で動けなくなってしまった。
ちょうど行き合った通所者メンバーに手伝ってもらって、情報センターに戻ったのだがそのまま倒れ込んでしまった。そこが始まりだった。
外傷も痛みもないが救急車を呼ぶしかなかった。
救急車にはやっと乗せることができた。救急隊に状態を話すことになったが、救急隊でもどの医療機関に行くのか困った。
結局、比較的近い都立墨東病院に向かった。
このときは家族にも知らせていたので、病院で待ち合わせをした。
まだ午後の診療時間だったが、最初は救急窓口でそれまでの状態を説明した。
受診科をどこにするのかの判断のためだった。
放射線撮影を含む一連の検査がされた。
何となく精神科受診となると思っていたわけだが、その前に「内科的また外科的に異常なし」と判断することが必要だった。このあたりで夜に入っていた。
判断ができたところで家族にはいったん帰ってもらうことになった。
家族にはそうしなくてはならない事情があって帰ってもらったのだが失敗だった。
「内科的・外科的に異常がない」と判断されたあと、精神科の救急病院に向かうことになった。
しばらくして決まったのは練馬区の病院だった。
遠距離になるのだが、他に選べるものではない。すっかり夜になってその病院に着いた。
医師が症状を見、私から経過を話したのだが、医師は「入院が必要」となった。
ところがそのためには家族の同意が必要になるという。
いったん自宅に戻った家族をもう一度呼び出してこの病院に来てもらうことになった。
二度手間になったが手続き上はどうしても必要だという。
こうしてその人の入院が決まった。
改めて家族に来てもらって帰ることになったのは、12時を過ぎた深夜になっていた。

入院患者になったその人と家族を残して、私はタクシーで事務所に戻った。
驚いたことに電気が灯いて、ある人が残っていてくれた。昼間に一緒に運んでくれた人だった。
昼間から計算すると12時間以上で大遠征だった。
このとき精神科救急医療の(全部ではなく一部に過ぎないが)実情を知ったわけだ。

自分の症状で救急車を呼んだこともある。数年前に腰痛で動けなくなったときだ。
近くの病院に運んでもらい、鎮痛の処置を受けていったんは病院の車イスを押してもらって帰宅した。
2、3日後また動けなくなり、短期間に救急車をお願いすることになった。
申しわけないと思ったが、動けないのでは已むを得ない。その時に入院した。
足かけ4日、変形性腰椎症の診断を受けた。以降、生活上は気をつけている。
自分の例ではないが『ひきこもり国語辞典』に紹介した話を載せておこう。
「救急隊員  救急隊員の仕事は、病気やけが人を病院に送ることです。そのことは、よく分かっています。
けれども私はパニックになって救急車を呼ぶことを繰り返してしまい、いつしか隊員と顔見知りになりました。
あるとき、救急車で病院に向かわず、家の近所を回って気持ちを落ち着けてくれました。
あんなことは全くの想定外で申し訳ないと思いつつ、ありがたかったです」。

私が救急病院の事務受付をしていた50年前と比べれば救急医院の体制も整備されています。
救急車、救急隊員は制度として整っているが、そこに従事しているのは人間です。
親切であるし、すばらしい設備になっている。
濫用はしてほしくはないが、遠慮もまたよくないと思う。
 (7/3)

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