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日本史における中世以来の大変化の時代

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日本史における中世以来の大変化の時代

1990年以降、すなわち1970年の高度経済成長の到達から約20年経過した後の“停滞期”に、私はひきこもりを経験した彼ら彼女らと出会いました。
多くは不登校やひきこもりを始めてから数年以上、長い人は20年も珍しくはなかったです。
この時間は自分の状態をそれなりに話せ、動き出せるようになるまでに必要な時間でした。
これには個人差があり、各人の個性と相まってさまざまな状態を示しています。
この小論ではその差よりも、その差を超えて共通する時代背景の中に、社会的な原因の中心部分があるとみます。

第1に、私が取り上げるのは、高度経済成長の時代を挟む前後の社会状況の対比です。
高度経済成長の時期を通して、日本は高度に発達した経済社会になりました。
その変化の程度は想定以上に大きいと知りました。
どれくらいの大きさかといえば、15世紀の室町時代以降の最大の社会基盤に及ぶ変化と言われます。
すなわち16世紀の戦国時代や明治維新の前後や第二次世界大戦時に生まれた以上の変化が社会の基盤に生じているというのです。
**網野善彦『「日本」とは何か』(講談社学術文庫、2018)ではこう要約しています。
「日本列島の社会の全体を視野に入れた時代区分を考えるとすれば、…6世紀から7、8世紀にかけての列島最初の本格的な国家「日本国」の確立を画期と考えなくてはならない。(337-338p)
そして13世紀以降、15世紀にかけて、列島社会は全体として大きな転換点に入る。
…政治的には14世紀から16世紀にかけて、「日本国」は四分五裂の状況にあり(ました)。
これにつぐ大きな転換点は20世紀後半の高度成長期以降に始まり、現在まさにその渦中におかれている」(339p)
日本社会の変遷を見るこの意見は立場を超えてかなり認められています。

高度経済成長によって生まれた多くの状況が知られています。
主に発展した部分、生産力が飛躍的に向上した部分、生活状態が劇的に改善したところなどが語られてきました。
しかし、その反面には、この時代に崩されたもの、なくなったもの、取り残されたものもまた多く、大きな影響がありました。
この面を見ないことには、この大きな変化や戦後75年を深く知ることにはならないでしょう。
私の確信によれば、そこに今日のひきこもりという社会現象が生まれた最も基本的な条件があります。
これくらいの大きな社会の変化においては、ひきこもりという現象は小さなことのように見えますが、歴史的な意味は大きく、だから大きな社会問題になっているわけです。
特に90年代に入ると情報社会が広がります。情報社会は、高度経済社会の上に開かれた人類の新しい世界です。
この役割は、ひきこもりにとってはプラスにもマイナスにも、否定的にも肯定的にも作用してきました。
網野さんは社会の変化には「コンピュータによる情報伝達の大変化が深く関連している」としながら「社会が今後いかに成りゆくのか、もはや私などの創造を絶している」(339-340p)といいます。
1990年代は、日本社会の到達した産業社会が曲がり角にきた時期です。
「ジャパンアズナンバー1」と言われた地位に到達するとほどなくして迎えた変化の時期です。
これはひきこもりが生まれるより直接的な社会的な背景になります。
たとえば労働者の雇用条件が劇的に変わりました。
終身雇用の正社員から、非正規の雇用が導入され膨れ上がった点があります。

この1番目の補足に、この時代の変化のなかで「子ども世界」が失われていったことを、私の経験から少し述べたいと思います。
それは田舎にいた少し変わった子どもの状況であり、しかも女子のことはよくわからないという不十分なものですが、不登校やひきこもりを考える上では重要な点になると思います。

2番目に考察したいのは、この社会基盤の変化が人びとの精神生活にどのような影響を及ぼしたのかです。
ひきこもりとはこの精神生活の特別の表われ方ととらえることができます。このような変化や影響は若い世代から、とりわけ子どもから表われるのは当然でしょう。
新たに生まれた社会は動揺的であり、新しい社会を感性鋭く受けとめる人たちと、それを判断する周りの人たちの様子にも触れておきます。
それは世代を通して受け継がれてきた日本人の国民性をも表していると思いますので可能ならばそれにも言及します。
推測ではこの理解は多くの側面があり、どの部分からそれを見、説明するかにより違った印象を持たれるかもしれません。
その変化をひきこもりの誕生に向けて考えてみようというのです。
精神医学や心理学においては、ひきこもりを対人関係など周囲の事柄や個人経験、性格特性からアプローチしてきました。
それとは異なり、個人の範囲を超えた社会の変化との関係で説明しようする試みになります。

3番目は、新しい社会の出現が準備されている現在の状況です。
情報社会に表われたフラットな感覚は、あらゆる人間関係を対等平等なものにすることを求めています。
それはある程度の個人の確立を前提に、独立した個人に基づく社会の創造に向かうのを促進する役割があります。
それは自然な流れだけではなく、すべての歴史が示すようにそれを求める側とそれを阻もうとする側の間の闘いをともないます。
これは日々生じていることですが、意図してみないと見逃してしまうのです。
2011年の東日本大震災と福島原子力発電所の災難は、そのあとの国民の意思表示が持続的に続くきっかけになりました。
この国民の精神状態の成長はそれを生み出す土壌が生まれつつあることと無関係ではありません。
身近な経験でいえば、居場所の来ていた人から「不登校情報センターを働ける場所にしてください」と言ってきたことは居場所の現場におけるささやかな動きです。
また全国のひきこもり支援者が集まる会合が、支援者交流会から、ひきこもり当事者を含む全国若者・ひきこもり協同実践者交流会に内実も名称も変化していたことも挙げていいと思います。
これらは大きな動きに先行して認められる人々の精神状況を示していたと思います。
東日本大震災時における国民のボランティアの動き、原子力発電所を動かすことに反対する国民の動きは突発的に生み出されたものではなく、
各地の各分野で生まれている国民の動きや気持ちやそれを表現するベースが出来つつあったと思えます。
しかも、例えばジェンダー平等を求める大きな動きなどに広がっています。ひきこもりの動向はここに何かを加えます。
彼らの居場所・フューチャーセッション庵では「ひきこもりが問題にならない社会」といっています。それはどういう社会でしょうか。

以上が「ひきこもりの社会的・歴史的な基盤」をまとめる目標になります。
このたび『ひきこもり国語辞典』を出版したところ、通販のAmazonにおいて「社会病理」分類でかなりの上位の売れ行きが示されました。
この国語辞典の出版を終えた次のサブテーマを社会病理の面からひきこもりを考えることになります。
これは大きなテーマで私がこれまで知らない領域まで広げることになります。何度か書き直すことを想定し、まずは「試論の素描」として会報に書くことにしました。
読者を想定すれば、できるだけ身近なものにしたいのですが心配もあります。
私の個人的なことを織り交ぜるのはそのささやかな工夫です。協力者というか共同研究者を募集したいと思います。
数年前からひきこもりをめぐる社会問題は、8050問題と称されるようになりました。私は東京という都市域でその経験者と親などの家族に出会ってきたわけです。
その背景事情を考えれば、都市・農山村、あるいはその中間地域を含む日本全体の大きな変化があります。
その社会的な基盤の変化が、人びとの生活状況にどう影響し、そして子どもから若い世代にどのように表われ、ひきこもりにつながるのかは一筋縄では描けないでしょう。
こういう筋道で考えるのはごく当然のことではないかと思います。
おかしいのは、そういうスタンスで書かれている本にこれまで出合ったことがありません。
私が井の中の蛙状態にいると告白しているようですが、少なくとも私の眼には止まっていません。
これだけの社会問題になっているのに不思議ことではないでしょうか?

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