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映画「マルクス・エンゲルス」を見る

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映画「マルクス・エンゲルス」を見る―松田 武己

〔2018年5月21日〕

英語タイトルは“The Young Karl Marx”(フランス語版・ドイツ語版もある)だが、日本では「マルクス・エンゲルス」が映画タイトルになります。
エンゲルス夫人のメアリー・バーンズが登場するのはリアリティを感じます。
若いエンゲルスが恋人だったM.バーンズと一緒にリバプールの労働者街に入り、やがて『イギリスにおける労働者階級の状態』を著した…大阪市立大学夜間部1年のときにきいた経済学原論の佐藤金三郎先生の熱い講義内容をこういう姿で見るとは思いがけないものでした。
当時の社会科学研究会サークルの読書会で使ったテキストにはマルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』がありました。
難しかったのですが何とか読み終えたのが、その後の人生で役に立ったと思います。
<『ドイツ・イデオロギー』の訳本は何だったかわかりません。>
B.バウエル、A.ルーゲ、W.ヴァイトリング、P.プルードン…などかつて聞いたことのある人たちが登場します。
M.バクーニンまで出ていたのは意外です。
この映画ではマルクスが主人公です。そうすることに異存はありませんが、エンゲルス愛好者の私にはもう少し正確さが欲しいと思うところが1点。
共著の『共産党宣言』の最初の構想はエンゲルスが提起したものですが、映画の終わりに出るその場面では、主人公マルクスに傾き過ぎて表現されています。
岩波ホール、2時間の映画。混むのではないかと予想した通りで、発券開始の前に早く到着。
公開初日の上映で10番以内に入場できました。6月15日までなのでもう一度見てもいいかも。(5月14日)

久保義丸〔2018年5日月  日 33週間前〕
久保義丸 私は昔「フォイエルバッハに関するテーゼ」を読んで、ほとんど意味が分かりませんでした。
近頃、18世紀前半に活躍したバークリの観念論を学んだのですが、今「テーゼ」を読み返すと、意味がよく分かるのです。
マルクスはドイツの観念論を学んだ後に唯物論的な立場に進んだので、観念論を知らないと、「ドイツイデオロギー」はよく分からないのではないかと思います。

松田 武己〔2018年5月  日 33週間前〕
マルクスはヘーゲルの流れをくむヘーゲル左派(青年ヘーゲル派)からスタートしました。
その一人のB.バウエルをマルクスの先生と紹介する本もあります。
B.バウエルは、キリスト教のバイブル(新約聖書)の多くが古代ローマの哲学者(セネカなど)の文献から作成したことを論証した人です。
しかし、マルクスはすぐにB.バウエルから離れました。
マルクスはドイツの観念論を学んだというよりは、ヘーゲルの弁証法(観念論的な弁証法)を学んだといった方がいいと思います。
マルクスの初期の論文は古代ギリシャの唯物論についてのものです。
「フォイエルバッハに関するテーゼ」は短いメモであり、エンゲルスはそれを素材に『フォイエルバッハ論』=ルートウィッヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結、を著しました。
ドイツ古典哲学というのがI.カントから始まりヘーゲルに至る大哲学者たちです。
これらのドイツ古典哲学を高く評価したのが詩人としても有名なH.ハイネです。
ハイネは『ドイツ古典哲学の本質』―ドイツにおける宗教と哲学の歴史(書名はうろ覚えです)を著し、M.ルター以降のドイツ哲学史を総括しました。
エンゲルスの『フォイエルバッハ論』は、ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』をマルクスのラフスケッチをもとに詳しくしたものと私は理解しています。
『フォイエルバッハ論』は、唯物論を完成するには弁証法的な唯物論にしなくてはならない、ヘーゲルの弁証法を評価しながら、フォイエルバッハはその点に不十分さがあると論じたものではないでしょうか。
弁証法を学ぶスタンスでないと『フォイエルバッハ論』はわかりにくいのかもしれません(?)
要するにこれらのことを『ドイツイデオロギー』という本は分析し書いたのです。
『ドイツイデオロギー』という本ではなく、「ドイツイデオロギー」の全体を知るには―私は全体を知りませんが、通史としてはハイネの『ドイツ古典哲学の本質』と『フォイエルバッハ論』で流れは理解できます。
しかし、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルと続くドイツ古典哲学はそれで知ったという訳はいきません。

久保義丸〔2018年6月  日 33週間前〕
丁寧なご解説ありがとうございました。私もドイツの古典哲学は知らないのですが、ライプニッツは少し読みました。
近代的な物理学と数学の礎を築いた一人である彼の説は、完全に観念論です。
私が抱いた疑問は、観念論についてまじめに取り組んだことがないと、初期マルクスは意味が分からないのではないか?ということでした。
彼の青年期は、彼なりに観念論から離れるために努力していた時期だと捉えないと、リアルな話にならないのではないかと思ったのです。

松田 武己〔2018年6月  日 32週間前〕
ライプニッツは紹介されたのは読みましたが、著作は読んでいません。
近代科学が誕生する前の自然に関する知識で、アストロノミー(占星術=星占い)と錬金術は人間が観察に基づいて自然を理解していく意味で重要でした。
例えば朝永振一郎さんの『物理学とは何だろうか』という新書版はそのあたりを説明しています。
ライプニッツは星を観察していた当時のアストロノミストの1人のはずです。
同時にこれらの人の多くは錬金術師も含めて魔術師的な要素の人、考え方の人たちです。
近代科学を生み出した最大の功労者というべきI.ニュートンもまたそうだと言われています。
心理学者のC.ユングは錬金術師のパラケルススを研究し、錬金術を化学の先駆であるとともに、心理学の先駆とも言っています。
人間は、この場合は人類はというべきでしょうが、先行する知識や情報を生かしながら、それを覆しながら進んでいるわけです。
これを弁証法の言葉でいうとアウフヘーベン(揚棄、止揚が訳語)になります。

松田 武己 〔2018年6月  日 32週間前〕
1840年代前半のマルクスは(1818年生まれ)、20代の青年です。
特に20代の前半は哲学的な立場というほどのものは確立していません。
F.エンゲルスと出会ったのは1840年代の初めで、特にパリ在住時代にエンゲルスとの意見交換が多かったと思います。
エンゲルスは工場主の息子(マルクスより2歳半年下)でしたが、そのために階級関係を現場感覚で知っています(映画でもその1場面を作っています)。
当時は無名の青年でしたが行動的で共産主義に関心を寄せ(当時は牧師や領主なども共産主義に関心を持つほどのブーム)、マルクスに階級制度や共産主義への関心を広げる役割をします。
エンゲルスはこのブーム的・ムード的な共産主義に労働者階級の視点を加えて筋を通したのです。
『ドイツ・イデオロギー』という発行されなかった著作は主にエンゲルスが書いたといわれ、1848年の『共産党宣言』の初めの構想はエンゲルスが提起したのは、その面でエンゲルスが先行していたからです。
『共産党宣言』は「これまでの人類の歴史は階級闘争の歴史であった」と始まります。
エンゲルスに出会うまでのマルクスはまだ思想的な立場は彷徨していたのです。
しかし、それまでのマルクスを「観念論についてまじめに取り組んだことがないと、初期マルクスは意味が分からないのではないか?」というのは考え過ぎというか、オーバーでしょう。
エンゲルスに出あわなくてもマルクスは同様の道を進んだと思えます。しかし、時間短縮にはなったはずです。
久保義丸〔2018年6月  日 32週間前〕
私がそう思った理由は単純です。マルクス版(オリジナル)の「テーゼ」は、読解力だけでは意味が分からないからです。
私にとっては、長い間呪文のようでした。
エンゲルスの「フォイエルバッハ論」を読んだとしても、それで「テーゼ」の意味が分かりますか?
とにかく、私があれを読んで意味が分かるようになったのは、バークリを学んだ後です。

松田 武己〔2018年12月  日〕
当然です。たとえるなら「南無阿弥陀仏」の意味から浄土真宗を理解するようなものだからです。
親鸞は浄土真宗の要点を「南無阿弥陀仏」にしたのです。
マルクスも同じでフォイエルバッハの哲学の要点をテーゼにしたわけです。
テーゼからフォイエルバッハの全体を見ることはできません。

松田 武己〔2018年12月  日〕
エンゲルスはフォイエルバッハをよく知っていました。
だからマルクスが言う簡潔なテーゼからフォイエルバッハ論を書けたのです。
フォイエルバッハ論はもう一つ、H.ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』の続きの面もあります。
エンゲルスの著作『フォイエルバッハ論』は、正式にはL.フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終焉、です。

久保義丸 〔2019年1月7日〕
主客の関係とか、精神と物質の関係といったことは、西洋哲学においては重要なテーマでした。
それは、認識論でもありました。
マルクスは、実践という概念を中心に据えて、それらの問題に対して自分なりの答えを出したのだと思います。
私は、理論上では、主客問題がマルクスによって解決されたとは考えられません。
しかし彼は、一つの「唯物論スタイル」を確立したとは言えると思います。
マルクス以後の社会主義の大きな流れは、全てがこの「唯物論スタイル」を採用しているようです。

松田 武己 〔2019年1月7日〕
お久しぶりです。お元気な様子で何よりです
私は「主客の関係」について、マルクスとエンゲルスが直接に言及したものを読んだことはないはずです。記憶にはないです。
「精神と物質の関係」については、2人はいろいろな場面で語っています。
ご指摘の通り「唯物論スタイル」を確立しました。
その唯物論を確立するときに有効なのが弁証法(ヘーゲルの流れを汲みます)です。
エンゲルスは『フォイエルバッハ論』でフォイエルバッハの唯物論の不完全性を説いています。
それは弁証法の理解不足が招いたと―すごくはしょった言い方ですが―フォイエルバッハの不十分さを衝いたのです。
この点はマルクスも同じです。
そして私の理解では、エンゲルスにおいては、弁証法と認識論は重なります(同じというわけではありません)。
さらに論理学もここに重なります。
「理論上では、主客問題がマルクスによって解決されたとは考えられません」というのは当たっているかもしれません(直接に言及していないので)が、弁証法、認識論、論理学の守備範囲の中にあると考えます。
私は(少なくとも意識の上では)エンゲルスの弁証法、認識論、論理学を事物理解の基本にしているつもりです。
「主客問題」を考えると唯物論と観念論のところから考えそうな気がします。
ただそれに取り組んでいる余裕はないのでやめておきます。

久保義丸 〔2019年1月8日〕
マルクス思想はドイツの古典哲学から出てきたという面もあるのですから、西洋哲学の歴史の中で扱われてきた諸問題への一つの回答(の試み)でもあるわけです。
マルクスは哲学者として、それらの問題に対してきちんと対応して、深い見解を持ったようなのです。
しかし、結論は唯物論(物質が本体である)ですから、他人にはそんなに深い思索とか見解を要求する必要は感じなかったと思われます。
そのために、マルクス系の学派では、哲学的な諸問題については、あまり深く考えていない人が多いと思います。

松田 武己 〔2019年1月10日〕
「マルクス系の学派では、哲学的な諸問題については、あまり深く考えていない人が多い」と見えるのは一つの外観と推測できます。
事態を簡単に言うしかありませんが、「マルクス思想はドイツの古典哲学から出てきた」という理解では不十分です。それに関係します。
マルクス思想はA.スミスの古典派経済学(その背景はイギリス産業革命)とフランスの革命思想(背景はフランス革命)、そしてドイツ古典哲学から出ていますし、この3つが構成部分です。
ドイツの古典哲学の延長だけではマルクス系の学説は説明できません。
ドイツの古典哲学の背景は何か。産業革命やフランス革命に匹敵するものがあるのか?
H.ハイネはドイツの古典哲学を著わすのにM.ルターの宗教改革から説き始めました。
エンゲルスは、ドイツの古典哲学自体を産業革命やフランス革命に相並べました。
ドイツという大地には産業革命やフランス革命みたいな現実生活のなかに大事件は生まれず、人間の精神世界に大事件が発生したのです。
あなたの言われる哲学的な諸問題に関心を持つ人とは、この19世紀以来の事態の説明を「哲学的な諸問題」のなかに見ようとする人になります(十分に意味は認めます)。
他方では哲学的な諸問題を含む精神世界を、経済や政治の土台の上にあると考える人もいます。
哲学的な諸問題をそれ単独ではなく、人々の生活、すなわち経済や政治と結びつけて考え、思想体系とするのです。
そうすると「マルクス系の学派では、哲学的な諸問題については、あまり深く考えていない」ように見えるのではないでしょうか。
言い換えますと「深い思索とか見解を要求する必要は感じなかった」のではなくて、問題の扱いを「深い思索とか見解」のなかに閉じ込めなかったのです。
社会構造の中で考えているのです。
マルクスの『経済学批判』にこの点を簡潔に示した説明があります。
手元にその本がないので示せませんが…。
松田 武己 〔2019年1月12日〕
追加します。K.ヤスパースというドイツの精神科医にして哲学者がいます。
多くの著作があり私が読んだのは『精神病理学原論』(1913年)だけです。
実存主義などの哲学の内容は知りませんが、その方向のものかもしれません。
私は活動上の関心から精神病理を学ぶつもりで読んだものです。
ヤスパースはここで、了解的な理解(了解心理学)を説きました。
原因・結果(因果関係)とともに精神生活においては了解的な理解が必要であり、その根拠を説いたのです。
哲学としては思弁的な分野でしょうが、精神病理の現実(多数の病理報告)によりこれを展開したのです。
ヤスパースはマルクス学派ではありません。
精神世界、思弁哲学との違いはこのあたりにあるのかもしれません。
ヤスパースの了解心理学は認識論としても論理学としても肯定できます。
弁証法とも矛盾していないでしょうが、そこはよく思い出せません。

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