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木村登校拒否相談室・相談活動記録

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木村登校拒否相談室・相談活動記録

(木村茂司・木村登校拒否相談室所長)

所在地 〒460-0011 名古屋市中区大須3丁目8-10 矢場ビル5階
活動を停止しました。
27件の相談回答を紹介 木村茂司さんの回答

意見を聴いてくれた定時制の先生との出会い

合わない担任の持ち上がりに失望
道子と和子は、仲のいい1歳違いの姉妹であった。
妹の和子は、中1のとき、生理になると体育の授業を休みたいとよく申し出た。
体育教師である担任はそれを許さず、授業に参加させていた。
和子は、特にプールを休むのは、水が汚れることを考えたからであり、きびしく「プールに入れ」と指導する担任に対し、理不尽で嫌がらせとしかとれなかった。
こうして和子は、担任への反発を強くしていき、2学期以降、体育の授業の日を中心に、学校へ行くのをしぶり始めた。
母親は、それでも何かと説得して学校に行かせていた。
3学期の終わりごろに、母親は心配して、「中2の担任は別の先生にしてほしい」という願いを学校に出したのであった。
ところが4月、中2の和子の担任は変わらなかった。
始業式から帰るなり和子は、「またあいつだ、もう終わりだ」と叫んだ。
和子は怒り狂って、教科書を破り、制服も破り、「あのヤロー、バカヤロー」と叫んで捨ててしまった。

妹の不登校に姉が説明を求められる
登校していた中3の姉道子は、学校で毎日、「妹はなぜ来ないのか、親はどういう考えなのか、一日何をしているのか」と、いろんな教師から聞かれたり、配布物を毎日のように渡されていた。
耐えられなくなって、道子も1学期の終わりには学校へ行けなくなってしまった。
母親は毎日2人を起こし、普通に朝食を食べさせ、そうじや洗濯などの家事を言いつけてはパートに出かけていた。
2人は家事をすませて、毎日テレビを見て過ごしていた。
中学校指定の進学先の高校は……
中3の道子については、12月の終わりに学校に両親が呼ばれ、「卒業したければ3学期は別室でいいから登校すること、どこでもいいから進学すること」を言い渡された。
卒業できないと困るので、しかたなく道子は、週に2日ぐらい一人だけの別室に通った。
進路は「ここしかない」と学校から渡された願書に、どんところかもよく考えないままに書いて提出した。

妹は専修学校へ進学を指定されたが……
妹の和子は、中2と中3を休み続けた。
姉と同じく、中3の12月末に両親が学校に呼ばれ、「卒業したければ別室でいいから登校すること、どこでもいいから進学すること」を言い渡された。
進学先は専修学校であった。
「ここしかない」と言われたので、どうでもいいと投げやりになって、そのとおりに願書を書いた。

姉妹そろって大検予備校へ
次の年、姉道子は4月から大検予備校に通い始めた。
妹の和子は専修学校に入ったが、和子は初めから合わなかったので1か月でやめてしまった。
姉にならって、一緒に夏に大検を受けてみた。姉は4科目、妹は1科目合格した。
秋からは、道子は予備校を休みがちになり、アルバイトを始めるようになった。
その翌年、姉妹はそろって大検予備校に通ったが、授業はあまり受けずに話していることが多かった。
その夏の大検は、2人とも1科目も合格しなかった。
母親は、2人を着付け教室と英会話教室に通わせた。
こうして、姉は中卒後3年目、妹は中卒後2年目、2人とも先の見えない毎日に強い不愛に襲われ続けていた。
気分もめいっていて元気もなくなり、毎日母に起こされては朝食を食べ、教室に通い、言いつけられた家事をこなすだけであった。
母も不安にさいなまれ、いつも陰で泣いたりしていた。

最後のチャンスと定時制を受けなおす
その後、退学した人も定時制高校を受け直すことができることを母親が知り、私の塾に相談に来た。
そのとき道子と和子の2人はうつむいたままで、何も話すことができなかった。
私は、定時制高校は入りやすいこと、どんなところかをできるだけ詳しく話し、在校生の手記や卒業文集のコピーなども渡し、「大丈夫、行けるよ」とすすめた。
自信をなくしきっていた2人は、下を向いて黙っているだけで、顔も見えなかった。
それから母親に連れられて2人が塾に通うようになった。
中学1年の勉強から始めたが、下を向いて何も言わないままで、無言の気の重い勉強であった。
3月の受験が近づいてくるころ、2人は勉強が進んできて、少し話せるようになったが、「受かるかどうか」「受かっても行けるかどうか」の不安が強く、いつも「不安だ、不安だ」と言い続けた。
あまりにも不安が強く、元気も見られないので、私も本当に心配だったが、「絶対大丈夫」と言い続けるしかなかった。
このとき2人は中学と中卒後の5年もの長いトンネルから脱け出す強い不安につぶれそうになる自分に、「最後のチャンス」と言い聞かせて立ち向かったのであった。

姉妹一緒に定時制から短大へ
合格して定時制高校に通い始めたとたん、2人は突如ものすごく昼間明るくなった。
入学して1週間後くらいに塾に来た2人は、しゃべるわしゃべるわ、
「先生とよく話せる。友達もたくさんできた。とても楽しい。学校がこんな楽しいところだったとは思ってもみなかった」と、まるで別人のような元気さであった。
短大に入ったころ、2人は、「家にいたころ、ずっと母は陰で泣いてばかりいた。すまないことをした」と言った。
母は「あのころは毎日泣いていた。毎朝2人を起こして朝食を食べさせ、家事を言いつけて仕事に言ったが、胸がつぶれるような毎日でした」と言った。
2人は元気いっぱいになり、短大に通いながらアルバイトにも精を出した。
2年で卒業し、別々の会社に就職した。
ともに小さな会社である。2人とも1回づつ転職したが、ずっと働き続け、毎年1回の海外旅行を楽しむ。
母も国内旅行に連れて行く。

自分を信じ、子どもを信じてほしい
2人は就職した数年後、集会でこのように話をしてくれた。
  「中学校を休んでいたとき、登下校の時間に子どもの声が聞こえるのがつらかった。学校に行きたいが行けない、何とかしたい気持ちはあったがどうにもならなかった」
「中学校は、生徒の話をちゃんと聴いてほしい。私は定時制で初めて私の話をちゃんと聴いてくれる先生と出会った。私の意見を聴いてから、先生も意見を言ってくれた。押せつけるだけでなく、話をすることが大事」
  「学校を休んでいても、ゆっくり時期が来るまで待てばいい。あせらなくても大丈夫。私は定時に行ってよかった。1年のときは慣れるまではやはり大変だったが、尊敬できる先生とも会えたし、いい友達とも会えて、すごく楽しい学校生活を過ごした」
  「はじめからフリースクールに出会っていたら、何も苦しむことはなかった。大変な苦労をした。誰にもこんな思いはしてほしくない。私も二度としたくない。けれど今となってはいい経験をしたと思う。フリースクールに出会わなかったら、今の私達はいない」 

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