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社会的背景の中で生まれた延長思春期

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社会的背景の中で生まれた延長思春期

以下はもともと『ひきこもり国語辞典』のあとがきに用意していたものです。
事情がありあとがきには別の原稿を書きました。
元々の原稿の要点を掲載します。

ひきこもりのような一定の新しい社会的な人間集団の誕生は、特殊個人の生活状態として誕生するのではないでしょうか。
奇異に感じられる、ときには異質で近寄りがたい、特別の空気を漂わせる個人として表われるではないか。
よく知らない人にとっては受け入れがたい、遠ざけたい、場合によっては非難や矯正の対象です。
ひきこもりが知られ始めた当初はそのように考えられたものです。
その前に登校拒否(不登校)の子どもが生まれた当時も似たような状況がありました。
しかし異質な対象に対する矯正や改造の試みは成功せず、社会集団としてどんどん増えました。
そういう無理解の時期のなかで、当事者の発信する正当な訴えを聞き、理解や応援する人の協力により、ようやく社会は受け入れつつある時代に入ってきたようです。
とはいっても矯正や改造の対象にする動きがなくなったわけではありません。
その動きが相対的に低くなったのは、社会負担のマイナス要因を縮小するために必要な対応策を考えるしかなくなったのかもしれないです。
しかし、そういう無理解の時期を通して、ひきこもりは増大し、周りにはそれを上回る親和的な層が形成されていました。
もはや無視しているだけではすまないのです。
言いかえるなら、ひきこもりはなお少数とはいえ社会を構成する所定の位置を獲得しつつあります。
そうなって見えてくるのはその新しい人間集団を生み出した社会関係や社会状況です。
背景にはそれを生み出す社会的な基盤はどういうものかです。
そこに生活する人の一部にひきこもりが生まれてきたからです。
一つは、社会的に自立でき思春期を終える人の年齢が、過去半世紀の間に18歳前後から30歳前後にまで延びていることです。
個人差は大きいです。
その理由は生物学的な理由ではなくて社会環境が急速に変化しています。
社会的な背景理由が個人に与える影響に大きな違いが生まれ、ある環境とある資質を持つ人に生じているのです。
これは近代になって誕生したのが「青年期」であるのに似ています。
私には、ひきこもりとその周辺の人たちに囲まれた20年以上の生活があります。
彼ら彼女らの経験、あるいは話や振る舞いのなかで、この延長された思春期の様子をいろいろな場面で見聞きした生の情報があります。
その言動こそ私にできそうな延長された思春期を説明する根拠になります。
説明を簡略にするために私が過ごした「ひきこもりとその周辺の人たちに囲まれて生活した期間」の場を居場所と表わします。
集まってきた人たちを18歳から30代と設定することにします。
居場所を施設とか機関と称するのは、見聞きしている他の居場所の状態を含めて考えると強引であると承知していますが、他にことばが見つからないので、この使い方を了解してください。
(1)居場所の状態を高校以後(延長思春期と仮称)の学校、専門学校や大学などと比べてみるとどうでしょうか。
高校以後の教育機関では、学生が一定の社会性を身に付けていることを前提に集団的で系統的な学習教育を進めています。
それぞれの年齢のなかで人間関係ができ、教師などとの関係を経験します。
社会に必要な技術や知識や情報を身に付けます。
しかし「大学生の不登校」という事態も起きていますし、「友達のできる大学」というキャッチコピーを大学の特色にしているのを見たときには、ひきこもりの精神的な風土がいくぶんはこの高校以後の教育機関にも影響しているとわかりました。
(2) 障害者を対象とする社会的な適応訓練や職業訓練の施設、すなわち障害者福祉施設と比べるとどうでしょうか。
障害者福祉施設の方も多様であり、また居場所の側も多様ですから一様に比べられないのですが、一部は共通すると思います。
障害者施設においては利用者の状態の即した定式化した訓練方法が追求されていると理解されます。
居場所のおいてはそのような共通するプログラムはまだなさそうです。
計画性と方向性の有無が違いかもしれません。
居場所においてはそのような計画性や方向性ができにくいのか、不要なのか、つかみかねているのか、これから徐々に生まれてくるのか、不明だと思います。
将来にゆだねられた課題だと思います。
(3) 居場所に相当する場が公共側からの手が差し出されてきました。
若者サポートステーションや消滅した若者自立塾などです。
これは居場所の別種として一緒に考えられる範囲です。
比較的早い時期に運営内容に計画性を持ち込んだ取り組みと理解していますが、十分な成功を収めてはいないと考えています。

このような教育機関や福祉施設と対比して、居場所の役割や性格を考えるのです。
そうすると居場所はどのような違いがあるでしょうか。
一定の学習内容や定式化した訓練方法がないことが特徴でしょうか。
中心は18歳を超えた延長思春期の課題が未達成な人の社会性の獲得と向上、またはその前の対人関係の修得に重点があると言えるのではないでしょうか。
場所によって本人の状態や希望によって、心身の回復、職業上に技術・知識の取得などが可能になる運営が考えられます。
いくぶんは高校以後の学校や障害者福祉施設に似ていますが、しかし同一とは言えません。
不登校生は、主に小学生・中学生を受け入れるフリースクールというヨーロッパ発祥の教育機関を日本に根付かせ、発展させる役割をしています。
それは従来型の義務教育の枠では受けとめられない子どもの受け皿になる方向で広がりつつあります。
ひきこもりの居場所は、このような役割を果たすのでしょうか。
いろいろな試みをみると萌芽状態とも言えます。
その中心は、対人関係づくりによる社会性の獲得と向上になるものと考えます。
居場所は延長思春期に対応する人間養成の場、そこに向かう途上の新しいものが生まれる混沌とした場と見ることができます。
もしかしたら日本発の新しい世代の呼称やそれに対応する社会的な制度が生まれるかもしれません。

以上はひきこもり当事者の状態から理解する視点になります。
他方ではそういうひきこもりを生み出す社会状況はどうでしょうか。
かつて“農業大学”といわれた時期がありました。
農学系の大学や農業大学校ではありません。
戦後の50年代まで使われたことばです。
日本の産業構造において農業従事者が最大であり、高校を卒業する人は50%に届かなかった時代のことです。
中学卒業生は農業に就きました。
農業に従事しながら社会的な人間関係を身に付け、社会人に成長したのです。
その時期の人間成長にはたす農業の役割を“農業大学”と称したのです。
70年代に日本は工業と社会的なサービス業が産業構造の中核をしめる高度な経済社会になりました。
並行して都市への人口集中や核家族が進んでいました。
高校に進学する生徒が急増し、1980年代には高校進学率は90%を超え、高校は準義務教育といわれる状況になりました。
こういう社会のなかで18歳を超えた人の延長思春期が発生しているのです。

延長思春期に対応するかつての“農業大学”に匹敵するものはありません。
とくに企業社会の多数は人間養成の機能を意識しないまま時間がすぎました。
象徴的にいえば、延長思春期の課題を持ったままの人たちが素人社会人として、プロ社会人に混ざって苦闘しています。
その典型例がひきこもりでしょう。
延長思春期ひきこもりへの取り組みは全国各地で部分的に発生しています。
その代表が居場所です。
居場所が当事者のなかで、その支援をしている人のなかに生れています。
自治体はさまざまな思惑のなかでその動きに参加し始めました。
ひきこもりと共に生活する私の20数年はまさにこの誕生の時期でした。

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