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社会福祉とひきこもりを考える

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福祉制度とひきこもりを考える

これはラフスケッチレベルのエッセイです。
周辺の諸制度を借用してひきこもりに対応するのではなくひきこもり自体を正面に据えた対応を訴えます。

半年余りの精神科の受診の後、診断を受け障害者手帳の交付を受けることになった人がいます。
しかし「これでいいんでしょうか?」という疑問を持っています。
自身が障害者であるのを受け入れることへの戸惑いです。
ひきこもりは精神科の受診を無縁なものと考える多数の人がいます。
そういう状況において精神科医療とひきこもりを相対的に切り離す方策が必要ではないか。
こういう問題意識から今回は「福祉制度とひきこもり」を考えました。

2013年に手作り本『ひきこもり国語辞典』を作成しました。
それまでに集めていた当事者の言動を五十音順に並べて配列したものです。
S君の力に預かり約800冊が売れました。
支援者や福祉を学ぶ学生がひきこもりを学ぶテキストとして利用されるようになりました。
ここにはひきこもり男女の生活や人間関係、心理関係(気持ち・感覚)の表れが中心に語句が並んでいます。
発行後に、不十分なことも見えてきました。
男女関係や恋愛に関することがない、親からの虐待・ハラスメントに関する怒りの表現が不十分、学校時代のいじめに関することが少ない、身体症状の身体科学的な表現がない、当時者の苦心や努力がとらえられていない……など。
他にもひきこもりに関して必要な多くが示されずにいます。
『ひきこもり国語辞典』に掲載されるのは私の目前で見られたこと・話されたことです。
不十分と思われた事情が都合よく目の前に表現されていたわけではありません。そう思っていました。
しかし今回『ひきこもり国語辞典』を出版社から発行できる事態になり、いろいろな記憶をよびさましました。
協力してくれた人たちから寄せられた言動から私にも思い当たることがどんどん出てきました。
最終はわかりませんが、採用語は600語前後、手作り本初版の2倍以上になります。
男女関係や恋愛や結婚に関することもいろいろありました。
当事者の苦心や努力は、特に創作活動面で提示できそうです。家業に関することもこれと同じ範疇でしょう。
怒りの表現は抑制的に穏やかに表れていると確認できた気持ちです。
一見それに見えない表現のなかに隠れていることが多いのです。
おそらく「いじめ」に関することも同じようになっていると思います。
心身の医学医療の表現は不十分です。将来は可能な範囲でまとめようと思います。
加えて親子間の世代間のギャップが時代の大きな変化の中で、文化的・心理的な影響がうまれハラスメントになるとわかりました。
これは12月の会報「時代の変化と世代間ギャップ(断絶)」で書いたことです。
そして、ひきこもりを社会福祉の対象に扱うとはどういうことかを考えたのが今回です。
といっても私は系統的に社会福祉を学んだことはありません。
現場体験として味わったひきこもりと福祉の関係を述べますが、素人目のラフスケッチです。

ひきこもりは一般に病気ではなく状態像といわれます。
生活状態・心理状態・行動スタイル等として見るのが正当でしょう。
基本的には医療の対象ではありません。
医療、特に精神科医療にかかわる人が少なからずいるというべきです。
しかし、成人のひきこもりは働いていないのですから「収入がない」、すなわち生活費を得られません。
「収入がない」、または働けない現実があるのに、病気とは言えず「働くに働けない」事情を説明しなくてはなりません。
障害者の場合はこの制度的・法的な基盤があります。
ひきこもりも場合によってはそれを利用できる人もいます。
けれどもひきこもりは、働いても収入が足りない人や失業中の人とは事情が異なります。
これら障害者に近い状態のひきこもりはいますから、その状態で制度を利用することはあっても、本筋のところでの対応する制度はありません。
そういう事情を考えつつ本筋の制度に向かいたいのです。
具体例に入る前にさらに知っておきたいことがあります。
「就労できない」理由として障害がある場合は証明できます。
身体障害、知的障害、精神障害の診断を受けることです。
2004年に発達障害が精神障害の1つに加えられたことにより制度面で少し前進しましたが、それはひきこもりのうちの少数に対し根拠を与えました。
この診断の抜け穴になるのは、医師はひきこもりの診断をしない、または診断できないことです。
多数の医師はひきこもりの人を目の前にしてもひきこもりの診断はできないでしょう。
ひきこもりとは社会的な現象であって、医学・医療の対象は「精神障害があるのかないのか」になります。
ひきこもりの人と判断できるのは社会的に彼ら彼女らに比較的長期間にわたり関わっている支援者等(医師の一部が該当)になるからです。
ここは意外に気付かれていない点です。

私が福祉面に関わった実際の例を紹介しましょう。
10年以上前に30代の女性Rさんの生活保護の受給にかかわりました。
彼女は家庭の事情から家を出る決心をしました。
家事・介護を手伝いながら個人預金を重ねて準備しました。
そしてあるとき必要品を抱えて家を跳びだしました。
一人暮らしをしながら働き先を決めやっていけると見込んだのです。
しかし、Rさんはこれまでに働いたことがなく、対人関係の経験は少なく、ちょっとした持病もありました。
1年前後で預金は底をつきました。
相談を受けていた私は彼女に同行して自治体の福祉課に行きました。
彼女の事情と生活状況を話し、預金通帳を見せました。
当時、不登校情報センターはNPO法人であり、それもいくらかは役に立ったかもしれません。
相談した当日に事実上の生活保護の決定はされました。
後日に医療機関の診断を受けるように伝えられました。
生活状況が切迫していることを相談窓口の担当者が判断したものと理解しています。
数週間してからこの自治体と連携している精神科に行きました。
診察の後、医師と話したところ「社会不安障害による就業困難」と話してくれました。
私はこの診断内容を納得しています。
精神障害者とまでは判断されなくても、就業困難の証明になるからです。
この他にも数人の生活保護の受給にかかわりました。
家族の暴力による家出、十代から精神科に受診している人の家庭崩壊などそれぞれに特別の理由がありました。
生活保護の受給になっていますが精神科領域の障害者レベルの診断を前提とはしていません。
生活保護と精神科受診は結びついていますが、それぞれ別の判断はあると理解できます。
しかし、こういう例ばかりではありません。
ひきこもりとして居場所にかかわりながら、生活条件に見通しができない人たちがいます。
いろいろな人がいるのでざっと見ていきます。
既に精神科医療にかかわっている人とそうでない人(一般に受診している人は少ない)、何らかの形で福祉の援助を受けている人とそうでない人(かなりの多数が援助を受けるのに抵抗感がある)、一部に障害年金を受けている人、障害者手帳の交付を受けている人がいます。
また就労をめざす人(就職型と家業引継ぎ型)とそうでない人、創作活動や専門職の独立自営(フリーランス)をめざす人、これらの間でどうすべきかを迷う状態の人。
これらの人が入り混じっているのが居場所です。
共通する特別のプログラムはありませんから、人と関わるのを目標とする人から社会参加の準備段階とする人までいろいろな状態の人がいました。
これらのほとんど全部が先行きの見通しができず模索中です。
前述の生活保護を受けることになったRさんもこの中の1人です。
居場所ができた当初から、私が関与しないうちに通所者は自分で働き先を探していました。
アルバイトであったりパートであったり、就職をめざす人もいます。
仕事先が続くと居場所に来なくなる人、働きながら居場所に来る人もいます。
仕事をやめてしまって、居場所に戻る人などです。
あるとき「不登校情報センターを働ける場にしてください」と集団で要望にきたこともあります。
これが居場所作業のスタートになったのです。
このエッセイのテーマは「福祉制度とひきこもり」なので省略します。
社会福祉を受けようとする第一は生活保護でした。
そこに2016年に生活困窮者自立支援法ができ、ひきこもり相談はその法制度のなかに位置を占めることになりました。
ひきこもりへの法的な基盤がつくられたように見えました。
しかし、問題の深刻さと複雑さ、この法制度に占めるひきこもり件数の割合から、ひきこもり問題は後回しになっています。
実態としてこの法制度のなかにはひきこもりの法的な基盤はできていないと判断します。
生活困窮者自立支援法は、生活保護に至らない状態の人への支援条件をつくる趣旨と言われますが、
ある自治体の担当者から「生活保護の受給者を抑制するための制度」というのを聞いて、正体を見た感じがしました。
その一方で、一部の自治体にひきこもり専門課ができてようやく本格的に取り組もうとする萌芽がみられます。
この動きにも注目しますが国レベルでの法制度の基盤はできていません。

次に30代の男性Pくんの場合をみます。
彼もこの居場所に通う人です。
学習能力は高くパソコンの知識・技術も高いです。
このタイプの人は少なからずいます。
Pくんは対人コミュニケーションに難があります。
中学は不登校、高校は中退になっているので、高い学力と学歴が一致しません。
ひきこもりにはこのタイプも少なくありません。
あるときPくんと一緒にパソコンにかかわるB型事業所を見学させていただきました。
B型事業所は、福祉的な就業準備機関であり通所者とは雇用関係はありません。
その見学のときのPくんの感想は「やっていることはわかるし、自分でもできそう」というものでした。
このB型事業所でしているソフト的な作業を除くと、彼が自宅でしているPCの分解、組み立て、修理などは同じです。
私は彼にこのB型事業所に通うように勧めました。
しかし、手続きがいります。まず自治体の承認が要ります。
自治体は判断材料に医師の証明書を求めます。
こうしてPくんは精神科診療の受診からB型事業所への通所手続を始めました。
半年余を経て医師に証明をもらい、自治体から承認を受けました。
これにより一歩前進の道を開いたともいえるわけです。
B型事業所には入所希望者が順番待ちをしているので、実際の通所は先です。
Pくんは医師の証明により「障害者手帳の交付」を受けました。
このエッセイの初めにある「これでいいんでしょうか?」という疑問はここに関係します。
当人と家族だけではなく、私もこれはひきこもりの対応とはズレがあると感じます。
ひきこもりの対応ではなく、周辺にある対応策をひきこもりに援用したものです。
この点は時間をかけて検討したいところですが、さしあたりは次の点が疑問点です。
1、障害者としての身分を獲得して、福祉制度を利用する条件ができた。
ひきこもりは病気ではなく社会的な状態像であることとズレがありはしないか(?)
2、到達したのは雇用関係における社員ではなく、研修生・訓練生です。
アルバイトでもパート勤務でもありません。
医療の診断を受け福祉の承諾を通して、就業準備に入っています。
障害者手帳の交付があるので福祉的色彩はあるけれども社会福祉とは同じとはいえないのではないか(?)
3、ひきこもりの社会参加としてこれを1実例として見た場合、これを敷衍化した一般的な社会福祉制度とするのは歪みが出るのではないか(?)
4、こうなる背景理由は、「ひきこもり」本体の沿った、法的な基盤がないことによるのではないか。
社会関係から生まれているひきこもりを、医療を担当する医師が判断する役割になっている。
社会的な援助が医療的な判断に依拠している。
これが制度上の歪みを生み出しているのではないか(?)

これらの疑問点は、さらに詳しく考える余地があると思います。
いずれにしてもPくんの事例は、何らかの不十分さの土台の上の得られた一歩前進と見なくてはならないと思います。
このような例がひきこもり支援のなかでかなりを占めているのではないかと考えるのです。
ひきこもりを正面に据えた社会福祉の対応策を策定しないかぎり、このような不十分さは続くと思います。
それは当事者に利用しようとする気持ちを引き出さないでしょう。
「ひきこもり対応策」の空白が続くと危惧します。
会報の前号で私は「社会的弱者の援助制度(試案)」を示しました。
それもひきこもり対応策としては不十分です。
ただひきこもりを正面に据えて考えたのです。
それも含めてひきこもりに関する法的な基盤をつくらないと、周辺事情に関する制度の借り物の上においての対応は納得しがたいものです。

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