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雇用条件の変更と転職における過剰な個人責任

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雇用条件の変更と転職における過剰な個人責任

プラザ合意、日本のバブル経済の崩壊の後を受けて、日本経団連が「新時代の日本的経営―雇用ポートフォリオ」なる雇用ガイドを発表していました。
1995年のことです。雇用の柔軟化といいます。そこに今後の雇用状態に関する方向が示されました。
(1)長期蓄積能力活用型(将来の幹部候補として長期雇用が基本)
(2)高度専門能力活用型(専門的能力をもち、必ずしも長期雇用を前提にしない)
(3)雇用柔軟型(有期の雇用契約で、職務に応じて柔軟に対応)
この三種類に雇用形態を分けたのです。今日の非正規雇用型が広がった根本的な考え方です。
『ゆとり世代は、なぜ転職をくり返すのか?』の中では、次の部分も引用されています。
*この本の副題は「キャリア思考と自己責任の罠」になっています。
《そこには、従来型の雇用保障が困難であるということと、今後は社員の「個性尊重・自己実現」を重視していく、という企業経営者の見解が明確に示されている。
内容は以下の4点にまとめられる。
①個人の努力に報いることを目的としない終身雇用や年功序列といった「集団主義」的労働慣行によってサラリーマン、特にホワイトカラーは会社に対する不満をつのらせ、生産性が上がっていない。
②厳しい環境を生き残り、社員の「自己実現」や「個性の発揮」を引き出すべく、各社員の能力を存分に発揮できる能力主義・業績主義を採用する。
③能力が発揮されなかった場合には、社員の能力ではなく、職場が求める能力と社員の能力のずれという「雇用のミスマッチ」に原因があると考える。
④「個性尊重・自己実現」の視点からは、能力や適性が合わない環境での仕事はふさわしくないため、企業をこえた横断的な労働市場を形成し、人材の流動化を図らなければならない。
このように組織に依存するような従来のキャリアではなく、個人の視点に立った自律的なキャリアが求められるということが、日経連によって示されたのである。》(43p)
これに基づき1995年には法的に民間職業紹介が自由化されます。
《さらにキャリア環境を大きく変容させた出来事として、1999年の法改正による民間職業紹介の自由化(以後改正職安法)があげられる。
この改正職安法のベースとなった中央職業安定審議会による1999年3月の「職業紹介事業等に関する法制度の整備について」と題する建議からは、キャリア環境の変容の背景が分かる。
「Ⅰ.基本的考え方」を要約すると次のとおりである。
「産業構造の変化やグローバリゼーション、急激な少子・高齢化などによって、即戦力となる人材の迅速な採用や臨時的・短期的な労働力確保の必要性の増大といった労働力需要側ニーズの変化がおこっている。
そしてリストラ等により転職を余儀なくされる労働者、専門的な知識、能力を発揮できる仕事を求める労働者、ライフスタイルに合った働き方を求める労働者の増加といった労働力供給側のニーズの変化も起こっている。
こうした労働力需給双方のニーズの変化に対処し、労働者の雇用の安定を図っていくために、労働力需給のミスマッチを解消し、失業期間を短縮させる必要がある。
そこで「公正かつ効率的でセーフティネットを備えた労働力需給調整機能の整備」を図るという社会的要請に応えて施工されたのが改正職安法である」(44p)。
日本の資本主義はこうして、危機を打開する方策を、雇用される側に負担を押しつける形で乗り切ろうとしてきました。
1980年代から90年代にかけて日本社会はある種の行きづまりを示し、危機に陥っていました。
失業者の増大や企業倒産はその象徴といえるものです。
それを資本の海外進出などで打開しようとしただけでなく、雇用条件も犠牲にしなくてはならなかったわけです。
このうち雇用についていえば、それを改善する道をとらざるをえない別の理由もありました。
社会経済状態の急激な変化のなかでは従来型の雇用形態だけでは対応できない面がありました。
「社会経済の変化、情報化社会の到来」に対応するという目くらまかしをしながら、経団連に(すなわち資本側に)一方的に都合のいい雇用条件に大きく変えていったのです。
『ゆとり世代はなぜ転職をくり返すのか?』(ちくま新書、2017)の本はこの従来型では対応していけない部分を説明していますが、私によく理解できないのはこのあたりです。
とくに「キャリア思考」をよく理解できていないためだと思います。
いずれその部分を詳しくしたいと思います。
しかし、それらを詳しく展開したうえで、著者はそこには大きな問題が含まれていると喝破しているのです。
第5章「自己責任の罠」ではくり返しそこを指摘しています。
「若者の転職者自身が、自分の置かれた状況に前向きに取り組むことを応援したり評価することと、彼らが置かれている状況は仕方ない状況なので彼らが自分で努力すべきであると考えることは、地続きではない…。
個人に視点を向けすぎることで、社会の歪んだ状況に対する違和感や、社会自体の問題に取り組もうとする意識は薄れていく」(160p)
「個人ではどうしようもないようなリスクを自己責任化してしまう可能性がある」(169p)
「ミクロな視点で、彼らの転職における意志決定だけを見ていたら見落とすことがあまりにも多すぎる…。
転職は何もその人の意志決定だけで行われるわけではない…。むしろ大きな構造の一部が表出した姿ともいえる…。」(172p)
雇用条件の変更だけでなく、転職という社会的に必要であることのなかにも、個人に不当な責任が負わされると言うのです。
感性過敏ともいえる若い世代の中に、社会から身を引く(ひきこもる)傾向が生まれる背景事情の描写といえるのです。

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