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80~90年代の個人的な思い出

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80~90年代の個人的な思い出

社会的ひきこもりの起源(1の2)

80年代以降の思春期以降の子どもの状態について個人的な思い出を書きます。
(1)の追加というより個人体験からする補足です。
1980年代の半ばから不登校の子どもはそれまでの長期の減少傾向から増加に転じます。
これは当時の文部省の調査からも明らかになります。
その子どものなかにひきこもりがいたのですが、どれくらいいたのかはわかりません。
2005年だったと思いますが厚労省が全国の保健所で把握しているひきこもりの人数を発表しました。
これが公式には最初の人数発表です。
ただそれはきわめて不十分な、ほとんどあてにできないものでした。
なぜなら不登校情報センター(松田個人といってもいい)では『ひきコミ』読者などのリストをつくっていました。
それはひきこもり該当者を含むごく大雑把な人数把握ですが、その人数と大差がなかったからです。
当時は全国の保健所は統合がとくに進んでいる過程でした。
不登校情報センターの『ひきコミ』読者+相談者等の合計は1万人をかなり超えていました。

1970年ごろに「子どものからだがおかしい」という報道がされました。
日本体育大学の正木健雄先生グループの調査でNHKが報道して広く問題にされました。
典型的な例では朝礼など全校生徒が起立して集会をしている場で、子どもたちが倒れるという例が各地で続出していたのです。
これは子どもたちの生活環境(食生活・遊び・運動など)が大きく変化して、体力面で何かの異常が起きていると指摘されたのです。
そして1980年代の中ごろに不登校が増加に転じました。
私はこれを「子どものこころがおかしくなった」と——これは1990年代の後半になって感じ、どこかに書きました。
からだに続いてこころが「おかしくなった」と感じたわけです。
さらに1997年ごろに「子どものいのちがおかしくなった」とも書きました。
1970年ころ——子どものからだ
1983年ころ——子どものこころ
1997年ころ——子どものいのち
このように十数年ごとに、子どもたちが——日本人の状態の変化を極端に表わす——が表われていると考えたのです。
1997年というのはサカキバラ事件が典型でしたが、命をめぐって自殺とか殺人とか——当然それは千人というすごい人数になることはありませんでしたが——表出した時期だったのです。
今振り返って思うに「おかしくなった」のではなく、変化していたのです。

私が出版社に入り、編集の手伝い始めた最初は川上康一『レポート子どもの心とからだ』(1979年12月、あゆみ出版)という本です。
また手元にはないのですが、正木健雄先生のグループの調査を生かして『子どものからだ調査』(タイトル名不詳?)という『子どもと教育』臨時増刊号を編集しました(1985年ごろ)。
80年代には子どものからだやこころの変化を感じていたはずですが、からだの変化が不登校(こころの変化)と地続きの関係にあるとは考えていなかったのです。
正木先生は頭の中で思いうかべていたかもしれませんが、編集作業の途上でそれを発言したことはありません。
不登校生が増え始めた時期であり、その関連をそこまで深くは結びつけてはいなかったのです。
そして、主要には1970年前後に生まれた子どもたちに——これから取り組もうとしている日本社会が、1960年代の高度経済成長を達成しつつある時代に生まれた子どもたち―にある変化が生まれたのです。
その象徴的なものがひきこもりです。
社会的ひきこもりの起源というばあい、それを生み出す社会状況の変化は、高度経済成長という歴史的な大変化によって準備されたといえるのです。
この社会的な土壌とひきこもり発生の相互の関係を説明するのが今回のテーマ「社会的ひきこもりの起源」になります。

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