カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


Center:実感なき搾取の構造②

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
移動: 案内, 検索

4ー4実感なき搾取の構図②

〔2010年06月11日〕
4-4実感なき搾取の構図の続きです。

T=また「対人関係づくりを“最高の目標”とするフリースペースを常時設定している」とあるが、“最高の目標”とは松田理事長の観念的な言葉であって、 実際のところ、同センターを“卒業”して実社会へ出た際に元通所者が遭遇する問題の多くを、 同センターでの対人関係づくりの経験によって解決できるわけではない。
“最高”とは、その程度の対人関係づくりが「同センターが施せる限界点」であるという言葉のあやでもある。

M=(1)これまでの不登校情報センターの通所者への支援目的を一つ挙げるとすれば対人関係づくりになります。
その意味で「最高の目標」です。不登校情報センターに通所し続けるにしても、 通所しなくなるにしても、対人関係づくりの完成はなく、自分の気質・性格特性を生かす課題は各人に残ります。
その内容は“解決力”という技術や知識ではありません。
人との関係で自己防衛がからだの反応として先行する、緊張する・萎縮する・強く見せないと押しつぶされる感覚になる、そこから抜け出せる力を対人関係の修行のなかで得ることです。
要するに自分を平静に維持できる安定感をえることが対人関係づくりの内容であり、目標です。

M=(2)青年期以降この課題が求められ、それに挑戦し、合格点レベルの状態に到達するのは容易ではありません。
人それぞれの状態において安定感は違いますが、数人の親しい友人関係ができるのがひとまずの到達点と考えられます。
不登校情報センターが「施せる限界点」という評価は否定も肯定もできません。
いずれにしても到達点に届かないのは通所者の当初の状態、気質・性格特性、対人関係づくりの過程、支援のしかたなど多くの要素の結果です。
どれかに原因を決め納得すれば、その力がつくわけでもありません。
粘り強く続けようと呼びかけたいです。


T=そして、戸塚ヨットスクールなどの体罰を過度に肯定する団体が問題を起こしたことで、 「引きこもりはスパルタ指導では治らない。引きこもりを治すには時間が掛かって当然」という認識が社会一般に醸成されたことを逆手に取った、「支援の成果をすぐに出さなくても社会の人々は文句を言わない」という視点が、同センターの個別的・具体的・即時的な支援を行わない温床のひとつとなってしまっている。
「成果をすぐに出さない」ことに偏った支援では、通所者の時間はいくらあっても足りず、まさに「時間泥棒」に時間を盗まれた状況となってしまっている。

M=(3)「引きこもりを治すには時間がかかる」と思います。
私は「治す」よりも育てる方がいいと思いますが、医療機関とフリースペースの役割の違いかもしれません。
それを戸塚ヨットスクールにより認識されたとは思いもよりませんでした。
引きこもりに関わる私の経験、他の支援者の報告からそう考えるのです。

M=(4)「成果をすぐに出さない」なる支援を選んだこともないし、選べることでもありません。
持論の範囲の意見ですが、人への安心感は乳幼児期に父母や周囲の人たちから暖かく見守られ「この世に人間として生きるのを歓迎された」体験のなかで育ち、脳と神経系のなかにネットワークができるのだと思います。
それを十代以降の青年期のなかで取り返す、埋め合わせるのが対人関係づくりです。
その過程は非常に数が多く、個人の状態によりますが基本的には一つひとつを丁寧に身に付けていかなくてはなりません。
このために時間を要すると私は理解しています。
しかし通所者には自分の年齢との競争を意識せざるを得ない人がいるのも事実です。

M=(4)「成果をすぐに出す」のは望ましいことで、戸塚ヨットスクールや体罰は成果をめざす理解が違うように思います。
私がその方法を選ばないのは、いまの状態を破壊して望ましいと思える状態を植え付ける方法に見えるからです。
通所者を肯定的に受け入れる方法はこれと反対です。
すぐに成果が出ないと責められますが、私には納得できる方法で支援を考えるだけです。
このような無力を責められても無力のままです。
しかし「できることをする」のです。

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス