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尊厳ある死、尊厳ある生

〔2010年07月11日〕
尊厳死、尊厳ある死について書きます。
それと同じ原理に立つ尊厳ある生き方、それに関連する社会福祉制度の利用も考える機会が多くなりました。
尊厳死の言葉の意味内容をよく知っているわけではありません。
言葉の持つ雰囲気がときと場合によっては自殺を肯定する、あるいは容認する感じがします。
おそらくは終末期医療現場の厳しい状況から生まれたものでしょう。

その現場をよく知らない私が、そこにおける全ての尊厳死を否定する知識は持ち合わせていません。
それとは反対方向の延命治療となるとさらに難しくなります。
医療現場で生まれる身体的な条件による尊厳死ではなく、
人生への絶望という精神的状態が生存に耐えられない場合を想定して、考えるしかありません。
そのような場合には、尊厳死よりも尊厳ある生き方を社会的に、人間的に用意しなくてはならないのではないか。
考え方がそちらに向いていきます。

日本国憲法にいう国民の最低限の文化的生活が保障される条件がつくられ、とくに本人がそれを気兼ねなく受け入れられる社会的な風土が必要です。
引きこもりに関わって支援活動を続け、かなり時間が過ぎました。
私も歳をとりましたが、引きこもり状態の人も、それを支える父母も歳を重ねてきました。
人間の成長の最適な時期を良好な成長の機会にできなかった引きこもり状態の人には、
社会に入る苦痛、圧力、葛藤は想像以上というしかありません。
 

これにたいして楽観的なことばかり言えるものではありません。
引きこもり経験者の多くが、いずれは社会福祉制度を基盤にした生活ができるようにするしかない、
そう考えることも多くなりました。

その際、尊厳ある死を切り離して考えるのではなく、尊厳ある生き方との関連で考えなくてはならないのです。
事実、何人かは「生活保護を受けることはゲームオーバー」的な表現をしました。
とても心理的に抵抗感のある救済策です。
ですがそういうことをいってはおれなくなり、私の相談にも将来の深刻な事態への対応を考えるものが増えています。

相談者が望んでいなくても、私が想定する解決方向には社会福祉制度の利用を考えた方がいいと思えるものも出てきました。
この気持ちと制度の間隔を埋め合わせる条件を見つけなくてはなりません。
実際には働けないけれども自分ではそれをよしとしない気分(言い訳をしたくない気持ち)、
何らの自己肯定ができないまま生活保護を受ける危うさを放置しない精緻な制度づくりです。
私にとってはこの分野は未知のところです。
それは人間の活力を強める道、人間性をスポイルしない方法の探究になります。

私が尊厳ある死をアドバイスすることは考えられません。
尊厳ある生き方、その条件をどうつくるのかを考えるのです。
引きこもり経験者を、生存の見込めない状態に放置することはできません。
それは彼ら彼女らを救済することだけではありません。
日本社会を救済し、継続させていく条件をつくる取り組みにもなります。
自殺者が続出する社会は存続しえないのです。
からだが動く限りは不登校情報センターで働きます。
ここを離れてはそのような取り組みは根無し草です。ボチボチやるでしょう。

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