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Center:138-散在することを規則だてて理解する試み

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138-散在することを規則だてて理解する試み

(1)YouTubeのなかに見たもの
実感ある体験の話から始めましょう。
ときどき「YouTube」をみます。映画自体はないけれども、映画音楽があり少しの映像が流れます。

感動したのは「汚れなき悪戯」と「Ghost」です。
「汚れなき悪戯」は1955年のスペイン映画。教会で育てられた孤児マルセリーノの物語。
「YouTube」では教会のキリスト像にパンを差し出すシーン。
あまりの純真さにさしものキリスト像もそのパンを受け取り、話しかけ、抱きしめる…。
マルセリーノの願いは母に会うこと。
願いはかないマルセリーノは母のいる天国へ。
町の人たちはこの奇跡を聞きつけ葬儀に集まるというものです。

「Ghost」1990年のアメリカ映画。
交通事故を擬せられ殺害された銀行員サムはGhost(霊)になり、恋人を守ろうとした作品です。
主題の映画音楽はいまもときどき流れます。
この2作品がなぜ感動的なのか。
しかし、感動を説明することはできません。

両方ともキリスト教文化の影響にありますがそれは関係ありません。
キリスト像が生きて動く、死者が霊になって活躍する作り話です。
心を動かすのは、そこに人間の真情を表わす虚構性が働いているとしか思えません。

信じるのはマルセリーノという5歳の少年と霊になったサムの恋人です。
子どもと女性です。
ここに何かを感じさせるものがあり、成人の男性にはできない芸当かもしれません。
成人男性では虚構性が成り立たないのでしょう。

なぜこの場合は成り立つのか。
真情をつかみとる能力が子どもと女性には、少なくともある部類の子どもと女性にはあると思わせるからです。


(2)野生動物の動きのなかに
読売新聞7月2日付の夕刊があります。
シンクロニシティ(共時性)に関心を持った私はこの新聞を手放せませんでした。

13面に「震災前 動物異変」の記事があります。
3月11日の東日本震災の前に野生動物の異常行動の目撃証言が載っています。
「叫ぶカラス、争うトンビ、砂浜にクジラ…」とあります。
1896年の明治三陸地震、1933年の昭和三陸地震、1995年の阪神大震災、2004年のスマトラ沖地震のときも動物の異変が表示されています。
総務省消防庁は各地の言い伝えなどを収集し「全国災害伝承情報」のホームページを作っているようです。

人間ではなく野生動物は、地球の異変を予知したのではないか、予知できる本能的な能力を維持しているのではないか。
それに迫るものがわかるのではないか。
そう思わせる動物の動きです。
たぶん人間にも、以前にはいまよりは持っていた自然の動きを体得する能力を、野生動物はいまも持っているのではないのか。
消防庁の情報収集とその研究はそれらを立証していく手始めになるかもしれません。

人間が手にした理論レベルでは、自然の動きをとらえられないけれども、違う手段ではそれが可能になるかもしれない。
生物として備える察知する力はある種の生物に、とりわけ動物にはある。
動物により表現は違うらしいが、生存を脅かされたときには独特の動きをするようです。
シンクロニシティは偶然の同時性といわれますが、こう見るとそこに必然性がかすかに感じられてきます。
大震災のような時には一斉に現われるけれども、実は日常的にもあるのではないか。
こう思わせる記事なのです。


(3)中世人が手がけたものの中に
さて私の手元に1冊の本があります。
いささか持て余してしまう1冊です。

本はC.G.ユング『錬金術と無意識の心理学』(松田誠思・訳、講談社新書)です。
16世紀にドイツ語地域で医師・錬金術の研究者であったパラケルススの理論を研究したものです。 錬金術と聞くだけで現代人は蔑みたくなるかもしれません。
少し前に読んだ朝永振一郎さんの『物理学とは何だろうか・上』(岩波新書、1979年)によると、現代科学、特に物理学(天文学)と化学の源流に中世の占星術と錬金術が紹介されています。
現代科学からみればかなりおかしいかもしれませんが、学ぶことも多いものです。
17世紀に天体物理学を開いたヨハネス・ケプラーは占星術師でした。
化学を開いたロバート・ボイル(ボイル・シャルルの法則の発見者)は錬金術の研究者でした。

そしてユングはパラケルススのなかに心理学の先駆を読みとったようです。
ユングはパラケルススに現代に役立つものを見つけようとしただけではないと思います。
現代人が見落としやすく中世人がよく気づいていたものに、自分も気づきたかったのではないでしょうか。
まさに大人が見逃しやすいものを子どもは見逃さないように。
西洋人が忘れ去ったものを東洋人が保持していると確信していたようにです。
それに加えてユングは精神病者にもその痕跡を探していたように思います。

ユングは何を探したのでしょうか。私にはまだわかりません。
なにしろこの本はユング自身が書いたもので私が読んだはじめてのものだからです。
私は、ユングが提唱し始めたシンクロニシティに関心をもち、調べ始めたところです。
ですが初めからユングを読みたいとは思いません。
自分なりのひらめきがあり、その熟成を経て近づきたいと思うのです。
いつもながらのじれったい遠回りの方法です。
速くつきすぎると受け取るのが精一杯で自分なりの課題をもてなく行き詰まる予感がするのです。


(4)それでも無軌道に陥ることではなく
シンクロニシティに関してはまだ語ることができません。
人間に感知できないものを他の生物、とりわけ動物が持っているかもしれないこと、そこに研究方向が示唆されたことが1つ。
人間においては子どもや女性の中にそれを察知する能力が備わっている可能性を感じられること、これが第2です。
よく考えれば、これまでも非公式にはささやかれていることです。
しかし、これは近代科学を否定するのとは全然違います。
感覚、感情あるいは感性によるもののうち、科学は論理的に説明できるもの以外を捨てやすいと思います。
理論的なものはとりわけ男性的になりやすいものです。
歴史を見ると“不可解”とみなされたものは実際に多く捨て去られています。
迷信や悪習として一緒に捨てられたものは大量にあると思います。
そうするのではなく、説明できなければ保存しておく態度が要ります。
いつかそれを説明できる時期が来るかもしれないのです。
何かを肯定する・否定する際の傍証になるかもしれません。
もっと重要な役割をするかもしれません。
近代を迎えるとき人間は過去を断ち切るためにそういうものを廃棄しすぎたように思います。

また反対のことにも注意しなくてはなりません。
論理的に説明できないことを、無条件に信じ込むことです。
自分でそうするのはまあいいとしても、他の人にまで受け入れを求めるのは行きすぎです。
社会的な判断基準にするのはさらにおかしくなります。
近代科学が基礎にするのは原因結果の関係、あるいは条件設定が困難なものを了解的な関係のなかで説明し理解していくものでしょう。
シンクロニシティはそれを超えたものについて何らかの規則性のなかで説明する内容を持っていると感じさせてくれます。
それなくしてはとりわけ人間の心に発生する事態は、理解しづらいし対応できないのではないでしょうか。
不思議なことだけれどもシンクロニシティが解き明かされれば納得できる理由を見つけられるかもしれません。

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