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Center:1999年8月ー欠席が重なって高校中退した娘

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欠席が重なって高校中退した娘

相談者・母。
相談該当の人=16歳、女。

前略、娘(16歳)のことでご相談したいと思いペンをとりました。よろしくお願いいたします。

① 学校 幼稚園から中学卒業まではとくに問題はなく、友達もいて元気に登校しておりました。
中1くらいまでは身体も小さく(学年でも1、2を争うくらい身長 が低かった)心配しましたが、中2くらいから身長も成績も一気に伸び、中2では作文が入賞して市の代表として原爆記念式に参加。
中3では市内の公立トップ の9校も確実な成績になりましたが、高校を決める段階で、本人は私立の海外交流が盛んな高校を志望。
私も父親も公立を勧めましたが、ガンとしてきき入れず、学校や塾の先生のアドバイスも耳に入らないようでした。
本人なりの意欲や夢や希望も強かったので仕方なく私が主人を説得する形でその高校に推薦入学しました。
家から1時間以上かかる学校でしたが、本人ははり切ってスタートを切り夜はラジオ英語講座を聴くなど積極的態度も見られ、
高校の友人からも電話がかかってくるようになりました。
しかし5月末の中間テストが近づく頃、全く勉強する様子がないのできいてみると、自己紹介の段階から出席番号の前と後ろ、その他2、3人の女子からいやがらせ、無視、悪口をクラスに言いふらされる等のことがあり、
そうこうしているうちに、最もまじめでおとなしい子たちのグループに入って、話の合わないのをがまんしてつきあっている状況におかれているとのことでした。
自分がクラス中にきらわれていると思うと緊張し、怖くて仲のよい子たちとも気軽に話しできないようでした。
私はすぐに担任の先生に連絡をとり至急席替えをしていただきましたが、そのころから休みがちになり、登校してもなかなか校舎に入れなかったり早退したりするようになりました。
いじめた子たちに対しては、かげでさらにし返しが強まる可能性があること、娘本人の希望で、何の忠告もしないことにし、(先生の話)学年の先生全員で見守るということにしました。
その後もいやがらせは続いていたようですが、娘は詳しいことを話さないのでよくわかりません。
そのうち先生の言動についても不信感をもつようになり、頭痛、疲労感、アトピーの悪化等加わって、週のうち2、3日は休む状態で3学期を迎えました。
欠課時数が多く進級はおぼつかない状態だがはっきりしたことは3月の進級会議後ということでしたので、
娘はクラスが変わることだけを望み、進級するためだけ学校に足を運びましたが、
1月末頃から学校に行かず、デパート等で時間をつぶして帰ってくるような日が続いたので、もう休もうということで、登校をやめました。
2月初め先生より電話で欠席オーバーの一教科がはっきりし進級はできませんとの連絡があり、娘は予想していたもののショックだったようです。
2月中旬、経験ある学年主任か校長に会ったらどうかという電話が担任よりあり私のみ学校に出向き担任、学年主任と会いましたが学校側からは何の説明もなく編入などの件については、むしろ私の方がよく知っているほどでした(校長先生には夏休み中に私が会いに行っています)。
このような状態に陥った生徒に対しては、追試、補習等の制度は設けられておらず、○日以上休んだからダメですという機械的な措置の冷たさだけが残り、
2月のその日に休学届、3月に退学届を提出しました。
現在県立高校の通信課に席はありますが、活動は一切していません。

② 健康状態
小学生まではよく熱を出し喘息も5、6歳よりありました。
小6の時は楽しみにしていた修学旅行の前日の夕方から熱を出し旅行に参加できず、かぜをこ じらせてそのまま5日間入院しました。
しかし、それ以後はかぜ、喘息はほとんどなくなりました。
また、1歳の頃から中程度のアトピー性皮膚炎があり首から下はいつもどこかに湿疹があり親子共々ずっと苦労してきました。
いくつもの病院、できる限りの治療を試みましたが治りませんでした。
何度かはまわりの子からアトピーのことで傷つくことを言われたりしたことがあったようですが、
服を着れば隠すこともできますので本人はたいして気にせず、中学時代は何の治療も しませんでしたが小康状態を保っておりました。
ところが中3の1月末、ちょうど高校の合格が決まってほっとした時期に、突然顔が赤くなりました。
娘はあわてて病院に行き薬をぬりながら様子を見ていましたが、身体のアトピーは全く気にしなかった娘は、顔にはかなりショックを受けたようでした。
顔の赤さを気にしながらの高校生活のスタートで、これはかなりストレスだったようです。
学校をやめる頃には、クラスの人達のことより顔が気になっていたようです。
夏休みはアトピーに効果があるという水を使って必死に治そうとしましたが、改善せず、家族でキャンプ~おじいさんの家(福島)に行った以外はほとんど外に出ませんでした。
以前は幼少の頃より病的なくらい色白で、プールに入る と唇がすぐに紫色になるような顔色でしたので、よけい気になるようです。
その頃と比べると確かに赤いのですが客観的に見て周囲が驚くほどの異常さではありません。
2週間程前にアトピーの独自の治療で成果をあげている病院、先生の薬に出会うことができ、
長い間キズの絶えなかった体のアトピーは、かなり改善され 顔もしみひとつないむしろ普通の人よりもすべすべの美しい肌になりました。
しかし、娘は一日何度も鏡を見ては赤みがとれないと沈んでいます。
身体はどうでもいいから前のようなまっ白の顔になりたい、元の色と違うのがイヤ、顔が赤いと何もやる気がしない、
でも赤みがとれたらバイトをたくさんして買い物にも遊 びにもどんどん行って留学もしたいとのことです。
こうなるとアトピーというよりは心療内科の治療が必要だと思うのですが、さりげなくそれを勧めたり、私が正常な肌だと言うと大声で怒り、
おかあさんは何も理解してくれない、だから治らないと言います。

③ 現在のようす
ここに至るまでの状況を娘は他の人に知られることをいやがり、中学時代の友だちともほとんど連絡をとらなくなり、私の口から他の人に話すこともいやがります。
"顔が赤い"という理由でほとんど家から出ませんが、5月祖父のおみまい6月祖父の告別式では、家族と共に福島へ行きました
(福島の親戚には私の両親を除いて現在の事情を話していません)。
週一度アトピー治療のためはりに行きその足で古本屋へ行き本を買いこみ、そのあとコンビニなどで少し買い物をします。
これは車で私がつれて行きます。
無気力で今までパズル、ワープロ、ししゅうなど一定期間やっていましたが、今はただゴロゴロして本も(気軽に読めるエッセイなど)を読むだけです。
家では中3の妹と楽しそうに話すこともあり、けんかする時もあります(家族は両親、本人、妹の4人)。
先日、納骨のため両親のいない家で4日ほど2人に留守番をさせましたができる限りの料理、洗濯、妹のめんどうをみることなどに努力していたようです。
しかし、何といっても家の中にばかりいるので私と2人きりになるとたいくつ…何もいいことがない…ひま…とぐずり出し私の言ったことが気にいらなかったりすると不満を爆発させます。
4月頃までは自室に閉じこもり2-3日出てこなかったりやたらに私に"あやまれ"と強要し続けることが時々ありました。
努力や気力の要ることは何ひとつしようとせずそれでも何か楽しいことをさがしてくれと言うので○○は? と提案すれば、イヤのくり返しでほとほと困っています。
ただこの2-3日、通信教育の案内書請求のはがきを書いたり、以前からパソコンに興味を持っているようなので、その辺から何かをさせてみたいと思っています。
以上今までの経過を書いてみました。
そちらではいろいろな事例を扱っていると思いますが、これから家族としてどのように導いていったらよいものかと思っております。
アドバイスお願いいたします。

【回答】

8月13日に受け取りましたお手紙の返事です。
文面だけではわからないところがあります。おおかたはこうであろうと判断しているところもあります。
そのあたりは、お返事するのに、ちょっと心配な点です。
なぜいじめられるのか→いじめられると感じるのか、という点。
高校に入学した嬉しさや目標がはっきりしていることによる活発さ。
これか「自分の思い込み」による行動や言葉を発したように思います。よくあることです。
周囲の子どもたちは、その意図することがよくわからず、とまどい、隣にいる子に「どういうことなんだろう」という感じで話しかける。
そんなことが続いているうちに孤立感を感じる――よくいう浮いている感じだと思います。
周囲の子が話し合うのが、自分に向けられた陰口と感じられるようになると、これがいじめになると思います。
実際にはどこまですすんでいるのかわかりません。
「あの子は一人ですすんでいて、私たちにはついていけない」レベルから、
「あの子は身勝手だから一人でやらせておいて私たちだけでやろう」というレベルまであります。
周囲の子たちは(ほとんどの場合)いじめているという気持ちはありません。
けれども当人にとっては、孤立感のなかで、仲間はずれ、いじめと受けとめられる状態になっていたと思います。
わからないのは、そんな元気な子なのに、なぜ「おとなしいグループ」に入っていたのかです。
そのおとなしい子のグループでのことも含めて、周囲の子どもにあわせなくてはならないという精神的なプレッシャーが働いたことが、緊張の内容になると思います。
自分の思い込みで働いた人は、それまでに周囲の人に一つひとつのことを理解しているかどうかをチェックしていく作業を省略しています。
ふと自分に気づいて、孤立している、理解されていないと思うと、今度は一気に、人に合わせる方に気が向きます。
ベストはその中間にあります。
自分の気持ちに素直であり、それを自然に表現し、相手を傷つけないことです。
これは後でまた説明します。
このあたりでは、教室での席がえは、ほとんど改善にはなりません(多少は心理的に楽になるケースもあると思いますが、それでも一時的です)。
学校側の対応は、不合格だとおもいますが、ただし悪意はない、指導力がない、ということです。
「いじめ」ている生徒へは、実は何もできません。
いじめているとは考えられないと思ったからでしょう。
娘さんへの対応がないことが不合格の理由です。
しかしそれも実はたいしたことができません。
娘さんにどうすればいいのかを伝えていないからですが、伝えられた娘さんに、その意味がわかるか、意味がわかったとして、
それが実行できるかどうか、難しいところがあ るからです。
休みは、このようなときに必要になります。
娘さんが休み始めたのは、ある意味理にかなっています(たぶん意識はしていないでしょう)。
休みはゴロゴロした生活に中心があるわけではありません。
ゴロゴロした生活の中で、あれこれと、雑然と考えることに重要な内容があります。
登校拒否の時間とは、そのように必要な時間であると考えた方がいいと思います。
アトピーと赤面について――アトピーについての医学的なことは省きます。
赤面を気にするのは、要は自分を見つめている証拠でもあります。
実は顔だけでなく、自分の精神的なこと、友人関係などいろんなところを見つめています。顔も見つめています。
見つめるとどうなるのか。
母親や周囲の人間の小さなことと思えることが、本人にははっきりと見えるのです。
よく高齢者は1センチの段差でつまずくといいます。
それと似ていて本人は小さな違いで、精神的なつまずきをしてしまうのではないでしょうか。
赤面を気にしている娘さんの心は、そういうものだと思います。
しかし大事なことを見つめるに至っていないと思うことがあります。
それは自分の心の奥底にある感情です。
いいのか、いやなのか、好きなのか嫌いなのか、嬉しいのか悲しいのか、――喜怒哀楽の表情といっていいでしょう。
友人関係(対人関係)がうまくいかない子どもには、この感情にすなおになれないことが多いようです。
相手に合わせる(それに先行する過程もありますが、それはとりあえず省きます)ことによって、自分の感情を見失っているようなのです。
それが実はくせものです。
伝える相手には表面に出ている表現と本当の気持ちの表現の二つが見えてしまいます。
自分の感情を自然に表現しないと、二つの感情を発する人になってしまうのだとおもいます。
とまどうのは本人ばかりでなく、相手の人もとまどうのです。
どうつきあっていいのかわからなくなると思います。
人間関係がうまくいかない一つの理由はこれです。
自分の感情にすなおになり、それを自然に表現する意味の大切さはここにあります。
好き嫌いが相手にはっきり伝わることで、相手は対応しやすいのです。
いい人間関係をつくる出発点です。
ただ一つ注意すべきことは、相手が嫌な場合です。
相手を尊重しなくてはならないのです。
ストレートに「あんたなんかキライだ」という言い方は、ときに相手を傷つけます。
親しい友人関係の中では、むしろそういう言い方がいいこともありますが。
人間関係が始まった時点では、相手を傷つけないことは大事です。
相手を理解し、自分も理解されていくに従って、感情表現はお互いストレートになるし、それは共に受け入れられるので問題はなくなります。
ここで重要なのは、自分の感情に素直になること、という意味です。
これは特に人間が子どもから大人に移るときに欠かせないものです。
自立とは、自分らしさの発見をともないます。
自分はどんなことが好きなのか、嫌いなのか、得意なことと不得意なこと、熱中できるもの、すぐ飽きてしまうもの――
それらは 将来の人生設計や、仕事さがしに結びつくものもあります。
それを自分でさがしていく作用です。
十代の若者にそれを保障する(わかりにくい言い方なんです が…)必要があります。
実は登校拒否の時間は、それを保障する時間になっていることが多いのです。
どういう生活をつづければいいのか。
私には、娘さんはいま「休み」の時間を必要としているように思います。
根本的な解決には、急がないで待つことが必要だと思います。
母親としては、できるだけ放っておくことが大事だと思います。
もう16歳(17歳?)です。子どもは親離れする時期です。あまり手を出さない。
口を出さないことが必要です。
しかし目で見ることは欠かせないでしょう。
それに親離れのときは、子どももときどき不安になり、確認を求めてくるときがあるでしょう。
そのときは、大きく構えて受け入れることです。
できれば母親の同時代のころの話をするのがいいように思います。
世間の建前や理屈は、たいして役に立ちませんし、案外どうでもいいことや、あまり実現している人はいないようなことが基準にされているのです。
母親の体験談、それには失敗談もあっていいと思います。それが一番です。
それでも基本は放っておくこと。
買い物、お手伝いなどで外出の機会があればなるべく外に出やすいこと、
パソコンに興味があるなら、例えばパソコン教室に行くようにすすめてみること、それがやや意図的にできることではないでしょうか。
親子関係と女同士の関係が混在し始める時期と考えていいのかもしれません。

*「五十田猛への手紙と返事」
(01)Center:2005年5月ー正社員になりたがらない若者
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