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Center:2002年10月ー大人の引きこもりを考える

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〔2002年10月5日〕

目次

大人の引きこもりを考える

〔不登校情報センター内における講演記録〕

大人の引きこもりといいますと、一応20歳以上の年齢を考えますけど、ここでは主に20代後半以上とさせて頂きたいと思います。
20代前半の人であっても、かなり似たようなことになっている人もいますし、20代後半、30代になっても比較的若い人と似たような状態の人もいます。
要するに個人差がかなりあるということなんですね。
そういうことを前提にお話させて頂きたいと思います。
今、引きこもりの人はすごく多いわけなんですけれども、「引きこもりである」というのと「引きこもりではない」ということの境目が、必ずしも明確ではないわけです。

本人に「私は引きこもりだ」という意識があれば、それは引きこもりなんだと私は考えるわけなんですが、意識がなくても事実上引きこもりというケースもありますよね。
そのへんには、あまりこだわらずに、こちらとしては、対応しているんです。
みなさんはあるいは斎藤環先生をご存知かと思いますが、たしか斎藤先生は「20代後半で6か月以上自宅に引きこもる状態が続いて、主たる要因が精神疾患ではない」という、医療現場としての定義をされていると思います。
それについては、私も同じような考え方をしているわけです。
だいたい医療機関というのは病名を付けるわけですけれど、そうすると、主たる要因が病気ではないか、と考える方もいるのではないかと思われますが、病気や病名が付いていても、主たる要因が病気ではないと思える人もいまして、そこらへんは、さまざまだと思います。
それについても私はあまり拘らないわけなんです。
つまり、逆に言いますと、病名が付いていようといまいと、どうぞきてください、という感じで、受け入れているつもりです。

なぜ引きこもるのか

では、「なぜ引きこもるのか」ということについて述べたいと思います。
私は、「引きこもりには正当な理由がある」と思っています。
理由があるということは「当然である」ということなんです。
どういうことが「当然である」かということなんですが、本人は「いまから引きこもります」と宣言をするわけではないですよね。
自然に自動的に引きこもる。
いわば動物として、生き物として、身の安全を守るという無意識の、ひょっとしたら無自覚のなかで、そうなっていくことが多いんです。
そうなるだけの理由があると思います。

理由はいくつか、考えられるんです。
まず、ある程度、20代後半以上の人たちが、どういう事からそういう風になっていたかという事について、断片的にいろいろなことを教えてくれるんです。
それを一つ一つ全部挙げるのは大変なんですけれども、抽象化して2つのタイプを挙げます。
「愛の過剰型」というのがあります。
愛が多いということなんですけれども、これは結果として愛の不足とすごく似ているように思えるんです。
多いとか少ないとかわかりづらいので、基準みたいなものを考えてみました。
たとえば、私は4つ程例を挙げてみます。そのうちどれくらい引っかかるか、考えてほしいのです。

小学校低学年ぐらいの年齢を考えてください。
第1に、子どものことをぜんぶ親がやってしまう、セットしてしまう。
例えば子どもが忘れ物をしないように。子どもが学校に忘れ物をしないために、親が子どもの持ち物を全部そろえる。

2番目は、あいさつをする。
友人や親戚の人が来たとき、つい親が「あいさつをしなさい」と子どもに言ってしまう。
そうすると子どもは、うまくあいさつが出来なくなる。
3番目はですね、家の手伝いがなにもない。自分のやることがなにもない。
やや極端な言い方をすれば、親の方としては「勉強さえしておりさえすれば問題はないんじゃないか」ということですね。

4つめは、子どもが選ぶはずのものを、親が選び、それで子どもが喜ぶと子どもが自分で選んだと思ってしまう。
この4つ以外にもいろいろ個別なことがあって、例えば、冷蔵庫にいつでも飲み物が揃っている、食べ物を買いにいくチャンスもない・・・・・・そういうことが、ある程度揃っていることが非常に多いように思います。

では、高学年になったら、それらのことが解消しているかというとなっていない。
中学生になっても同じ。
特に高校進学のときに、高校選びも親の言ったとおりのところに進学する。
小さい子どもは、親の言ったことに喜びますけれども、それが、年齢が上がってきても、ずっと変わらないんですよ。
親が選んだ高校が子どものいく高校、親は子どもが選んだと言うんですけれども、どうも見るとそうではない。
こういうのも、愛情過多のひとつなんです。

実は、20歳になっても同じなんですよね。
すべて「お客さん状態」なんです。
そういうことがあったとき、どういう人間ができるかといいますと、「受け身人間」ですね。
もともと大人しい人が多いですから、受け身になってしまう。
親の言われたことに反発をしない。
言われたことをやる。
逆にいうと、言われたことしか出来ない。
そういうのが愛情過多の結果ですね。

それから、引きこもりの背景の2番目の傾向ですけれども、「自己抑制型の躾」というんです。
要は「親の思いどおりの躾」ですよね。
その躾はなにが足りないかというと、子どもを伸ばすという気持ちがない。
例えば「これは大事だから子どもに付けておかなければならない」。
そういう形の躾なのです。
子どもを評価しないで、親の思いを伝えていく躾。
これは、非常に細かいところまで及びますね。
靴紐の結び方がどうだとか、歩き方がどうだとか、本当に細かいところまでいくわけなのです。
躾が厳しい。

これが、ある程度年齢を経た段階で引きこもりに入っていくひとつのタイプという気がします。
先ほどの「愛の過剰型」と「躾が厳しい型」は、別に話しましたけれど、どこかで同じになっているかも知れませんですね。
それから、このほかに3番目に挙げてみたいのが「安全第一型」ですね。
世の中渡っていくのに「何事からも、はみだしちゃいけない」という。これも「躾型」似ているかも知れない。
ちょっとしたことにも心配をしすぎる。
そうなると今度は「愛の過剰型」に結びつくのです。
安全第一で冒険はしない、といような事を繰り返していると、10代後半くらい、ないしは20代後半くらいで引きこもりになっていくと、まず受け身である。
安全第一で育つと、危険に弱い人間になるのですね。

それから、自分の方から自己表現できない。
もっと言うと、何かを言われた時の反応が弱い、無反応なんですね、特に何かを問われた場合。
好きだとか、嫌いだとか、駄目だとか、そういう反応を表せないんです。
表しているのかもしれないけど、非常に注意深く見ないとわからない。
そういう感じがします。
そのほか指示命令に期待をするし、指示命令がないと動けない。自分が他の人と付き合うときに指示命令型になってしまう。
うまく折り合うことができず、人に対して「こうやってくれ・こうやるのが当たり前じゃないか」と対応してしまう。
そういうことが重なってくると思います。

引きこもるにはわけがある

なぜ引きこもるのが当然なのか。
特に10代の思春期から20代に入るまでの引きこもりの原因です。
「自分のペースをつかもうとしているんじゃないだろうか」と思うんです。
つまり、人のペース、親のペース、いじめを受けた子どもの場合は友達のペース、学校の先生のペース・・・・・・そういうものから自分のペースを取り戻したいのではないかと思います。
そのためには周りに人がいないほうがいい、人がいるとつい頼ってしまう、自分の中のそういうものに反発する力が弱い、自分のペースでとにかくやらせてくれと、他の人から手を出されてしまうと自分のペースが乱されてしまってつかめない。
そういう事でしょう。
自分の安全圏を確保する、干渉のない世界を確保する。
それで自分のペースで成長するきっかけをつかみたい。
そういうことが無意識の内に子どもに入っていくんじゃないかな、と思います。

引きこもりになればとりあえず、その環境が出来上がると私は思いますが、ただし、成功するかどうかはまだわからない。
成功する人もいるし、成功しない人もいる。
成功しない場合を先に言ってしまうと、大きく2つあって、自分に力がない、なにかをやり始めても、もたない。
もう一つは自分の周りの環境に起因する態勢というか、雰囲気がない。
両方ない場合もありますし、どちらか一方がない場合もあります。
決定的なのは、本人の力のなさだと思います。

次に引きこもった結果です。
これはまたいろいろあります。
そのなかから極端な例を2つ話したいと思います。
10代で15、6歳の時に比較的短期間で引きこもり生活を終わった。
たとえば半年から一年ぐらいで終わった。
そういう人の場合は比較的自分を取り戻す、というか自分のペースで生きられる方法を見つけられるケースが高いと思います。

実は5~6年前に、当時は文部省ですが、小中学生で不登校になった生徒が5~6年後にどうなったか、というアンケート調査をやったのです。
不登校ですから必ずしも引きこもりではないのですが、それを差し引いてもかなりの生徒が元気になっている。
そういう結果が出ています。
私はこの調査よりは実際はもっと厳しいんじゃないかと見ているのですが、かなり高い割合で元気になっている、自分を取り戻している。自立の道をたどり始めていると思います。

もう一つのケースはですね、10代の15、6歳から、人によってはすごく長くて、10年ぐらい引きこもっている。
これは前とは対極のケースなんですが、そうすると引きこもったことがひとつの原因に変わっている、引きこもりが結果ではなく原因になっている。
これは社会性の未熟ということを招くんじゃないかと思います。
このことについては、『ひきコミ』の第17号でかなり詳しく書きました。
そこに、「収入につながる社会参加の場」というのを書いています。
引きこもりもいろいろなのがありますけれど、今は10代で比較的短期間引きこもった場合と、10代で長期になった場合と両極をいいました。

たいがいの引きこもりは、その真ん中にいるわけです。ですから早ければ、10代では例えば登校拒否から引きこもった場合は「早期発見」になっているんだと思います。
子どもはなにかの問題を感じてそれを自分の方からアピールしているわけです。
そのアピールの仕方は、言葉で前向きに口走るんじゃなくて、陥没ですね、ぼこっとへこんで、これは何か問題あるよと表現しているんじゃないかと思います。
それが早期発見につながって対応につながる。
対応はうまくいく場合もあるし、うまくいかない場合もあります。
10代であれば、若ければ、うまくいく場合の対応方向は「同世代復帰」ですね。

引きこもり経験者の職場での状況

中間の人たちはどういうふうになるか、長くなった場合の部分部分がそれぞれ一人ひとりの中にあるかと思います。
これは本当にいろいろなんです。
仕事に行っていた人の例、20代やなかには30代に入ってから仕事をやめて引きこもった人もいましたが、そういう人から職場での体験の話を聴きました。
なかなかリアルな話だったのですが、同僚と一緒に仕事をしているときに「合わない」、ペースが合わない、要するに「遅い」、非常に「遅い」と言われた、と。
それから、「なぜテキパキしないのか」と言われた。

また、ある人の場合は、仕事の手順があるんですけど、その通りにやっているはずなのに、出来上がりがちがっている。
例えば、包装の包み方とか。こういうふうにやれと指導されて、その通りにやっているはずなのに、なぜか出来上がりが違う。
そういうような事になりやすいようです。
別の例を言いますと、「1つの事にこだわっている」といわれる人もいます。
それはちょっと思い当たるふしがあるという人もいるかと思います。
例えば、商品販売などをやっている会社で、書類を書くのに上のほうに、誰が来たとか、いくらで売ったとか、時間はどうだとか、そういうのを全部きれいに書かないと気がすまない。
ちょっとでも抜けてるいと、そこで滞ってしまって前へ進めない。
その結果仕事が遅い。

それからまた別の人は、じっくりそのことに取り組めない。
次から次へといろいろなことを思い浮かべてしまって、自分の持ち場が与えられているのに、他のことが気になって、つい席を立ってそちらのほうにいってしまう。
それで自分の仕事がまともにできない。

このようにいろいろな表れ方をするのですが、だいたいの人は職場で浮いてしまう、文句を言われる。
あるいは同僚と一緒に食事ができなくなった。
職場が5時で終われば、まっすぐ5時にすぐ帰ってしまう。
仕事終わったあと一緒に食事にいくとか、そういうことを避けるようになる。

職場での人間関係がうまくいかない、だいたいそういう結論に達するのですけども、問題がそういう形で表れるんですけど、中身を一つひとつ聴いてみると、その背景に仕事の上でのいろいろなことがうまくいかない、ということがあるようです。
それが、職場、仕事がうまく続けられない理由になっていると思うんです。

あとは、雑談ができない。
同じ事かもしれませんが、3人が話をしていたら、そこへ4人目として自分が入っていけない。
もう、あの人たちに中に私が入っていけない雰囲気だった。
そういうのがありますね。
それらのことが、さまざまな形でひびくわけです。
それが自分は会社 みたいな組織では一生働いていくことができないんじゃないか、と思うようになる。
そういう人は比較的多いように思いますね。

ここに来ている引きこもり経験者の中では、長期のアルバイトを数年やっている人もいますし、正社員で働いている人もいます。
働けるようになるとここへ来なくなるんです。
どういうところで働いているかというと、職場の上司がなにかあっても同僚でカバーできるように図らってくれるという人ですね。
もう一人例を挙げますと、倉庫で働いているんです。
倉庫で朝と夕方にトラックが来る。受付みたいな仕事、誰かと一緒にする仕事ではなくて、倉庫の受付係りです。
比較的孤独というか、一人で担当しているような仕事で、その人はある程度長期間続いているようです。
おそらくこの2人は職場に恵まれたということですね。
昔はそういう人はかなりいたのだと思います。
つまり他の人とペースが合わなくても働けた。
世の中が世知辛くなったというか、忙しくなったというか、成績第一主義というか、そういうものが社会のいろんな場面に広がってきている。

例えば10年前、20年前だったら何とか働けた人が今は出されてしまっている。
そういう感じがするんですね。
ここに来ている人にも何人かいまして「この人は昔だったら、例えば私が若かった30年前だったら働けていたな」という人がいるわけです。
社会の忙しさ、世知辛さが結構はたらいている。
他のいろいろな傾向については『ひきコミ』を参照にしてください。

親にできること

その次に家族がなにをするかについて話します。家族に出来ることは大きく言って2つなんです。
時間がない親御さんが「とりあえず私は何をしたらいいんですか」ときいてきたんです。
そのとき私が答えるのは2つです。
一つ目は、「ほめてあげなさい」と言います。
もう一つは「家を休める場所にしてあげなさい」といいます。
どうしてか。
先ほど「なぜ引きこもるか」ということについてお話しましたが、例えば「愛の過剰型」にしても「厳しい躾型」にしても、実は「子どもを認めていない」ということなんです。
「誉める」というのは「認める」の延長なんです。
認めるというか、子どもの言い分を聴くことです。

親の方ではそれ以上に、親の思いがいっぱいあるんですよ。
それをなんとか子どもの中に入れようとすると「厳しい躾型」になるのです。
「愛の過剰型」も同じです。
子どもがどうとかよりも、親の思いでやってしまう。
子どもがいったい何を考えているか、感じているか、しているか、そういうことを聴いてみないんですね。
そうじゃなくて、子どもの言い分を聴いてみて、それをまず認めよう。
子どもの行動や考えが「良い悪い」の判断はあとなんですよ。
例えば、親が子どもにいう「良いこと」が子どもにとって良いことなのか、あるいは悪いことなのか。
そこまで子どもの話をよく聴いて考えることです。
親が良いと思ったことは、意外と駄目だったりするんです。
親が悪いと思ったことが、意外と良かったりたりするんです。
ですからやっぱり、良い悪いの判断の前に、子どもが何を言いたいのか、したいのか。それが第一だと思います。

認める、その上で誉める。
ここは第一高等学院さんの元校舎なのですが、一階に旧海軍の山本五十六大将の言った言葉が貼ってあります。
「やってみて 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば人は動かじ」という言葉があります。
私は軍隊は好きではないのですが、この言葉はいいです。
まず、自分がやってみる。
今度は言って聞かせる。
そしてほめてやらないと人は動かないということですね。
これは、すごくいい言葉だと思います。
誉めてやらないとだめなんです。

誉めてやる場合に、みなさんの場合、「誉めてやる基準がある」と思うんです。
その基準が高すぎるんです。
何が基準かというと「当たり前のことをしたら誉める」ことです。
例えば小さい子だったら、朝に顔を洗った、ご飯を食べた、服をたためるか、全部誉める材料になりますね。
何か特別の事をしたら誉めるのではない。
当たり前の事をしたら誉める。

では子どもが25歳になった、30歳になった、35歳になった、そこに何か誉めてやる材料はあるのか、それを考えてください。
例えば、昼夜逆転生活をしていますね。
ある日、テレビで自分の好きな映画があるので早起きをしてきた。
当たり前じゃないかと思われるでしょうが、そこには「自分のしたいこと、やりたいことがあれば早く起きられる」ということがあるのです。
それは、もしかしたら、「誉めてもいいこと」なんじゃないだろうか。
ただ「いまさら」という感も確かにありますから、子どもが大人で25歳でそうされたから「幼児扱いされた」と言われたこともあります。
でも、誉める材料、誉め方というのは、研究の余地があると思います。

次に、役割ですね。
役割があるということが大事ですね。
例えば私は、パソコンが全然できません。
そういうことは若い人の方が得意ですよね。
そこに、家の中に子どもの役割があるんです。
例えば家の中で子どもはパソコンのゲームばかりやっている。
見ていて不安になると思いますけど、でも「強み」もあるんです。
若い人の方が私なんかの世代よりもパソコンののみ込みが早いんです。
パソコンのちょっとしたところがわからず、息子さんに助けてもらったことなんかがあると思います。
そういう部分をパソコンに限らず家の生活のいろいろな所で見付けていってほしいんです。
あまり唐突にやってしまわれても困るのですが、そこらへんを上手くやっていってほしいんですよね。
誉める、認める、役割を見付けることをです。

家庭を居やすく

もうひとつは、家族として、家庭としてどうするかです。
まず、家を居やすくすることです。
「居やすいとよけい引きこもるんじゃないか」と思われるでしょう?
むしろ、うんと居辛くして、極端に言えば針のむしろにして、家から出てってもらった方がいいと言う人もいるでしょう。
ある考え方に基づいて出させる、という考え方を実践している人もいます。
それらを一律に否定するつもりはありませんが、その場合でも家は居やすくないといけないと思います。

例えば小さい子どもが親から離れていくときは、親の方をときどき振り返りながら、親が居ることを確認しながら離れて行きますよね?
親が見えなくなったら戻って来ちゃう。
親がいるから離れられるんです。
実は大人になっても、ある程度同じです。
親が居る、家庭があるということが、子どもの行動力を促すのです。
そうでないと、家に帰りたがらない。
帰宅拒否症候群というのがありますが、いわば「逆引きこもり」といいましょうか。

もうひとつは「家族が社会とつながる」ということです。
親御さんが会社に行くとき、近所の人と顔をあわせて挨拶することとがあると思います。
子どものことを隠さない。
あえてオープンにすることはなくても、子どもが引きこもっていることがバレてもそれがどうした、という気持ちでいることです。
「子どもの状態に関わって社会とつながる」ということです。
必ずしも明確には言えないのですが、とても重要なことです。
例えば、引きこもりの親の会に参加するというのもその一つです。

今まで、子どもを認めるとか誉めるとか言ってきましたが、そのねらいは子ども自立させていくことです。
家から離れていくために、逆に家を温かくするということです。
冷たくすれば出て行くかというと、どうもそうではないようです。
家が居心地がいいからこそ自立していく、その方が自立の要素が高いんです。
最初に言った「愛の過剰型」であるとか「厳しい躾型」などはこれの逆をやっているんです。
極端な例を言うと、子どもはほったらかしにしていても家が温かければ自立した子が戻ってくる。
たぶん自立自体も似たようなことだと思います。
そういう風にしないと、いかに手をか えてもうまくいかないでのす。

精神保健面のガイドライン

最後に社会的対応方法についてお話します。
かならずしも社会が対応しているとは言い難い、全くないといってもいい状況です。
不登校情報センターとしてもいろいろやっていますが、本音で「なにかやっていますか?」と聞かれたら「なにもやっていません」と答える方が現実に合っています。
そう言ってしまうと身も蓋もないのです。
どんなことをしているのか、どれだけ役に立っているのかは一まずおいておきます。

去年の5月、厚生労働省が引きこもりのガイドラインを出しました。
その中で言っていることは、全国の精神保健福祉センター、保健所によせられた引きこもりの相談は年間6,000件以上だそうです。
ただ、これは厚生労働省の「厚生」部分だけの話です。
先ほど、精神科医の斎藤環先生のお話をしましたが、そこでの取り組んできたことが、かなり役に立っている。
お医者さん、保健師さんが動けるように態勢を整えようということです。

しかし、それに対応して保健師さんの数が増えたかというと、そうではないようです。
いま全国に保健所は650か所ほどあります。
その中でも引きこもりに関する対応をされている所は以前から少しはありました。
たまたま保健師さんの中に熱心な方がいたというだけで、保健所として態勢を整えて正面から取り組もうといったことではなかったのです。
その保健師さんの熱意に動かされて取り組んできたのです。
大体650か所中30か所がそんな感じだとつかんでいます。
引きこもり当事者の家に訪問活動をしている方もおられるようです。
もっとも、保健師さんの個人差や保健所間の取り組みの差もあります。
こういう、保健所だけでは対応しきれないので精神科医が対応しているという側面もあります。

厚生労働省はガイドラインを出したものの、引きこもり対応の人員を保健所などに配置する気があるのかどうかは、まだわかりません。
そして、人間を増やしさえすれば自動的に対応が出来るようになるかというと、そうではありません。
研修をやろうという話もありますが、研修の一日二日ぐらいではどうにもなりません。
それだったら、親御さんの方が自分の子どものことはよほどわかっているわけです。
かといって親御さんだけではどうにもなりません。
保健師さんもいろいろなことを経験していって、少しずつわかっていくのです。
ともかく時間がかかることです。実は精神科のお医者さんも同じです。

引きこもりというのは、精神病ではないのです。
病気でないものをお医者さんが対応しているのです。
心理カウンセラーも同じです。
引きこもりの人に対応しているカウンセラーさんを見かけますが、例えば、引きこもりの本人が外へ出られようになるとか、働けるようになるといったところまでいくのは、たやすいことではありません。
先ほど私は厚生労働省の「保健」部分の話をしましたが、今度は「労働」に当たる部分についてお話します。
「労働」に当たる部分には、「保健」部分のようなガイドラインはまだ出来ていません。
当分まだだせないだろうと思います。

人材養成バンクの失敗経験

では、引きこもりの人が働くためには何が必要か。
私はこのことで大失敗をしています。
取り組みが広がった上での大失敗ならまだいいのですが、広がらないで大失敗したのです。
4年ぐらい前、「人材養成バンク」というものをつくり、引きこもりの当事者80人ぐらいに登録をしてもらったんです。
その人たちに職業の紹介をしたんです。
その前に、「うちで働いてもいいですよ」という事業者を集めたんです。
例えば、東京都の理容美容協会、小さな組合に入っている12、3軒の農家、不登校の子を受け入れている農場、レストラン、飲食業組合、清掃会社・・・・・・、ともかく40~50個所の所から「うちで働いてもいいですよ」という回答を得たのです。
ある程度元気になって働けそうだという当事者たちに登録してもらったんです。
年齢が低い人は17、8歳、20代の前半が一番多かったですね。
それで80人くらいになったのですが。
最終的にどの仕事が一番多かったのかというと、パソコンでした。26人くらいです。
パソコンのある会社にはインストラクターがいますから、そこへ教わりに行ったのです。
パソコンの研修を、朝の10時から4時まで正味1日5時間で5日間やって、計25時間パソコンを習ったのですが、それを1万円でやってくれたのです。
パソコンを使えない人は喜びました。

そうやって25時間パソコンを習ったからといって仕事ができるかというと、できません。
全滅ではなかったのですが。
まず、23歳の人がそのパソコンを教えてくれた会社で働くようになりました。
それから、20歳ぐらいの子がそのおかげで、引きこもり状態を脱して外へ出られるようになった。
はっきりとわかっているのはこの2例ですね。

あと農家に行った人たちも条件はいろいろあったのですが、農家は短くとも1か月、長くて3か月ぐらいの話だったのです。
一番極端な例は、明日行くという前日に「行けません」という連絡があります。
そして、「どうしても自宅から通いたい」という人。
その人は都区内在住の人だったのですが、受け入れてくれた農家が千葉県で、通勤に2時間かかる。
農家の仕事は朝が早いですから続きませんでした。
「住み込みでは働いてほしい」ということで条件が合わずに。
住み込みでは働いた人もいましたが、だいたい1週間くらいで帰ってきてしまいました。
清掃会社は現場に行って掃除をするのですが、その前の事務所に行った段階で、研修期間中に3日から1週間で帰ってきてしまいました。
ここまでお話してきただけでもいろいろな例がありましたが、実は「なにもしなかった」のが一番多かったんです。
80人のうち50人くらいです。
全体の3分の2弱でしょうか。
それで思ったのは、「ある程度引きこもり状態が終わりかけていて、人間関係が出来ていれば働ける」と思ったからやったのですけれども、それでは働けないなと思い直しました。
私の予想は外れたのです。

対人コミュニケーションの過程

では、どうするか。
私は最初は全然わからなかったのですが、まずコミュニケーションが出来るというのが絶対的な条件です。
どの程度対人関係があるかは個人差があります。
仕事をしながらコミュニケーションの練習をするという部分もあります。
そういう部分が充分でなかったということがまず一つあります。
もうひとつは、それがある程度できる人でも、そこから「仕事」となったっとき、難しいんですね・・・・・・。
最初に言いましたが、引きこもりの経験のある人が、社会に職場に入ったときにどんなことを経験するか。
それは就職した経験がある人なら多くが感じているような事なんじゃないかと思います。

先ほど言いました「コミュニケーション」が出来るという事の中でも「特定」ですよね、
特定の人、特定の事柄での交流。社会に出て要求されるのは「一般」の交流とでも言いましょうか。
その辺の言い方は難しいところなのです。
例えば「○○さんだったら話が出来る」、これなら出来るんですよね。
ところが会社に勤めると、ある日突然見知らぬ人が来るんです。
その人ともある程度、社会的・常識的にコミュニケーションが必要とされるんです。
そういうのを求められるのに、それがなかなか出来ずらいですね。

その出来ずらくしている要因は何か。
私もそれについては、本当のことはまだよくわからないんです。
2つの表れ方があると思うんです。
一つは社会派、もう一つは心理派です。
例えば、働きに出ていくといっても何をしていいか分からない。
あるいは、単に働くだけじゃなくて、例えば専門学校にいってもどういうことを学んだらいいかわからない、自分が何をしたらいいのかわからない。
その人が熱中できるもの、打ち込めるものがない。
こういう場合を私は社会派と呼んでいます。
もう一つの心理派は、ある意味もう少し社会派よりも基本的な所で、なんというか、心がバラバラなんです。
心に芯がない。こういう2つで表れるんです。

ただ、どちらも基本的には同じなんだと思います。
個人の意識の仕方の違いでどちらかが表に強くでるんじゃないかなと思います。
そういうのを、不安とか、悩みとかいう形で表に訴えていくのではないか。
そういう状態が引きこもりではないでしょうか。
それを超えていかなければならない。
それを超えた時点で仕事が出来るようになる。
そう思うようになったのです。
ところがそれがさらに、私の考えはそれよりも少しづつ変わってきました。
社会派にしても、心理派にしても、そういうテーマが一人ひとりの心にあって、それはそれで各人に与えられた課題ではあるんですけど、それが終わらないと、それを達成しないと働けないかというと、そうではないと思うんですよ。

今の状態で、働きはじめられないかな。あるいは、働きはじめられるような場所はないかな。もっというと、働けるような場所をつくらないといけない。
そういうことを、いま考えています。
ただ、10代、20代前半の人たちは社会復帰という言葉でいいと思います。
元に戻るという感覚で行けばいいと思います。
年齢が上になった人は、今のままでとにかく働き始めてそのなかでだんだんといろいろなことを身につけていく、そういうほうがぴったりだなと思います。

不登校情報センターの取り組み

不登校情報センターは、コミュニケーションの場として、居場所をつくるということをしています。
これはなかなか大変です。
精神的な依存の低い人と高い人との間での絡み合いがあると思います。
依存が高い人は、自分が依存が高いということがわかりません。
そのなかでのいろいろな葛藤というかトラブルがあります。
それから、依存から抜け出した人同士、依存状態での人同士、これもまたいろいろあります。
こういう当事者の会、自助グループというのも、入ればもう安心、というものではありません。
そこからの前進。それがこの社会派、心理派として表れるテーマです。

それから私の方でやっているのは訪問活動ですね。
親の会で集まる人と体験者の交流会もあります。
それぞれの年代の人が交流し合う。
その子がその家の子と条件が合えば訪問してもらう。
とはいってもなかなか訪問まではつながらないのですが。
いま、情報センターでいちばん参加者が多いのは文通です。
細かい数字まで上げるのは難しいのですが、数百人の参加があります。
文通の世代は幅広く、中学生から大人まで、4世代ぐらいにわたっています。
文通は必ずしも引きこもり形態の人ばかりが参加しているわけではないのですが、薄くて広い取り組みと言ったところでしょうか。

私たち、不登校情報センター(心の手紙交流館)が編集している『ひきコミ』という文通の雑誌の参加者は延べ約600人にのぼっています。
あとみなさんにお渡ししましたアンケートを見てください。
私が引きこもり当事者に対して行っているアンケートです。
なにやら冗談めいて真剣ではない設問や、深刻な設問にも見受けられますが、これくらいのことを考えないと彼らが答えきれないような気がします。
これでも答えきれているかどうか、と言ったところです。

その中に最後の「その他」の項目――「とても望んでいることを書いてください」というのがあります。
30人ぐらいから回答をもらっています。
そこには絶望感的な回答もありました。

宝くじに当たりたい、といった冗談めいた回答もありましたが、もしかしたら本当に冗談抜きで本人はそれしか見当たらないのかな、という気もします。
親として、社会全体として相当真剣に取り組んでいかないと、引きこもり100万人以上などと言われていますけど、もっといるような気もします。
今以上に大問題になって行くだろうと思います。

親に出来ること、社会に出来ることをいくつか述べてきました。
でもやはり、引きこもっている本人がその気にならないと最終的には抜け出せないと思います。
ただ、強迫観念的に抜け出せればいいというものでもありません。
その手順を一つひとつおう。
そのための条件をつくることは一個人、一家庭では動かない。
そこに働く方向は結局人間が居やすい社会ということです。
そういうことも含めて、世の中のありようを考えて行かなければならないのかな、と思います。

私のお話は以上です。
ご清聴ありがとうございました。

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