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Center:2003年6月ー効率社会の被害者たち

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効率社会の被害者たち

〔200字原稿用紙13枚の手稿。2003年に執筆(仮に6月とします)。
タイトル「効率社会の被害者たち」はサイト掲載時につけたもの〕

スローという言葉が注目されています。
私の仕事場である不登校情報センター宛にある出版社から『スローライフのためのNPOガイド』を編集したいと、アンケートが送られてきました。
こういう本が出ることも、私にはスローという言葉が普及すると思える根拠を強めます。 実は、私は毎日、スローな若者たちに囲まれた生活をしています。
不登校情報センターは、そういう若者たちの居場所になっているのです。
その若者たちとは引きこもり経験のある人です。
私はスローという言葉を待つまでもなく、すでにスローライフを受け入れ、つきあってきていたわけです。


スローライフ、スロー社会の反対語があるとすれが、効率的生活、効率社会だと思います。
引きこもり経験者の多くは、効率社会の被害者だと思えるからです。
それを求めながら突きとばされ、引きこもり生活という反対側にいる。
そこがスローな世界であるとすれば、効率こそ実際的な意味でスローの反対語なのです。
彼ら、彼女らは小さいころから「いい成績、いい学校、いい会社」をめざして、追い立てられてきました。
人さまざまで個人差があることを前提にしますが、全体としてはこうなります。
家庭では親から、学校では教師から成績で追いたてられました。
同窓の生徒とは競争関係におかれました。
そして自分でそのいい学校をめざす渦のなかにいることで喜びに浸る人も少なからずいたでしょう。
その反面は、子ども時代が子どもらしくなかったことです。
親の作った成績向上計画に沿って塾に行き、家庭学習にいそしみました。
学業成績が親の期待に応えられる人ほど「いい子」時代は長くつづきます。
自立の過程に表われる反抗期がみられません。
与えられた学業的課題の処理はできますが、自分から何かをするエネルギーはなくなり、見事な受け身人間ができました。
彼ら彼女らの外見上の特徴は、反応が少なく、遅いということに表われます。
ある割合の人たちが就職やアルバイトで仕事につきました。
そこで経験したことは、効率とスピードの中での業務成績の追求と人間関係です。
それに向かって小さいころから一直線に走り込んできたはずなのに、あまりにも純化して、それを追い求めてきたために対応できない事態に直面しています。
子どものころのからだ全体を使う遊び体験の不足、自分の持ち味を生かす形ではなく大人の価値観の植えつける形での人格形成のもろさ、人間関係=社会経験の乏しさは、仕事の場では、無力、非力として表面化します。
せっかくの学業成績のよさも砂上の楼閣であり、エネルギー不足のまま廃墟になっています。
おそらく仕事の場でいちばん多く言われるのは「なぜもっとテキパキできないのか」というテキパキという言葉ではないでしょうか。
そのほか要領が悪い、段取りがなっていない……言われたことを周辺事情との状況判断できず(せず)、それだけをやろうとしてうまくいかないのでしょう。
その結果、「どうも仕事があわないようなので…」とやんわり退職を勧められ、「人間関係がうまくいかないので…」と自ら退職してしまいます。
「もう就職なんかするものか」という強いしこりを残す人も少なくないようです。


この引きこもり経験者たちをサポートする側の私にも、紆余曲折の歩みがありました。
いまスローライフ、スロー社会の言葉が浮遊し、浸透し始めました。
これをつかんで活用していくのも一つの道だと思っています。
引きこもりの人の親の願いは、息子や娘が引きこもりをしていたことなどなかったような、通常の社会生活を送ることのようです。
いったんは引きこもりという姿で脱線したけれども、脱線した跡形もない形で社会生活に戻ることです。
そうなる人もいます。
少なくとも私はそうなった人を知っています。
しかし、私はそれだけをめざす引きこもりへのサポート活動は本物だとは思えません。 表層の程度の浅い人への対策にすぎないと思います。
子どものそんな事情に無頓着に、通常の社会生活ができることを求めるだけの親は、実は効率社会の“マインドコントロール”の中から一歩も抜け出していないと思えるのです。
引きこもり経験者への本格的な支援は、スローライフ(流行している言葉以上に、実質的で動かしがたい重い内容をもつ)のできる、働ける場をつくることだと思います。
効率を求めない仕事場、利潤第一でない職場です。
それは同時に、給与は低くても「貧しく正直に」生活できることを是とする人生観を持つ人々によって成り立つ働く場です。
実は「貧しく正直に」という生活信条は引きこもり経験者には相対的に受け入れやすいものだと思います。
もともとこの人たちが引きこもりになった性格的な事情には、おとなしい、優しい、正直、まじめ…ということがあります。
“貧しく”というときどう反応するのかは、実際にそれに直面したときになってみなくてはわからない要素です。
それでも彼ら、彼女らの日常生活のつつまやかしさを知れば、その点に関しては悲観的なものはありません。
「貧しくても最低限の生活ができればよい」とはっきり口にする人もいます。


スローライフという言葉は、しばらくは流行語として使われることになるでしょう。
その流行が消え去った後に、私が残しておきたいものがあります。
少なくとも典型となり、それのさまざまな派生形をつくっていく見本となるものを残したいと思っています。
引きこもり経験者のスローライフを現実の支える働ける場です。
そこに自分の人生を歩みだしている若者たちがいることです。
もしそういう場が生まれなければ、百万人という引きこもりの人は、社会全体で負担していかなくてはなりません。
その意味で、このような働ける場の創出は、社会構造を底辺で支える一つになるのではないかと思えます。
この道をともに切り開いていこうとする有志を求めています。

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