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Center:2005年2月ーなぜ不登校・引きこもりになるのかー4つの背景

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目次

なぜ不登校・引きこもりになるのか-4つの背景

(2005年2月17日)

(1) 社会的な2つの背景

不登校に専門的立場から関わる人のなかでは、「不登校の原因」というやや画一的な言い方よりも、不登校の直接の「きっかけ」になった個別の出来事を扱うことが多いと思います。
それは不登校の本質的な問題の深さ、複雑さを単的に表現することの難しさによるものです。
しかし、きっかけとなる個別の出来事、たとえばいじめ、受験失敗、進路選択の誤り、両親の離婚・・・・を超えた、多くの事例に共通するより本質的なものがないわけではありません。
私はそれを4点指摘することができます。
このうち2点は、一般的な社会条件をいうものの広がりです。
第一は、日本社会が経済的に発展し、豊かになったことです。
このことは、日常の相談のなかでは、少なくても不登校や引きこもりの家族の多くは、経済生活的な困難には直面している例があまりないことで納得させてくれます。
第二は、伝統的な地域共同体的な人間関係が弱まり、家族が地域との結びつきから相対的に切り離されていることです。
これは相談者の地域的分布を見ると、新興開発の住宅地域、大型マンションの居住者に不登校や引きこもりの相談者が多いことによって少しはうかがい知ることができます。
しかし、この2点については、私はこれ以上深くその脈絡を描くことができません。
不登校や引きこもりの人に囲まれて生活する現場では、なかなかアプローチしづらいテーマだからです。

(2) 共通する2つの条件

ここから私は、不登校(および引きこもり)の、より直接的であり、またきっかけレベルを超えた、かなり共通する要素(私はこれがたぶん本質的なものになると考えている)ことに言及してみようと思います。
重要な要素は2つあり、それが組み合わさったときに不登校や引きこもりが生まれやすい(少なくともその比率はたかくなる)と考えています。
よくみればその一方は先天的な部分が多く、もう一つは主に後天的な要素に分類できます。

先天的要素とは、不登校や引きこもりになりやすい子どもは、繊細な感情の持ち主であることです。
おそらくその子たちは、後天的要素(生育の環境)においてもその繊細な感情をより磨くことになった人たちでもあります。
もう一つの後天的要素、生まれた後の生育環境のなかでは周囲の人たちから受けとめてもらえなかった、孤独な体験を重ねてきた人たちである、これが最後に重要な要素になっています。
すなわち、繊細な感性をもって生まれた子どもが親や周囲の人から受けとめられず軽視され孤立したなかで成長を重ねたとき、ある割合の子どもたちが不登校ないし引きこもりになりやすいのです。

(3) 私と彼(女)らとの関係

私が不登校経験者と関わり始めた当時に感じた彼ら、彼女らの印象はこういうものです。
おとなしい、穏やか、優しい、まじめ、正直、内気、ひっこみ思案・・・・。
几帳面であるとか間違ったことが大嫌い(なかには他人の失敗や欠点を許せない感覚になる人もいる)、という人も混じっています。
もう少し違った言い方では「打たれ弱い」、何か攻撃的なことをいわれたときにそれに反論しない(できない)・・・・などです。
その彼ら、彼女らと私は少しずつ関わり、話し合う機会、相談を受ける機会を重ねてきました。
今になってふり返れば、私にそういうコミュニケーションがとれたのはおそらく私の無頓着さ、公平さ(少なくとも主観的には)によるものではないかと思います。
むしろ、私の方が、彼ら、彼女らの側から試され、判断されていたものとしかいいようがありません。
こういう数多くのふれ合いを通して、たどりついたのは、引きこもり傾向になる人の共通性として、繊細な感性の持ち主である、ということです。
そのなかにもいろいろな個性があって、ある人は優しいというと点が目 立ち、別のある人は控え目であるという点が目立つ・・・・という具合になるのです。
その彼ら、 彼女らは、何かを話し、訴え、表現し、それが受け入れられると、より詳しい(深い)何かを訴えてくるようになると感じるようになりました。
不登校や引きこもりをした彼ら、彼女らの立場に立っていえば、自分の話を正面から受けとめてくれると思える人に対しては、より内面の気持ち、より深い問題、彼(女)らの表現によれば暗く苦しい体験を話せる人と出会ったということになります。
私と彼ら、彼女らの関 係は、一人ひとりが同じではありません。
ある意味での相性が関わります。
それだけではなく、彼(女)らの精神状態、自己解放(開示)気分のレベルも関わっています。
私自身のそのときの時間的余裕、それまでの私とその人の関係などいろいろな要素が、そのときの瞬間的な反応に表われてしまいます。

(4)小さな子どものころの体験

そういうコミュニケーションを重ねるに従って、私はある共通の事情を知りました。
彼ら、彼女らは、少なくとも小学校低学年のころまでに、ある種の「つまずき」を経験しています。
小学生1~2年の学級の中での孤立、いじめの経験があったり、父母の離婚、兄弟姉妹の誰かに重い障害があったり(この場合、当人への親の関わりが希薄になる)、本人自身がアレルギーに苦しんでいたり(この場合、同年齢の子どもとの関係が希薄になる)などのさまざまな理由です。
限定的な意味での「つまずき」というのではなく、環境条件としての不遇を含むいろいろな条件をさしています。
人によっては、この「つまずき」の記憶が3~4歳のころにまで及ぶ人もいます。
この年齢にまでさかのぼって記憶があるというのは、その事柄自体がある程度の強烈さをもっていたことと、もう一つの子どものころから(先天的と考えられる)繊細な感性の持ち主であって、それが強く心に残っていることによるのです。
実例には、たとえば自分が泣き叫んでいるのに誰も(特に母親)が手を差し伸べてくれなかったという種類の、軽視、無視、放置など「受けとめてもらえなかった」体験です。
私は「少なくとも」小学校低学年までに、ある種のつまずきを体験した、と書きました。
それはそう話してくれた当人と私の間でどこまでが話せるようになったのかの関係に左右されているのかもしれません。
もしかしたら大部分の人が3~4歳まで、あるいは乳児のころまでもどって、そのような体験があり、本人の記憶や、私との関係でどこまでが話せたのかが制限されてきているだけなのかもしれません。
十分な論拠はありませんが、私にはそのように考えるのが、むしろ一貫している、筋道がはっきりしているように思えます。
この繊細な感性という先天的な要素は、決して否定的なことではありません。
むしろ、肯定的で積極的な要素とみられるものです。
しかし、それが実際の生育過程では、そのように表われなかった、体験したことのいろいろな場面のなかで苦しいものであった、などなどの形で、意識され、いつの間にか無意識のうえに自己否定感として定着してしまったように思います。
その繊細さを肯定的に受けとめられるようにしたいと思っています。



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