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Center:2006年10月ー引きこもり問題から予防医学・代替医療を考える

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目次

引きこもり問題から予防医学・代替医療を考える

―P&A第8回総会パネラーとして―
〔『ひきコミ』第37号=2006年10月号に掲載〕


9月2日、NPO法人予防医学・代替医療振興会(P&A)の第8回学術交流会が開かれました。
市民の人権擁護の会の南孝次さんが「知らされていない精神医療の問題点(自殺を引き起こす薬物医療の副作用)」、
米国の予防医学・代替医振興協会の弁護士・タレントのケント・ギルバートさんが「アメリカと日本の健康意識・医療制度の相違点」、
元厚労省事務官の松原義泰さんが「医薬品副作用の実態と医療行政」の講演をしました。
薬物中心の医療がからだとこころを浸していること、食べ物の激変で生活習慣病が広がり、不健康な長寿な国になっていることなどが話されました。

かつてはホウレンソウ1枚で人間が得ていたミネラルをいまの日本で同量摂取するには74枚も必要になっている、そういう、近代的(?)な農業により食べ物が栄養面その他で貧弱になっているそうです。
1970年代の終わりに米国では生活習慣病対策のため肉食中心(旧型の洋食)から大幅な食生活改善に取り組み、その一環として栄養補給のためのサプリメント(しかも良質が選択される)が普及している事情が話されました。

私が出席したパネルディスカッション「なぜキレる?なぜ暴れる?なぜボケる?クローズアップされてきた脳内サプリの栄養学的アプローチ」のパネラーは、
大沢博さん(岩手大学名誉教授)、
柿谷正期さん(立正大学心理学部教授)、
白井洋一郎一郎さん(ナチュラルクリニック代々木院長)、
尾崎さよこさん(同クリニック栄養カウンセラー)、
司会はP&A理事長・神津健一さんです。
いずれもP&A主張の理解者であり、各分野での研究者・実践者と思われます。

私は新参者であり、P&Aの主張をよく知らないまま、引きこもり当事者に直接に関わっているNPO法人不登校情報センター理事長としてパネラーになり、異色の立場を示したように思います。

以下に件表するのは、パネルディスカッションで話されるテーマとして事前に配布されるものですが、私が当日発表したものではありません。
この予定テーマにおいて、話す機会があればこう話したであろうというものです。
パネルディスカッションでは予定時間に比べテーマが多く、発言機会が少なくてこの一部を話しただけです。

[1]今日の日本社会、何かおかしい(そもそも何が原因だろうか)

私は子どものところで問題をみています。
子どもは大人、社会の問題を凝縮し、極端に鮮やかにしてくれます。
子どもは社会の反映なのです。

1970年に、子どものからだがおかしいと言われ始めました。
背筋力が低下し、倒れやすくけがをしやすくなったといわれます。
アレルギーの子が急増しました。
それは今日につづく“体格は大きく、体力は弱い“状況が表面化したときです。

1983年ごろから登校拒否の子どもが顕著に増えはじめました。
子どものこころがおかしくなったことの表れで、今日に続いています。
1997年に神戸の少年殺人事件が起こりました。
少年事件としては戦後で最も衝撃的な事件だと考えています。
このころから子どもの殺人や自殺が目立つようになりました。
子どものいのちがおかしくなったことが表面化し、今日につづいています。

からだ、こころ、いのちの順でだいたい13年ぐらいの間隔で、子どもは危機的状況を深め、ある種のカタストロフィーに近づいています。
この背景には、1960年前後からの高度経済成長の時期があります。
農村から都市への人口移動、団地や集合住宅の開発、核家族化と少子化の進行、交通網の発達と農業の後退や自然環境の破壊、石炭から石油への主要エネルギーの変化、食生活における和食の後退と洋食の拡大、そのほかさまざまな社会背景が それぞれの重みをもって、今日の日本社会をおかしくしているのです。
P&Aが食事の面、栄養の面からこの状況の抜本的改革をめざしているのは的を得ていることであり、期待してもいいと思います。

[2]頻発する異常犯罪、反社会的人格障害急増の社会的背景

政治・経済的、歴史的に日本は転換期にあります。
私はこれを子ども・青年のところで見ています。
子どもが成長しづらい社会になっています。
からだは大きくなっていますが、いまの社会では対人関係の力、社会性が育ちづらくなっています。
幼児が力任せに物をたたいても事故にはなりません。
「元気な子」といわれ、周囲の人をなごませてくれるでしょう。
しかし20歳になったが心の中に幼 児を抱えた人が多く登場します。
そういう人が力任せに物をたたけば壊れます。
人をたたけばけがをするし、死ぬ人も出ます。
最近いろいろな事件が発生してい ます。
個別にはいろんな事情はありますが、子どもが大人になりそびれていることがかなり共通しています。

その要因の一例を、子どもの世界の衰退に見ます。
外遊びしている子どもたちの姿はあまり見かけません。
大人の目の届かないところで、安全に遊んでいる子どもの姿がないのです。
社会性やその条件になる人間関係をつくる力は、子ども同士のなかで生まれ育っていくものです。
「子どものけんかに親は口を出すな」と言われたのは、そこをついていることわざです。
遊びとその前提となる場所づくりをつくるのなどが社会の役割だと思います。

P&Aでは、それらと並んでとくに向精神薬の作用が異常犯罪の重要な原因になっていると指摘しています。
情報が開示されれば事件を起こした少年と服薬履歴の関係が証明できるのかもしれません。
日常の食生活のレベルでも、深いところで関係しているという意見も注目すべきものです。

[3]親子関係の危機と少子化、核家族化・家庭教育・学校教育の問題点

問題が広いので私は親子関係のところに焦点をおいて話します。
少子化・核家族化が進行し、子どもの世界が衰退しています。
その中で親と子の関係が密 着したものになりました。
一見よいことに見えますが、それが全てではありません。
親の目の届くところにいる子どもに対し、親の思い通りの子育てが強くなっていきました。
地域共同体も衰退していて子育ては家族内のプライベートな事柄になり、周辺住民はもちろんときには祖父母も子育てから遠ざけられていきました。
これらの行き先が親子関係が「支配・従属」関係になってしまったことです。
このように進行した親子関係は今日では珍しくありません。

引きこもりになった人には「私は母親の思いから少しでも遠ざかっていたら、丁寧に矯正されてきた。私は私であって私ではない」と苦しみを語る人もいます。
大きな社会問題になっている父母による乳幼児の虐待を親は躾(しつけ)といっています。
これらは親の思い通りの子育てが、躾の名のもとに虐待にまでなっており、それは親子関係が「支配・従属」になっている典型を示しています。
親子関係だけではなく、人間関係全体も「支配・従属」の傾向を強めています。
それは経済社会の状況にも影響されていますし、ストーカーという形で別種の表れ方もします。
支配従属の関係を支配されていた者が支配する側に回ることで解決しようとすることもあります。
支配していた者があるときから従属させられるのは、家庭内暴力の中にも表れています。

「支配・従属」的関係に代わるものは「相互・対等」関係です。
そういう相互対等な人間関係をつくるのは、親子関係において、親の思いを押しつける形の子育てではなく、子どものもつ芽を認め伸ばしていく子育てからです。
それが子どもの小さいときからの親子関係にあれば、子どもは親からも自立しやすく、人間関係全般においても対等な人間関係を築きやすくなるのです。
P&Aの主張では、親子関係においても、食べ物や薬物の影響を見ることになるかもしれませんが、その点での意見を聴く機会はありませんでした。

[4]親子関係の危機と「食」の問題点―食育とは何か?

ここでは母乳哺育について話します。
家族における子どもの「食」の原点はここにあります。
現代は牛乳を人間に合うように加工した人工乳が普及して役立っています。
人工乳は母乳不足に対する福音として登場しました。
しかし現在は、母乳を補うより人工乳が主になる人も多くいますし、2歳になったら母乳をやめるよう推奨されたりしています。

私は青年期に入った引きこもりの人に囲まれて生活しています。
人間関係ができる、何かすることができるように改善し、自分で道を開いていく例も目にしています。
しかし大きな壁につき当ることもあります。
それは生命感の躍動の少なさ、スピリチュアルなものの薄さです。
これを私は母乳哺育の衰退と結びつけて考えています。
哺育の役割は栄養や免疫面だけでは考えられないのです。
母乳哺育は母子関係の成立にかかわります。
母から産まれるから母と子になるのではありません。
体外に出た胎児が乳児であり、子宮内に次ぐ完全な庇護された状態で乳児は過ごすことが必要なのです。
それで母はその子の母に、子はその母の子になるのです。
この過程が母乳哺育です。
乳幼児虐待の重要な原因は、この母と子の関係が未成立であるためです。
うまくいかない乳幼児はミルク嫌い、摂食行為がうまくいかなくなります。
18世紀のJ.ルソーは「人は2度生まれる。一度は存在として、2度目は人間として」と言いました。
この存在として生まれた後に、その存在感覚をからだで覚え、身につけるのが乳児時代です。
人間への安心感、この世に生きていく安心感をこのときにからだで覚えていくのです。

[5]なぜキレる? なぜ暴れる? なぜボケる?

親のなかには、ひきこもっている子どもと話しができない、という人は多くいます。
親の姿を見ただけで子どもは自室にこもってしまってとりつく島もない人もいます。
なぜ子どもは親と話さなくなったのか。
子ども側には明白な理由があります。
親が大事だと思うこと「いい成績、いい学校、いい会社」などの親にとっての1つの信仰に基づいて子どもをそう仕向けます。

小学生ぐらいまでは子どもはついていきますが、思春期に入ると疑問も出てきます。
親の言うことに違和感を覚えたり嫌悪感を感じたりすることもあります。
他方では道徳律(知の作用)として親を大切にしなくてはいけない、親から認められたいと葛藤します。
ところが親の一方性(支配・従属指向)は止まりません。
子どもを親の一部のように、思い通りにしようとします。
子どもは絶望します。
子どもの中には親との関係を断って、親とは別の自分を獲得しようとする心が働きます。
この方法の1つが引きこもりですし、また親との会話の断絶です。
私はこの方法に賛成します。
しかし、そうしない子どももいます。直接に親に向かいます。
はじめは器物破損からが多いです。
子どもの暴力は、追い込まれた、悲しみの表現なのです。
それでも親の一方的な姿勢がつづくと、人に向かいます。
特に自分を理解して欲しい母に向かいます。
「キレる、暴れる」というのは、かなりの忍耐の後のことです。
「すぐにキレる、暴れる」というのは、前に多くの長い過程があったことに気づかないからです。
P&Aでは、ここで向精神薬の影響をあげます。
この事実は直接的な原因・結果を示すだけに重要な指摘だと認めないわけにはいきません。
私の意見は、それだけではない、薬を服用していない人のキレや暴力も含むより広い人の行動や心のあり方に関わっていることです。


[6]「砂糖の摂取とその弊害について―誤った栄養学に便乗する業者」、
[7]「日本人の5人に4人がうつ、または軽うつ症、この原因と対策について」の2テーマに関しては、特にコメントはありません。


[8]「日本の年間自殺者3万人と、うつ病、その社会的背景にあるもの」

「死んでもいい」と思っている若者が多くいます。
自殺の背景というよりも裾野といえる部分かもしれません。
この点を話します。
自転車で坂道を下っているとき、スピードが出てきた。
危ないと思っていたけれども、心のどこかに「死んでもいいや」という気持ちがあった(中学生)。
ある日の夕刻、歩いている途中でふらふらと車道に出てしまった。
車がすぐ脇を通るのだけれども、怖いというよりも「死んでもいい」という気持ちになっていた(男性)。
「もし町中で誰かが自分を襲ってきても逃げないかもしれません。事件で死ねる機会かもしれませんから」(女性)。
死んでもいい、消えたい、生まれてこなければよかった・・・。
死ぬにしても自殺ではなく自然災害とか事故死の方がいい・・・と思っている人が多くいます。

「いのちを大切にしよう」という呼びかけは悪くはありません。
しかしもっと生命力を引き出す直接的な力強いものが必要な気がします。
自分の状態の自己否定感、無力さ、家族のなかでの孤立、わかってもらえないあきらめ・・・これらが生きる意欲を失わせています。
20代の女性が飲酒の後で大量の薬をのむ例がありました。
自傷行為と違って、どこかで「死ぬかもしれない、それでもかまわない」という気持ちが働いています。

[9]「医療現場におけるクスリの過剰投与について」[13]「このままでよいのか? 日本の医療!」

の2つについては、次のコメントをします。

引きこもり系から精神障害といわれる人にはかなりの人が薬を服用しています。
1日10錠から20錠以上になる人も少なくないようですし、だんだん増えていきます。
服用して安定している状態をつくって、基本的に抱えている問題を改善し、治療に向かうというのが投薬治療の考え方のようです。
しかし現実には、精神科医療には投薬以外に何があるのでしょうか?
入院というのはある安定枠ですが、そこでも投薬以外にはさしたるものはありません。
心理療法(作業、運動、芸術などを含む)などいろいろあるようですが、“例外的に”医療に持ち込まれている、といっては言いすぎでしょうか。

これは、医療制度に医療内容が影響をうけていることによります。
医療経営における薬剤収入の割合が多いのです。
精神科系においては、とくに投薬以外の方法を重視できる医療制度が必要です。
カウンセリングや、サプリメントは自己負担になっており、その費用が壁になっている人は私の見る限りかなりいます。

[10]「クスリの副作用―DDI(薬物相互作用)」、
[11]「クスリとサプリメントの境界線について」、
[12]「精神科や診療内科ではどうして食事指導やサプリメントの指導をしないのか?」、
[14]「予防医学・代替医療の見地から今後どのように対処していったら良いのか?」
については、言及しないことにします。

[15]「日本の将来を背負う子どもたちについてお伺いします」

このシンポジウムでは、薬の悪影響とそれに代わるサプリメントを中心とする栄養療法を提示する内容になりました。
栄養といっても砂糖摂取を、大々的に宣伝する業界の指向が学校現場に持ち込まれています。
それは低血糖症を招き、その大量摂取はアルツハイマー病の原因物質という指摘もされました。

P&Aは現代医学・医療への厳しい批判と危機を告発する学術交流会です。
その批判や危機を私も共有できます。
その一方で、長いスパンで考えたとき私には、次の見方があります。
いま私たちが目にしていることは産みの苦しみの時代にいるからではないか。
何を生み出そうとしているのか。
それは、人間(とくに日本人)が、30代にしてようやく成人(大人)になる時代の前ぶれではないか、ということです。

動物は高等動物になるにしたがい子ども期が長くなります。
人間も同じです。
日本人のばあいも江戸時代の終わりに“青年期”というものができました。 それ以前は10代で成人し、元服を迎えたのです。
社会の前進のなかで、日本人は30歳までは子ども時代に入ろうとしているのではないか、と感じるのです。
平均年齢は80歳前後です。
しかしいまは、健康体で高齢を迎えるのではなく、心身の病弱を抱えて高齢を迎える人が多くいます。
将来は健康体のまま高齢を迎え、ある日急死する、そんな時代を準備しているのではないか。

こういうのはあまりにも楽観的、あるいは牧歌的な意見になると思われるかもしれません。
私が密かにそう思うのは、引きこもり経験の人にはゆっくり大人になる(その過程では発達障害といわれたりする)と思える人が、たしかにいると思えるからです。

P&Aに期待すること

P&Aの推奨する精神科医療―私が知り得た範囲での―に対するいくつかの感想を、次に記載していきます。
P&Aは投薬中心の精神科医療に代わり、食事療法・栄養療法、具体的には各種ビタミン剤のサプリメントを活用することと日常の食生活の改善を提唱しています。
また薬物による“副作用”が副作用の域を超えてあるときは覚醒剤として人の精神を崩壊させ、暴力その他の事件をひきおこす原因物質になっている事実や可能性を告発する役割もしています。

この後者に関してはCCHR(市民の人権擁護の会)という市民団体が中心になって取り組んでいます。
私はこれらの理論や運動に啓発され、その発展を期待するようになっています。

しかし同時にそれと並んで、「予防医学・代替医療」としては、他の方法や理論もあり、それとの協調があっていいと思います。
P&Aの理論や論拠は確かであり、多くのことを説明できます。
しかし世に発生している事柄は多様であり、そのすべてをP&Aの理論だけでは説明できないことも事実だからです。
加えて次の点も考えなくてはなりません。

人が心を病み、不安や恐れを抱える背景は、日常の生活そのもの、親子関係や学校や職場における人間関係があります。
それらの生活や人間関係はさまざまであり、なかにはひどくゆがんだもの、強迫的心理的従属を求めるなどが混ざっており、世の動向のなかでその傾向が増大しています。
人が心を病むのは、その生活や人間関係のゆがみを告発する役割を果たしています。
とくに子どもがからだやこころをおかしくしているのは、その背景の不正常・不条理を明るみに出し、その是正をせまる役割をするものです。

そのような背景や役割とは無関係に、食事療法や栄養療法が効果を上げるとしたら、これらの問題の所在を素通りしていくしかなくなります。
医師や医療者が部分品の修理者ではなく、人間を回復するにはその背景の社会(世間)を見すえなくてはならないのは、この点だと思います。

実際には、人間、子どもが大きな背景をもったまま症状を訴えているときには、食事療法や栄養療法もある局面以上で効果を上げ得なくなると思います。
もしそれを超えて効果を上げるとすれば、それは人間が人間でなくなるほどの強靭な精神構造をもつことになるのかもしれません。
それは意外とロボットに近いのです。

別の感想もあります。
医療現場におけるサプリメント中心の栄養療法は、単純に薬からサプリメントに代わるだけであってはならないでしょう。
それでは患者にとっては、珍しいタイプの薬になるだけです。

P&Aの理論を実現するナチュラルクリニック代々木(NCと略す)の医療は、その意味で相当に配慮されています。
栄養カウンセラーを含む医療者が時間的にも十分な対応をしています。
1時間待ち3分間診療というのが成り立たない体制になっていると認めなくてはなりません。

私が心配するのはP&Aの方法が普及する過程では、そのような医療機関ばかりではなくなるだろうと予測できるのがそれです。
もしかしたらそれは避けられないことかもしれません。
NCが今の姿で医療をつづけていく範囲ではその種の問題はないけれども、普及していくと別の様相を示してくるのです。

理想の医療(NCがすでにそれを達成しているという意味ではありません)の追求は、現実的には医療経営を支える収入がなければ継続できません。
現在の日本の医療制度のなかで、この医療の理想と経営の現実のバランスをとることが求められます。
P&Aの方法を追求する医療者にとっては、これはときには難問になり、その打開策はP&Aの推奨者が期待するものといつも同じとは限らないでしょう。
NCは、以上のいろいろな面で相当に努力され、また工夫されている感じがします。
そのうえでNCとP&Aには次の要望をしたいと思います。
薬物療法に代わる代替医療は、栄養療法や食事療法に限らず、心理的カウンセリング、対人関係による人間発達・教育法、こころとからだの一元論に基づく各種身体療法、さらには自然環境や社会環境の改善と結びついた生活方法の提唱などと相互的に協調しあうことが必要であろうと思います。
さらに薬治療法を実践している医療者との協力さえも必要であろうと思います。
だれも一人で全部を掌握することはできません。
それぞれがその一部を分担していけるだけです。

今回、P&Aの学術交流会に出席させてもらったことは、私にとってはこれらのことを知るいい機会になりました。
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