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Center:2006年11月ー引きこもり経験者の仕事に就く力

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目次

引きこもり経験者の仕事に就く力

~“精神的体力”とは意識下の情報を身につけたもの~
〔『ひきコミ』第38号=2006年11月号に掲載〕
 

《1》

2006年10月8日、新小岩親の会は、元引きこもりで今春から経理として働き始めて半年になるSAMさん(男、28歳)の体験発表を行いました。
それにひきつづいて私が司会役になり、質疑と出席した引きこもり経験者たちとの交流をする場になりました。
SAMさんは、大検を合格した後「ちゃんとした学校」を出たいと思い、26歳のとき経理の専門学校に入り、簿記資格をとりました。
これが就職に直接につながったのですが、それ以前にいくつかの準備ができていました。
1つは、家族に対して「気持ちを言えるようになり、それを親がきいてくれるようになったこと」。
もう1つは不登校情報センターの当事者の会に入り、数人の友人ができ、「ポツポツと本音が言えるようになったことだ」と言います。
仕事に就いた始めは、正社員ではなく経理の手伝いの形でしたが、今春から正規の就職になりました。
仕事の面でも人間関係の面でも、いろいろな壁にぶつかり、息切れしそうです。
その気持ちを家族に話し、友人に話せるようになって、なんとか切り抜けてきました。

《2》 「しかられたとき」とは・・・

意見交流のはじめに出された質問は、職場の仕事において「しかられたとき」です。
これは一度でもアルバイトなど働いた経験のある人がとても気になる点です。
引きこもり経験者にとってはとても大きな壁になっています。
仕事に就いた大きな壁になっています。
仕事に就いた人たちはこの「しかられる」に類似したいろいろな場面に出会っています。
ミス(失敗)をしたとき。
自分にもわかるし周囲の人もそれを見ているとき。
自分では気づかないが指摘されてわかるもの。
通常はミスと言えないレベルではあるが自分ではミスではないかと気にしてその落ち着かなさを注意されたとき。
このほかミスに関係することはいろいろあります。
仕事が遅いといわれるとき。
仕事の段取りや手順は指示された通りにやっているつもりであるが、その指示に不十分なところがあり、自分で何とかカバーしなくてはならないのだけれどもそれがうまくいかないとき。
その結果、仕事を終えたときに出来が違う、粗雑であるなどと言われるとき。
自分で判断してやっていくように言われるけれども決められていないとうまくいかない。
ときには「丁寧すぎる」といわれることもある。
わからないことを同僚や上司にうまく聞いていけない。
もっと協力して仕事をするようにいわれるけれども、どうすれば協力していくことになるのかわらない。
不登校情報センターでも「あゆみ仕事企画」として引きこもり経験のある当事者と一緒に仕事をする機会があります。
その作業をみながら感じたことを以前に次のように書いたことがあります。
書いた部分は彼らの作業の生産性についてです。
「私の見るところでは、この生産性は
(1)仕事の速度の遅さ、
(2)休憩時間の多さによって低くなるのですが、
最大の要因は(3)自分で臨機応変の判断を避ける傾向によって
より重大な影響を受けるのです。
ただ全員が平均してそうなるわけでなく、個人差は相当に開きがあります」。
上に挙げた例は、作業内容そのものと対人関係がそれに結びついていることの両方があります。
これらは直接に「しかられたとき」のものばかりではありません。
注意された、諭された、教えられた、指示されたなどいくつかのレベルのものも混じっています。
それらの全体が引きこもりを経験した人にとっては、「しかられた」ように感じられるのです。
自分のした作業をそのまま受け入れてもらわなければ、何か抵抗を感じるものであり、「打たれよわい」性格としてひとまず説明できます。
しかしより重要な本質的なことが背景にあります。
それを後で述べることにします。

《3》「やめる」ときから次が始まる

「しかられたとき」の反応や対応はいろいろです。
引きこもり経験者でアルバイトをしている人の多くが「やめる」を選んでいます。
決然とやめた人もいますし “バックれる”といって逃げ出した気分の人もいます。
それは「しかられたとき」の様子や本人の状態によって違います。
引きこもり経験者が初めて職に就いたころの「しかられたとき」の対処はほとんどが「やめる」になるといっていいほどです。
この「やめる」という対処・選択はベストとはいえませんが、おそらく避けられないものです。
「やめる」ことによって得られるはずのものを得られずに終わることになります。
とくにその職の内容の熟練や技術はほとんど得られないままです。
しかし何も得られないわけではありません。
職場や社会の様子の一端を実際に体験したことになります。
この経験は小さなこととはいえません。
この点から単純に「やめない方がよい」とはいえません。
そういう短期でやめる経験をくり返すことで、それを教訓として次のステップを考える人もいます。
その方法もいく通りかあるようです。その2、3の例を挙げます。
短期(極端なばあいは1日)のアルバイトを繰り返していく。
これは職場を「やめる」のではなく、もともとの予定期日を「無事終了した」ことになります。
たとえば5日間の短期バイトで3日にミスをして「しかられたとき」であれば、残りの2日間を“がまんをして切り抜ける”気持ちで乗り越えられるのです
登録制の仕事を選ぶ。
登録制は自分が仕事ができるときに仕事に就くという方式ですから、辛い気持ちのときはその仕事から離れることができます。
「しかられたとき」もこれで切り抜けます。
登録制のばあいは職場が次々に変わるのでミスをしてしかられた同じ職場に行かなくてすむのです。
登録制の社員には、それとは別の不利益もありますし、技術の修得・熟練の面で大きなハンディもあります。
しかし「できることから始める」点ではいいのです。
「もう社会では働かない」「就職をしない」という結論を出す人もいます。
彼(女)らの感覚では、現実の職場はとても粗野で不条理に見えることもあります。
その結果として家業を手伝う人、自営的な方法をさがす人もいます。
そうできない人には社会とのつながりが見えなくなることもあります。
実際、引きこもり生活に戻る人も少なくないと思います。

《4》「やめる」と精神的な体力

アルバイトを始めて、このような「しかられたとき」体験をしながら長続きした人もいます。
ほとんどが常勤者と同じ形のアルバイトになった人もいます。
こういう常勤的なアルバイトをつづける1人は「上司が理解ある人だった」と話していました。
少人数の職場でもあり、幸運な例ということになります。
しかし私には、彼自身の努力(それは粘り強さだと考えています)とその時点での“精神的な体力”が相当にあったと考えたほうがいいでしょう。
別の人の例を挙げましょう。
比較的小さな会社で、そこの社長から励まされて仕事に就くようになりました。
しかし社長の仕事は外回りになることが多く、事務所であまり事情のよくわからない先輩社員たちと一緒に仕事をすることになりました。
この人はうまくいかずに「やめる」ことになりました。
不運な面もありますが、粘り強さ、“精神的な体力”がそこを乗り切れる程度ではなかったともいえます。
ある人は、自分が職場でささいなミスをしたとき、理解を示してくれた上司に事あるごとにカバーを求めていきました。
それで結局は上司を困らせ、ついには対立状態になってやめることになった人もいます。
この人はとくに“精神的な体力”が不十分で依存的になったためにこうなったと思います。
職場によって もいろいろな形で運・不運があり、その結末も違ってきます。
しかし「やめる」ことになった仕事経験を含めてムダであったとは思いません。
いずれのばあいも 上司や同僚ときには年下の先輩との関係をもちながら、自分の粘り強さ(忍耐することですが単純に我慢を強いるだけのものとは違うはずです)
を高める必要性を教えてくれます。
その仕事や業務が自分に合っているほど、それに向かう力もわいてきやすいでしょう。
この努力によって“精神的な体力”を強化ができると考えられます。
ここで次に粘る力を高める(“精神的な体力”をつける)とは何かに話しをすすめたいのですが、
意見交換の場で出された、似ているけれど少し異なるテーマをいくつかを先に紹介します。

《5》親しくなるのが不安になる

初対面のときはいいし、相手によっては表面的な人間関係はできます。
けれども私のばあいは親しくなっていくのが不安になります。
職場の人間関係でも同じことになるので、どうしょうかと困っています。
こういう意見が出されました。
SAMさんは、職場でも自分の気持ちを話せるようになって少しラクになりましたと答えています。
おそらく質問者は気持ちを話せることができないのでしょう。
その意味でSAMさんのは答えというよりはSAMさんがしてきたことを話しています。
「親しくなっていくのが不安」と「気持ちを話せるようになる」とはおおよそ反対のことを表わしています。
気持ちというのは、とくに不安感や自己否定的な感情です。
SAMさんはそういう気持ちを相手(同僚や上司)に話していけたわけです。
そうすると同僚や上司は、案外受けとめてくれたのです。
それは十分ではないかもしれませんが、ともかく職場の人には“そういうことで困っているのか”という受けとめ方をすることは多いと思います。
しかし、そこに何か不安感がついて回ります。
それで怒られたり、否定的な発言が返ってくるのではないかという心配が出るのです。
「親しくなっていくのが不安」という人は、自分のことを話すと自分の中にあるもの、弱さとか底の浅さがわかってしまうというのです。
私がこれまできいてきた言葉のなかには、同じ気持ちを“みじめでみっともない”とか“しょぼいこと”といった人もいます。
それらは自分を否定的に考える感情として表われたり、自分が一緒にいては周囲の人に迷惑をかけることになるのではないかという気持ちをひきおこしているのです。
この話に同調した同席した人が「私は明るい面だけを表わすようにした」と言いました。
この対処のしかたは、ある状況のなかでは一つの方法であり、その時期を切り抜けていくものとして有効です。
しかしそれもいずれは苦しくなりますし、その間に必要なものを補充していかなくては不十分です。
この「親しくなっていくことが不安」という根元には、自分の社会的な経験不足が不安をひきおこしていると理解するのが正当であると思います。
その経験不足を何らかの方法と時間を経て、本人の意識的な動きによって乗り越えようとする気持ちを話していくことが大事だと思います。
私は前に粘る力(“精神的な体力”)といい、ここでは社会的な経験不足という言葉を用いました。
実は同じことの別の面なのですが、これもまた後で一緒に考えていきます。
意見交換の場で出てきたさらに別の話しにもふれておかなくてはなりません。

《6》職場内でのグループに関わるとき

職場で働いてみると、そこにいる人たちは必ずしも仲がいいわけではないし、お互いに陰口を言い合っている。
グループや派閥的なものもある。
そこに自分がどういう形でいればいいのか居場所が見つけられない。
こういう意見・感想はSAMさんの話しにも、出席者に問いかけたときの答えのなかにもありました。
体験発表したSAMさんが上司にどうしたらいいかときいたところ「仕事に集中するように」といわれたそうです。
上司のこたえたことは実に的確であり、結局はそこに至るものです。
ただ引きこもり経験の青年にとっては、そういう要素が周辺にあることはとてもエネルギーをとられることで、仕事への集中を阻害する事情なのです。
この原因とか解決策は、既に告げておいた“精神的な体力”に基づくものです。
これに対処する意味を少し述べておく意味はあると思います。
対処のしかたに絶対的な正解はありません。
言いかえるとだれにでも共通する間違いもないのです。
人それぞれであって、そのどれかを自分は意識的にか無意識的にか選ぶしかなく、何もしないこともまたある結果につながるので広い意味では選んでいることになります。
ただ何もしないでふらふらした状態は、周囲の人たちからは得体の知れない人として見られます。
それが何か超然としているようです。
ときにはうらやましがられたりすることさえもあります。
比較的気の合いそうな人と仲良くなる。
業務上のつながりから信頼のおけそうな人と個人的に親しくしていく。
そういう人がいないのでどうしようかと迷ったままでいる、だれともニュートラルで可能なかぎり友好的な立場をとろうとする。
むしろ独立独歩、マイペースにして来る人を拒まず去る人を追わずでつきあっていく・・・など。
一般論としては、どれをとっても間違いではありません。
自分にとっていちばん居やすいものがいいのです。
おそらく(いやかなり確かに)引きこもり経験者はこのあたりのスタイルを定めることがとくに苦手であると思います。
ある1つのスタイルを定めれば、他の方法をとらなかったことが気になる。
それでよかったかどうかで迷ってしまう(葛藤する)、それはさけられない気がします。
ましてやいまある人と仲良くしているのをやめて、他のグループに入るなどは意識的にはとても壁の高いことです。
できそうもないでしょう。
これはそういうものです。
こういうのは、神経症的な性格のこととして、別に考えていかなくてはなりません。
それ自体が一つの大きなテーマになるからです。
仕事に就いた人の話のなかでは、たとえば仕事のときはともかく、休憩時間をどう過ごせばいいのかわからない。
終業時の帰るタイミングがわからない、仕事以外のプライベートな話ができない(どうすればいいのか困る)、
一人でやれる仕事はいいが(パソコンやベルトコンベアなどの機械相手のときはいいが)他の人と一緒に仕事をするとか、
分担して作業をして後で全体に合わせるといったことができない・・・などなど本当にいろいろな問題が、悩みや苦しみとして語られます。
仕事上の悩みというのは、顧客先とか商品の販売とか、生産品に関することとか、そういうことだと思っていたけれども、人とのつながる面での話が多く出ます。
人との関係で仕事上の悩みは生まれるのです。
これらを全て次のところでまとめて話すことになります。
といっても、これで全部ではないし、その1つひとつにまた奥行きがあるものです。

《7》「気づく」ことと「できる」ことはなぜ違う

その共通するテーマが、粘る力(“精神的な体力”)とか、社会的な経験不足に関することです。
これは私にとっての引きこもり経験者に関わっているなかでの重要な“発見”といえるものです。
この事情は日常生活の会話のなかでは、当事者達が発する「もっと厚かましくてもいいのですか」とか「感情を表わしてもいいのですか」ということばに、
一瞬を垣間見ることができるようです。
その全体を説明するものではありませんが一つの中心点の説明にはなると思っています。
3~4年にわたって仕事をつづけているDAIさん(男、28歳)がこういいました。
「職場で働いている人たちはあまり深くは考えていないことがわかった。
自分は相手を気づかいながらやっていて、迷惑をかけてわるいとか、
ときには自分は一緒にやっていく人間ではないのではないかなどと独りで考えているような気がする。
一緒に仕事をしている人たちはそんなことはちっとも考えていない。
たしかにその人たちも失敗はするし、うまくいかないこともある。
自分だったら申しわけないと仕事が手に着かなくなるのではないかと思うけれども、
その人たちはあまり気にしていなくて、前のつづきを同じ調子でやっている。
そういうことがわかって自分も少しラクになった」。
DAIさんの体験をきくと、以前は小さなミスに落ち込み、一緒に働いている人たちに心配りをしていた。
それが仕事のうまくいかなかった理由のようにきこえます。
しかし、それだけではないのです。
なぜ「親しくなっていくのが不安」の人はそこに気づかず、DAIさんはそこに気づいたのでしょうか。
いや案外気づいていても実行できる人と実行できない人の違いを考えると、それは何が違っているのでしょうか。
自己否定感についても同じことが言えます。
自己否定をするからうまくできないのだから、あまり自己否定しなければいいのだ、というのではないのです。
なぜ自己否定感情が強く表れるのか、どうすれば自己否定感がうすまっていくのか、という違いのように考えられます。
ある人は気づいたらラクになることができ、ある人は気づいてもラクにならずむしろ葛藤するのです。
この違いです。

《8》社会的経験と知識を身につけること

私はこれを説明するときに幼児の例を挙げることにしています。
正確な表現というよりもわかりやすい表現になると思うからです。
なぜ幼児は見知らぬ人に対しておそれを感じたり、母親から一人離れてしまうと不安になるのでしょうか。
これはこの世で生活してきたことの経験不足であると考えます。
あらゆることが新しく、未知のものです。
こういうときにはまず防衛(個体維持本能)が作用するのです。
人との関わりの少なさと、自然や社会との接触の少なさのなかで、安全を図ろうとする要素がまず働いていくのです。
これは幼児であればごく当然のことであり、むしろ子どもらしさとしてほほえましくも感じられることです。
ところが同じことであっても、相当に年齢を重ねた人たち、十代の後半、20代、30代になった人が表わしているのが、
これまで述べてきたいろいろな動揺性、不安感、それにつづく緊張感や萎縮のように思えるのです。
失敗を指摘されたとき、人と親しくなっていくとき、自分の判断で何かをするよう求められたとき、
それらを受けとめる力、受けとめたものを精神的に支える力が、からだの内に乏しいのです。
すなわち、その年齢に達していながら、人生経験の不足、社会や自然の関わりや接触の少なさ、ふつうには社会性の未成熟、対人関係の少なさが、
この背景にはあるのです。
ある人たちは、発達障害のなにかの部分の兆候を示しているのかもしれません。
相当な年齢に達している引きこもり経験者には、高校はもちろん大学や大学院を終えた人もいます。
そういう学歴には関係はしなくてもある分野の知識やパソコンのようなことの技術的力量の高い人もいます。
そういう意味では知識とか社会的常識、規範を身につけている人は珍しくなく、むしろ特別に優れている分野をもつ人も多いと思います。
そうすると社会的な経験をつむことや“精神的な体力”を身につけることと、知識や特定分野の事情に詳しくなることは同じではない、ということになります。
かといって両者はまるっきり別物ともません。
これが幼児の生活体験不足と引きこもり経験のある青年の体験不足の違いをつくっています。
しかし普通に社会に入り働いている人と引きこもり状態で働くに働けない人の間には、平均的にはかなりの有意差が認められます。
この差をある程度埋めることができた引きこもり経験者が、より安定的に社会に入っていけるということになります。
この差の本質とはいったい何でしょうか。

《9》一次情報と文献知識の違い

私は、上の事態を次のように説明できると考えています。
それはたとえば教科書とか文献などの第一次情報の処理を終えた知識の形で自然や社会の人間を知ることと、
第一次情報自体の自然・社会・人間から生身の情報を得たことの違いによるものです。
知識として得られる情報は実は底が浅く、それを知ればそのことをいくらつついても奥行きがないのです。
それに対して生身のものは、ある意味ではそれ自体で無限の奥行きをもっています。
加工されていない生身の第一次情報、人間(や社会や自然)に接して関わることによって得られる人間情報(社会や自然の情報)は、はるかに内容が多いのです。
実物から得られえる情報は、言葉で表わせることは少ないけれどその数倍の情報量をもっています。
そのある部分は言語化されますし、不十分な言語表現でとめておくしかできないものもあります。
それ以外に単独では言語化できない多くの要素をもっています。
たとえば人間とは何でしょうか。
理科事典や百科事典では人間も教えてくれます。
人間を描いた文字作品はいろいろなことを教えてくれますし、何か他の人間をそこにおくことによって創作上の人間を想像させてくれます。
しかしそれはそれ以上に出ることはありません。
ここでも子どもを例に出しましょう。
子ども同士が本気でとっくみあいのけんかをしたことにしましょう。
そのけんか相手から得られる人間情報(当人には決してそれを人間学習とは思わないし、人間情報を得る作業とは意識しないでしょう)は、
おそらく辞典や小説で知ることよりも桁外れに多くのことを、けんかをした双方に教えてくれます。
それは限りがないほど大量です。
限りがあるのはことばにできる範囲です。
そのけんかによってことばにできない多くのこともまた知るのです。
この知識、いや情報は脳と神経系で蓄える知識だけでなく、からだのいろいろな場所で、五感やそれ以外の方法で知りうる人間情報です。

生身のもの、実物すなわち第一次情報は、人間に対して多くの情報を与えます。
人間はそれをある時には言葉で、あるときには目や他の五感で、重さや生理的な感覚などのことば以外で事態の情報収集していきます。

この情報量は知識としてとり入れる情報よりもはるかに多く、しかも多様なのです。
それは脳と神経系に保存されるばかりでなく、感覚器官やときには筋肉の記憶として、からだのすみずみに保存されるのです。
これらが人間を精神的にもより強く育てるのです。
脳と神経系だけでなくからだ全体に取り入れた情報、それを言いかえると意識されない情報、意識の下に隠れた情報、
それが“精神的な体力”とか社会的な経験の内容物だと考えられるのです。
引きこもり経験者に囲まれて生活しているなかで、私が“発見”した中心部分がこれです。
この発見は、おそらく何かの実験的なしかたで、計測的に証明されていくものでしょう。
幼児期から少年期のところでこれらを相応に身につけた人は、思春期を迎えたところで爆発的に新たな要素を取得やすくなっていきます。
肉体的には子どもから男性や女性に成長します。
精神的に社会性を身につけ、社会に入っていく力を身につけます。
引きこもり経験者の多くは、まさにこの思春期のところで、この大量の情報入手の条件不足に見舞われ、停滞したのです。
引きこもり体験はそこで出直しを図ろうとする試みでもあります。

《10》

粘る力(“精神的な体力”)を強化することとは、このからだの記憶の不足を補充することです。
引きこもりの経験者は、家族や社会に生きながら、社会とのつながりを小さくすることによって、切り抜けようとしてきた人たちです。
そういう彼(女)らが、社会のなかで、日常生活のなかで試みるあらゆる行動を支えながら、そのつながりを強化することが必要になります。
SAMさんの体験は、その面で多くのことを示唆してくれました。
彼がそのはじめに家族に「気持ちを話せるようになったこと」、当事者の会において友人関係になる人が生まれ、
彼らと話し合える関係が続いていることが仕事に就いていく基盤条件になりました。
その関係ができる過程で、人と社会と自然にふれ、ことばにできない多くの物事をからだに蓄えていったのでしょう。
そのうえで「ちゃんとした学校(経理学校)」で学び、正社員という「逃げられない状態」に身を置くことを選べる程度の“精神的な体力”を得たのです。
SAMさんの事情は、個人的な特性をもちます。
だれの体験であっても個人的な特性をもつしかありません。
そこに一般に引きこもり経験者に必要な、社会の中に入っていける力とは何かを考える材料を提供しているのです。

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