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Center:2006年6月ー引きこもりの歴史的背景

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目次

引きこもりの歴史的背景

(社会性を身につけるのが難しくなった社会)
〔『ひきコミ』第33号=2006年6月号に掲載〕

日本にこの数年(実際には十年以上)に、引きこもりの人が目立つようになった背景を、私は次のように考えています。
第一には、先天的(遺伝的)要素があります。引きこもりになる人の多くは、相当に神経質的であり、繊細な感性の持ち主によって占められています。
その様相に関してはここでは省くことにします。

第二には、後天的な要素があります。
この点をやや詳しく考えたいのが今回のテーマです。
先天的に神経質的、繊細な感性の持ち主は、おそらく以前にも生まれていたのですが、その多くは、後天的な成長過程のなかで、変容を遂げていたのが過去の日本社会でした。
それがこの30年間くらいの間に、社会の変化によって、成長過程での変容を遂げられず(そして私の想像するところでは、むしろ後天的な成長過程のなかで、その神経質な性格や感性の繊細さは先鋭化されて)にいる人が多数いるのです。
この後天的成長過程にはいくつかの要素を挙げることができます。

(1)食生活の洋食化

私には詳しくはわかりませんが、伝統的な日本食は、食文化としてもかなり優れた面があると思います。
たしかに体力とかエネルギーという面では洋食と比べて劣るところはあるのでしょうが、食全般の健康という面ではすぐれているはずです。
しかし、伝統的な日本食のなかにも、ある種の変化があります。
たとえば季節(旬)要素の低下(=季節を問わず食料の安定的供給と結びついています)、農薬類の強い浸透や生鮮食品の外観重視による劣化、ミネラルの不足などが、この食生活の変化のなかに入ります。
肥満の子どもの生活習慣病(かつては“子どもの成人病”といわれた)はこの問題を表わしています。

(2)母乳哺育の後退

母乳哺育の後退も非常に重要な後天的条件の一つです。
母乳に代わる人工乳は、元来は母乳不足による乳児をすくうために開発されてきたものです。
しかし、その便利さは、母乳哺育が可能な母親たちの間に広範に広がり、母乳を補う人工乳というよりは、母乳とともに人工乳、あるいは人工乳を補う母乳、さらにはほとんど人工乳という哺育を広めてしまいました。
しかし、人工乳は母乳に代わることはできません。補うことができるだけです。
その栄養構成面で人工乳は母乳とは違います。
母親の乳腺から出る母乳は、栄養以外にも免疫力をもっています。
人工乳の広がりはこれを低下させました。
さらに、母乳哺育の後退は、母子(赤ちゃん時代の親と子)の関係を大きく変え、崩しました。
母乳哺育であることによって形づくられた、赤ちゃん(胎児から外に出たばかりの人間)に必要な、皮膚接触、母と子の間の愛着感を大きく後退させました。
これがその後の子育てに影響しつづけています。

(3)衣環境

衣環境も大きく変わりました。
衣類の変化、和装から洋装への変化については、これまで大きなマイナス要素をきいたことがありません。
これは問題が少ないように思います。むしろ大きく改善されたはずです。
ただ履物に関することでは、すこし気になることがあります。
それは、足の土踏まずの形成が少ない人が目立つようになったことです。
靴や靴下の普及に関係し裸足(はだし)での生活を推奨する人がいるのは、これと関わりがあるようです。
後の住環境の派生要素として、寒さ防止のための厚着が問題にされることがあるのも注意すべき点でしょう。

(4)住生活

住生活は、大きな変化を示しています。
60年代から始まる高度経済成長によって、国内での大きな人口移動が起こりました。
農村人口は激減し、都市化が進みました。
それが、一方では、新興住宅(団地、マンションなどの集合住宅や一戸建て住宅地域開発)が広がりました。
他方では、地域における人間関係がない、いわゆる地域的共同体の崩壊を招きました。
地域的共同体の崩壊は、時には半封建的ともいえるムラ社会を崩壊させる面もあったのですが、住民のつながりに基づくよい住環境が自動的に生まれたわけではありません。
“民主的な変化”が起こったというよりも“総とっかえ”が起こったのです。

(5)家族の変化

この住環境の変化を、家族単位で見るといくつかの現象がともなっています。
基本的には家族単位が核家族になりました。
父母と子どもの二世代が基本であり、父母の親の同居が少なくなりました。
これは一面では、家族内における家父長的な関係を崩しましたが家族全体が地域から孤立していく条件をつくり、子育てが家族(とりわけ母親)の孤独な取り組みになる条件にもなりました。
その一方でプライバシーを守る意識が先鋭になり、住宅にはその要素がさまざまな姿で備わるようになりました。
住宅の要塞化というべき性格です。
社会不安による犯罪の発生によって、これはさらに強まっています。

(6)女性の社会進出

一方、女性の社会進出のなかで、母親の就業の増加、保育所の増大によって、幼児(ときには乳児)の子育ては、家族の手元から離れることが多くなりました。
これは一面では、家族以外の人が子どもの成長に関わるという意味で、成長にはいい環境なのです。
しかしそれ以上に、子育ての負担が、単位家族に、とりわけ母親にかかっていく全体状況をかえることにはなりませんでした。
親の身近な子育ての相談者としての祖父母の不在、夫(父)の不在または非協力のなかで、「育児書」が普及しています。
多様な育児書の存在にかかわらず、それは対人関係を通しての育児相談とは異なり、それでも画一的な基準として受けとめられやすい要素に満ちています。

(7)学校教育

子どもが学齢期に入って以降の学校も大きな変化を示しています。
1970年前後の大人数学級やマンモス学校の存在(これはいわゆる戦後のベビーブーム時代に生まれた人が父母になっている、第二のベビーブームのため)高校進学率の向上と高校卒業の一般化、学校教育における競争原理の加速と知識重視傾向への移行などが影響しています。
学齢期の子どもの中では、テレビづけ、ゲームづけなど個人遊びが普及し集団遊びの経験の少ない子どもが多く含まれるようになりました。
これには住宅地域における遊び場の喪失が輪をかけています。
子どもは以前に比べて自己防衛的になり、友人関係づくりが難しくなっていったのです。
数少ない友人、知人と別れるクラス分けが不安になり、新しい友人関係づくりに教師の援助を必要とする子どもが増えていきました。

(8)日本の経済社会

これら全体が、戦後日本の、とりわけ1960年代以降の経済社会がゆたかになってきた内側で起きていたことです。
1990年代に入り、それまでの数年間続いてきたバブル経済が破綻し、社会全体が動揺的で転換期を感じるようになるなかで、生来が活動的、能動的であった人の発する雰囲気は、徐々に攻撃的に色あいをもち、ときには破壊から殺伐とした人が出るようになってきました。
この3、40年間の大きな変化のなかで、静かで、気弱な繊細さをもって成育をつづけてきた子どもたちは、この社会で(働く人たち)を目にして、言い知れぬ圧迫感、不安感を強めていきました。
ある人は、社会への恐怖を感じ、ある人は自ら成長の先にある社会に入るのを避けるために、意識的、無意識的に成長にブレーキをかけているのです。
社会に動く人たちを見て、不公平を感じ落ち込むのです。

(9)社会全体の評価

引きこもりになっている人の、一人ひとりの個別の経歴や家族環境は異なります。
それにもかかわらず、引きこもりになる人を増大させているのは、この3、40年の社会のこのような背景があると考えていいのだと思います。
私はこれら全体を、すなわちこのテーマでいう引きこもりになる後天的要素としての社会環境を、次のようにいうことができます。
日本社会は、この半世紀の間に、子どもが成長し社会性を身につける環境条件を著しく低下させている。
社会性を身につけるのが難しい社会になっているのです。

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