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Center:2008年10月ー引きこもり生活者への訪問活動(2)

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目次

引きこもり生活者への訪問活動(その2)

~20代後半以上の人への方法を例示する~
〔『ひきコミ』2008年11月号=第61号に掲載〕

〔4〕初回の面会

(1)緊張を柔らげる

当事者と初めて顔を会わせるときは、お互いに緊張します。
ここをなるべく緊張感を少なくする工夫が必要になります。
条件づくりでわかりやすいのは2点です。

(1)場所
場所はあまりこだわらないこと。
当事者の部屋だけでなく居間や台所などがよく選ばれますので、それに合わせます。
自宅外を望むのであればそれもいいでしょう。
一般的な条件は、時間の伸縮ができやすいところ、1時間いてもいいし、15分で離れてもいい所となります。
時間については、後でもう一度述べることにします。

(2)家族の同席
初回には家族(特に母親)と一緒に会うのは支障はないし、当事者の気持ちが楽になるのであればそれは生かしていいことです。
当事者との関係が安定してきたら、家族は席を外してもらうようにしなくてはならないでしょう。
もちろんはじめから当事者と話せる状態であれば、そうしたいところです。

当事者が家族(母親)の同席を望んでいるのならば、それは引きこもりから抜け出すのに相当の時間を要すると予測できます。
親の側から同席を外せないのは、引きこもりの背景に親の思いが関係していると感じさせます。
いずれにしても、家族の同席の有無は「決まっているから」ではなく、提示して反応を得て決めればいいことです。<br>

初回の面会では、とくに当事者は自分を維持するためにさまざまな反応を身体や動き(振る舞い)やことばで表わしてきます。
からだを堅くする(緊張する)、落ち着かない、髪によく手がいく、ことばが出なかったり、ある場所では饒舌(じょうぜつ)になる・・・
これら全部が自分の気持ちを安定させようとするために出ている(表現されている)と考えていいものです。

落ち着いているようにみせたい、あなたは心配して訪ねてきているようだけれども私は大丈夫ですよ。
親が勝手に騒いでいるだけです・・・というように振る舞う人もいます。
なかには本当のそうではないかと思う人もいますが、当事者が精一杯がんばってそうしているように見えることもあります。

これらがどの程度のものであるのかは、その後の様子(家族から様子をきく)や、2回目、3回目と訪問を重ねていくなかで、しだいにわかってくるものです。
訪問者は初回に全部をわかろうとしないことです。
いずれにしても、重要なことは少しずつわかっていくものです。
初回の面会で途切れてしまうと、これらが全部わからないまま終ってしまいます。
訪問する側では手の出しようがない面はありますが、継続できる気持ちにさせる心構えと方法は向上させたいものです。

(2)初回面会の時間

初めて顔を会わすときは、特別の役割があります。
訪問面会が2回、3回とつづけられるようになることが、初回面会の最初の目標になるでしょう。
一般論としては(ということは個別の事情ではそうならないこともありますが)、私は「初回はあまり長い時間をとらないほうがよい」と考えるようになりました。
これが医療(初診)やカウンセリング(インテーク)とは違うのかもしれません。

私の場合も、初回の面会が1時間以上になったこともありますし、「できれば30分以内」と思いつつも超えたこともあります。
継続して訪問を考えなかった時期は、時間の長さを考えずに話ができればいいとしていたこともあります。
しかし、訪問の目的がはっきりしてくると、とくに初回は短くてもいいと判断する例が増えてきたのです。
それらの理由はいくつかが複合しています。
当事者の様子により個人差が出ますが、複合する要素には次のことが含まれます。

(1)
引きこもり生活者の様子の外形上のことは家族からきいています。
初回は当事者からきくのはそれを確かめていく作業―すなわち家族はどれだけ、どのように理解しているのかの一端を知る機会です。
これはことば表現だけでなく心身状態に表われるのを観察し、確かめていく時間を要す作業が中心になります。

(2)
とくに精神心理的事柄を示すことばは、相互の信頼関係の程度によって話せる内容は違ってくるものです。
はじめから多くの事情説明を望むのは、この信頼感の程度との間にギャップを生み出します。

(3)
初回は引きこもり生活者側に緊張感、警戒感が強くあり(訪問者側にも緊張はあります)、そこで交されることばは自然と制約されたものと考えるべきです。
訪問者に受け入れられる程度の内容(あまり落ち込んではいないという方向)を話すとともに、「私は平気ですよ」という雰囲気を出しやすいのです。
真実の姿とは無縁ではありませんが、可能な範囲でカバーされた状態になっています。
本当にカバーできない人は、会うこと自体が困難です。
より深い、より重大な事情を最初から話してくると考えるのは、いささか傲慢(ごうまん)な感じがします。
一部の医療機関(精神科)の対応はこの点で問題を感じることがあります。

(4)
初回の緊張感は、当事者にとっては無理をしている状態になっていることがあります。
気配りエネルギーの消耗と私が考えるものです。
訪問者が離れて、緊張が緩んだところで心身症状として表われることがあります。
これは面会している時間が長くなることにも関係しています。
これらのことを総合し、継続して会っていくなかで安心感や信頼感を得られるようにすることを目的とするのであれば、会う時間は短くてよい、ということになります。

(3)次回の訪問日の決め方

初回に会うのは、次回に訪問する条件をどうつくるのかに最大の目的をおく―という方向に私の関心は向いています。
はじめから2週間毎に訪ねるとか、1週間単位というのは、会う前の心づもりとしてはいいのですが、それを初回に会ったときにおおよそ見当がつけられるようになればいいことです。
初回の後、2~3日してから当事者の様子を家族からきいてみて、最終的に決めることになります。

訪問者の方で気をつけておかなくてはならないことは、別のことです。
家族のなかには「訪問して来たら何とかしてくれる。なのに半時間ほど会ってさっさと帰ってしまい、子どもは少しも変わらない。何の役にも立たなかった」―事が本当に始まる前に、終了の結論を出してしまう人がいることです。
長い引きこもりのばあいは、そこまで単純に考えている家族は少ないのですが、事前相談のところで、このあたりも打ち合わせをしておきたいところです。

家族との事前打ち合わせでは、初回訪問日、初回面会、次回訪問、長くても2~3か月以内のことしか話せない気がします。
話せるとしたら一般論です。
「3回目で必ず外出するようになります」という約束は、私にはできません。
私の感覚では、それは引きこもり生活者が何かを納得するまえに、外部の力で働きかける部分を伴わざるをえないと考えるからです。
それは、当事者の内なる気持ちを高めるものではありません。
特に20後半以上の引きこもり生活者への対応は、ここが違います。

初回の面会のあと、当事者が体調を崩すことがあります。
訪問者に対して、がんばって(無理をして)つき合ってくれた結果であることが多いと思います。
もちろん他の要素によるものがないわけではありませんが、それは後に訪問を重ねられるようになり、信頼関係ができたときに、自ずと話してくれることです。

〔5〕初期面会における3つの反応

(1) 訪問を受ける側の3つのタイプ

私が訪問をしてみた引きこもり生活者の対応は、当然いろいろな差がありますが、これまでの経験では3つに分類できるように思います。
訪問先の人が増えればさらに違ったものになる可能性があり、私の視る角度が高まるに従ってそれは変わる気がするのです。
まず3分類をみましょう。

(1)むしろ訪問者を、もてなすような心づかいを示そうとする人。
(2)自分のペースを維持しようとする人―顔を会わさない、テレビやマンガを見続けながら応対をするので、コミュニケーションが途切れがち。
(3)面会、面談の形になって受け答えをしようとする人。
私の質問にことば少なにポツリポツリと「はい、いいえ」と答える形から、訪問回数が増えるにしたがって、センテンスのあることばが混じっていく会話になる人。

この徴候は、初回からはっきり出る人だけではなく、2回、3回と重ねるに従ってはっきりする人もいます。
私は、これらの対応のしかたは、当事者の自分維持の方法が、意識を超えて表われるものと受けとめてます。

この対応のしかたのなかに、当事者がそうせざるを得ないのか、気配りエネルギーを発揮して(ときには無理をして)そうしているのかが、隠されているのです。
訪問したとき「ちゃんと対応してくれた」という話を訪問サポート側からきくことがあります。
これは訪問者(訪問サポートする側)のサービスの受け方を自分でよかったといっているものであって、訪問を受ける側の状態から判断していません。
そこに関心があるのは、訪問初心者の感覚です。
そういう時期は訪問者ならだれでも経るので心配はないのですが、そこから先に進んでいくことです。

(2) もてなし型

(1)の「心づかいもてなし」の人を、私はむしろ要注意と考えています。
それだけのエネルギーがあれば、相当程度に外部世界との接点があっていいはずなのに、訪問サポーターに対してそのようにしているわけです。
私はその人の気持ちの優しさとともに、その時間に全精力をあげて気配りエネルギーを発揮しているように感じます。
ですから要注意なのです。
「快く対応してくれた」とサポーターが悦に入っている一方で、当事者はその分ストレスを受け、エネルギーを消耗し疲労を強くしています。

(3) 散漫型

(2)のいわば「散漫な面会をする」人は、それが自分を維持する方法になっている人です。
このマイペースの維持を当事者が生理的に受け付けられない程度に侵入してくる人には、爆発的な感情表現をするしかなくなってしまう気がします。
このマイペースの対応を侵害しないで、当事者のしていること、しようとしていること、関心のあり方をきける関係になると、この訪問はくり返していけます。
自分を維持できる対応を認められるかぎり、訪問を拒否されることはないと推測します。
しかし、これを侵害するタイプの人に対しては断固たる訪問拒否が出るでしょう。

私が、面会時に引きこもり生活者の最大の反応は「自分維持」にあることを気づかせてくれたのは、このタイプの人です。
それは他の人でもそれほど鮮明ではないけれども、共通していると教えてくれたわけです。
(2)タイプの人は、短期(数は月)の訪問で何かを得ようとすることは目的にしない方がよいと思います。
そしておそらく、こちら側の提案することとは別に、自分なりの方法をいつの間にか準備していく人たちではないかと思えます。
訪問の目的は、この人の内部のつかみがたいことを、ことばにして引き出していくことになると予測しています。

(4)面接タイプ

(3)の「面接タイプ」の人は、おそらく割合もいちばん多く、(1)タイプの人もここに加えられるのかもしれません。
ということは、(3)タイプの人はいろいろな人たちがいて、私にはまだこの個別の要素が識別できていない、という気もします。
そのなかで私が印象に残るのは、私が訪問に来ることは「気が重い」「そこまで自分はダメなのか」「なんとか耐えて会っています」などと、自分の方に問題の所在を向けながらも、この事態を迎えたことに怒りがあり、それを抑えたり気づかないでいる人たちです。
この人たちは、訪問を繰り返すと比較的短期に外出をするようになる例が多いです。

訪問が2度、3度となるうちに、少しずつ身なりが整っていく人は、当人の心に外への関心(外部の人と接する可能性への準備)が始まりつつあるように思います。
髪をセットする、髭(ひげ)をそる、パジャマ姿から室内の普段着姿になる、靴を気にするなどがこれに当てはまります。
ただこれは、親が指示的にしないのがよいと思います。
当事者は自然にそうするのであって、親が誘導していくと、この前進する気持ちを妨害してしまう可能性を感じます。

(5)対極的な表われ

(1)の「心づかいもてなし」タイプを、この(3)「面接タイプ」から独自の分類にしたのは、この「気が重い」レベルが強く、だからそれを超えて「もてなし」になっているからです。
真実は「気が重い」を越えて「強いストレス」「屈辱感」領域に入っていると感じます。
(3)の「面接タイプ」は割合からいくと大部分を占めるでしょう。
訪問する側は、それは通常の訪問面会のしかたという理解で終わらずに、さらにそこでの身振り、振る舞い、ことばのやりとりの特色を抽出していく姿勢、それを受けとる感覚を磨く必要性を感じます。
私には、(1)の「心づかいもてなし」タイプと(3)の「面接応対」のうちの“怒り抑制”タイプは、基本的状態では近いけれども、重要な一部では対極の状態にある気がしています。

〔6〕初期にみること示すこと

(1)提示・表現したいこと

訪問サポーターは、初回から数回目までの訪問で何を示すのでしょうか。
私の経験から述べてみます。
これは訪問の目的、サポーター個人の特性によって相当に違ったものになるでしょう。
引きこもりの訪問活動をつづけている支援団体によって、かなり様相は異なるはずです。
この取り組み方が広がるにつれて、方向や目的も多様性を示していくと思います。
ここでは私の実例によるものです。

(1) 引きこもり生活者の意志に反して、強制的に動かすことはありませんということを、あらゆる言動において表現することです。
これは目的がそういうものでなくてはなりませんから、とりあえず“外に連れ出す”ことを目的にする訪問活動ではありえないことになるでしょう。
「あなたに会えてよかった」と言う表現もいいと思いますが、私自身のばあいはどうなっているのかは自分ではわかりませんし、そうしているという自信もありません。

(2) 基本的なことは、引きこもり生活者の表現を見、その気分、感情を察知することです。
自室に入ったばあい、カーテンが閉められていて暗い感じのこともありますので、表現を読みとりづらいこともあります。
この部屋を暗くしていること自体が、もしかしたら一つの表現なのかもしれません。
前項目の「反応をみる」で述べたことは、この観察によって得たことです。
訪問サポーターの感受性、感覚が問われるところです。

私自身に関していえば、数回の訪問のなかで最初の印象を訂正していっている感じがします。
より正確な表情の読みとりは求めたいと思いますが、結果をしての正しい判断よりも、むしろ丁寧にみようという姿勢が大事な気がします。
たぶん私自身のこれまでの経験をたどっていくと、なにか私の体験や感覚に共通する気持ちにふれる気がして、目の前にいる相手の表情を読みとっていこうとしているのではないか。
ときどきそんな自分を感じます。

(2)話しかけ、聴きとり、間(ま)

これまで訪ねて行った引きこもり生活者のなかには、雄弁に語る人はいませんでした。
あることばに反発的に反応する人もいました。
家族との事前相談では、暴力的であるとか「うるさい!」とよく怒鳴るときかされた人でも、家族外の人にはしごく穏やかに話してきます。
この落差は30歳近くなったことの成長の証しで、家族内と家族外では自ずと振る舞いは違ってくるのです。

(1)口数少ない人との「会話」
むしろ、無口なタイプとどう会話を導いていくのかが問われるように思います。
自分から話してくるような人はあまりいませんので、どういう問いかけをしていくのか工夫を要するのです。
自己紹介的なことの後、私がきくのは体調や日常どんなことをしていますか的な内容です。
「体調はどうですか?」ときかれると、やや説明的な答えをするしかなくなるでしょう。
それに「ダメです」「いいです」という、次に続きづらい答えが多くなります。
「よく眠れますか」ときくと「全然」とか「はい」の答えが多いでしょう。
そこで「昼夜逆転はしていませんか」とか、「朝起きるのは何時ぐらいですか」と続けていくと、様子が少しづつわかります。
しかし、あまりたて続けに質問をするのはよくなくて、相手の答えるペースに乗って、間を置いてきいていく、こういう形になります。

あと、私がよく尋ねるのは食べ物です。
「よく食べられますか」「食べられない物はありますか」的なところにもっていきます。
これは私が偏食家であり、食べ物の好き嫌いが多いことを話す伏線になります。
偏食の人は味覚が敏感であるとともに、アスペルガー的気質の人が多いと予想していますので、それを知る材料にもなります。
これは割と最近になって取り入れた方法です。
もちろん相手によっては、体調や食べ物のことなど全然ふれないこともあります。
睡眠と食べ物は、最も一般的でしかも基本的なことです。
こういう話は序走としてしやすいのですが、そうでないタイプの人もいます。

(3)訪問になった経過を話の糸口に
「お母さんからは5項目の選択肢があって、その結果私が来ることになったわけですが、気分は重いですか」という形で話すこともあります
。 この「気分は重いですか」を加えると「はい、いいえ」の形で答えられますが、「重いですか」の代わりに「どうですか」ときくと、なかなか答えづらいようです。
かなり長い沈黙があります。
「いやです」とか「来てほしくないです」ということばも頭に浮かぶのでしょうが、気配り人間である引きこもり生活者はそういうことばをうまく言えません。
かといって「嬉しいです」と、本心とは反対のことばで取り繕うのも苦手です。
「大丈夫です」という中間的なことばが浮かぶまでに時間を要するのです。
「大丈夫です」とは“本当は訪ねてこられる状態はさけたいのですが、逃げ出すとか寝込むほどのものではないです”というほどの意味です。
もちろんこれは一つのありうる例であって、実際は少しずつ違うやりとりになります。
しかしこれと大同小異のことが生まれます。
ここでの留意点は、引きこもり生活者の返事は、正直で(うそのない)正確な範囲のことばで事態を表わそうとしていると思えることです。
訪問者に調子よくあわせて応答することはきわめて珍しいと考えてよいでしょう。
聞かれたことに間違いなく答えようとしていると感じます。
それだけに、答えたことはそのまま受けとめていいことです。
この答えのなかに、当事者の気持ち、状態が示されています。

(4)答えるまでの空白時間
次のような実例もあります。

「私がこうして訪ねてくるのにたいして、ある人は気が重いと言いましたが、そんな感じはありますか?」
「重いし、苦しい感じかも」
「ストレスとか屈辱的と感じることはありますか?」
「・・・・それはないと思います」

このやりとりのなかに、この人の気持ち、精神状態がどの程度ものかがわかります。
しかし、最後の「・・・・」が注目です。
このばあいは、10秒ほどでしょうか。
この「それはないと思います」ということばは、頭の中で点検されて表に出てきたことばです。
自分の感覚を瞬時に表わしたのではなく、「気持ちをよく探っていくと」という前提があるかもしれませんし、気配りを具えた言葉なのかもしれません。
これらの判断は、その場そのときにすぐにできるわけではありませんが、ゆっくりしたペースの、ボソボソして話のなかでこそ交されるコミュニケーションです。
そういうテンポがおすすめです。
会話の空白「・・・・・」が1分以上のこともあるかもしれません。
訪問者はこの空白にいたたまれなくなるかもしれません。
そういうときは回答を得ずに、「きき方を変えましょう」とか「別のことをききます」とつづけます。
この待つ姿勢と相手を追いこまない状態づくりはかなり説明しづらいところです。
そのタイミングはたしかにあるように思います。
明らかなことのひとつは、訪問者が元気溌剌(はつらつ)で、強い調子のことばでは、当事者を圧倒し、萎縮させてしまいます。
気持ちを楽にする話しぶり、間のとり方は、一言でいえばゆっくりです。


center:2008年8月ー引きこもり生活者への訪問活動(1)
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