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Center:2008年6月ー親書・通信の自由と家族関係

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目次

親書・通信の自由と家族関係

〔『ひきコミ』第59号=2008年8月号に掲載〕

(1)自分宛の私信が手元に届かない

30 代の男性2人と話したとき、自分宛のDMや官公庁からの連絡郵便物が自分のところに届かないことがあるといいました。
個人宛手紙でもそういうことがあるといいます。
『ひきコミ』第54号に「五十田猛への手紙」を載せましたが、そこにも2人が同じことを書いていました。
その部分はこうです。

(1)「私は精神の調子を崩し、いただいていた『ひきコミ』等のお手紙も、両親の判断で全く目を通すことなく、今日まで来てしまいました」。

(2)「家の郵便受に入っていた‘不登校情報センター‘と印字された封筒が親の目に止まり、処分されていたことも要因でした。
親は私宛にそういうものが来ていたら処分しておいた、と告げるだけで、私の手に渡ることはなく、封書の中身・内容を知ることは困難となりました」。

引きこもり経験のある人には、こういう状態の人は少なくないでしょう。
私は、これについて「親の子どもに対する支配かな・・・」というと、一人が「所有しているみたいに感じる」といいました。
おそらく支配と所有は非常に近い面があるのでしょう。
これはDMや手紙のところにとどまらず、電話の相手と内容、どんな人とつき合っているのか、などにもおよんでいます。
親の意向にそぐわないと交友関係を禁止されたり、いろいろな妨害にあうことも経験しています。

秋葉原の‘通り魔‘事件を実行した青年は、学校時代に母親の書いた作文を自分の作品として提出していたことがあると言っていました。
これも同じ種類のことです。

この状態を子ども(とくに思春期以降や20代以降)の側からみると自由意志に基づく言行の禁止になります。
幼児期からの経歴を考慮するならば、子どもが引きこもりになるきわめて重大な要因になっているといわなくてはなりません。
それが人間としての対人関係や精神的成長の足枷になっていることは相当に確実なことです。

ただ今回はその面はひとまずおいて「家族」というところに視点をおいてこのなりゆきを考えてみます。

(2)問題発生の背景は何か

たぶんこれは、家父長的といわれる半封建的な家族関係の余波(なごり)から説明されるでしょう。
それが余波とされ、家父長的家族関係と同一でないのは、母親の役割です。
かつて母親はその家族関係において嫁として家族に加わった新加入者として、立場が弱かったのです。
現在では核家族になっていて子どもの管理(養育のつもり)の中心にいることが多いのです。
この母親の立場・状態が1つの違いです。
この点は、後でより別に考えることにします。

第2は、子どもの対人関係が、かつては直接の対人接触に基づいていたので、手紙による通信の役割は小さかったのです。
それに対して、現代は、むしろ対面関係の起点(出発点)がわかりにくくなっている点です。
全く見知らぬ人、「なりすまして」メール等でよびかけてくる社会状況の中で、子どもの安全を守るのに両親が神経質にならざるをえない背景があります。

しかしこの点も、子どもが小さいときはともかく、成人になってから手紙、郵便物というところまで管理・監視が及ぶのは異常です。
問題は思春期といわれる中学生・高校生時代や人によっては20歳前後の子どもの場合です。
この対応のしかたは、やや個別的な事情によりますが、最終的には手紙、郵便物が本人の手に渡らないということは行きすぎと考えられます。

(3)人口移動と家族の増大

戦前まで日本の家族制度であった家父長制は、下層社会においては現実的な条件がないため、意識としてはあっても実際には相当に崩れています。
比較的裕福な社会層の中に維持されていたものです。
これは家系という血統を絶やさないためでありましたが、それ以上にその社会的地位を守り、高めようとする役割によります。
それはしばしば家族内の特定の個人に犠牲を求め、その言行を規制していました。

戦後、この家族制度は基本的には崩壊しました。
新しい憲法における個人の人権を保障する民主主義的な要請にこたえようとするものでした。
これが普及したのは、主に学校教育の場であり、大人社会への波及はゆるやかであったと思います。
しかし、子どもの親書や通信という個別的、具体的なことまではなかなか学校で学ぶことも少なかったように思います。

重要な役割をしたのが、かつて結婚は従来の見合いから始まる家制度に根を置くものでありました。
それが当事者男女の恋愛から結婚にすすむことが、新しい時代意識にあったものとして急速に普及したことです。
これが家族制度を変える大きな要因であったように思います。
もっとも‘恋愛‘であっても、その両親から容認される範囲の相手に限られている場合は、今日でもしばしば生じていることです。

それに加えて、1950年代から始まった高度経済成長の影響があります。
ここでは農村から都市への大量の人口移動がありました。
特に家父長制の余波が濃く残った農村の大家族が大きな影響をうけました。
子どもがどんどん都市に出ていったのです。
都市と周辺地域では、新しい家族が生まれ、その基本型は夫婦とその間に生まれた子どもという核家族の急成長です。

この他にも大家族制が崩れ、核家族が増加した重要な理由はいくつかを挙げることができるはずです。
それは形の上での崩れであって、家族の成員、とくに子どもの自由が大事にされた結果とはいえないも面ありました。
他方ではその影響をあまり受けない世代や間接的に受けるにとどまった家族は少なからず残りました。
国民的な広がりをもった民主主義的変動の産物として、個人の自由、民主主義の国民一人ひとりのところでの実現という考え方から距離をおいてながめられる人たちがいたからです。
戦後民主主義の広がり、深化の不十分さとしても説明できるでしょう。

これは、都市の旧市街的なところや農村の旧地主など富裕な家系に残り、意識としては民主主義の進行を横目でながめるだけでやりすごしていった人たちです。

(4)学歴社会の信奉も影響する

一方、この人たちに合流しやすい新しい意識をもった人々が現れました。
学歴社会の登場による、「よい学校、よい学歴、よい会社」を指向する人たちです。
この新参組は、やはり個人よりも家系を優先した、少し言いかえると個人の幸福は家族全体の幸福によって保障され、それは最終的には学歴によってきめられる、という考え方の構図です。

その構図の中では、家族の中の弱い位置にいる人が、ときに犠牲になりやすいものです。
個人のところに根をおく民主主義は、18世紀のヨーロッパで生まれ、日本にも考え方としては20世紀には広まりました。
戦後の社会条件のなかで実現が可能になった、より進化した制度なのです。

しかしこの古めいた家族のところで、個人を基礎とする民主主義は一つの壁につき当たり、両者の力関係(それはしばしば家族内の位置による)によって左右される状態になっているのです。

いま、成人した子ども側からいわれる、自分宛の手紙やDMが本人の手に渡らない、ときには勝手に処分される、
届いたことさえも知らさせていないという事態は、家族の関係からみると、このような背景のなかで生じていることと思います。
それは旧家(名家)ともいうべき家族だけではなく、そういう意識をもち、「よい学歴、よい会社」の道の妨げになる可能性を取り除きたいという両親の下で新たな動機も加わって再生産され、継続しています。

このような家系においては、子どもが引きこもり、あるときは社会参加を躊躇する事態によって、立ち行かなることも生じるでしょう。
少子化時代においては、この影響は家系という面からみても無視しがたいと思います。
                              

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