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Center:2010年9月ーホメオパシーと医療を考える

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目次

ホメオパシーと医療を考える

(『ひきコミ』83号=2010年10月号に掲載)

ホメオパシーが注目されています。
ホメオパシーを信奉する助産師がビタミンK欠乏性出血症の乳児にたいし、治療に必要なK2シロップを投与せず、ホメオパシーのレメディーを与え死亡させた事件が大きく取り上げられました。
日本医師会、日本医学会、日本助産師会などが、相次いでホメオパシーが非科学的で、医療行為には使用できない旨の発表をしています。

不登校情報センターはこれに直接に関与する部分はないのですが、情報収集という作業にはいくぶんは関係するかもしれません。
これまでに先行して書いてきたものは「カウンセリング、セラピー、ヒーリングの施設データ集め」(2007年1月)です。
いまこの文章を読み返してみてどこかを変更しなければならない、削除しなければならない部分はありません。
しかし、ホメオパシーを個別に取り上げてみたとき、また今回の事件や社会的な反応をみたとき、それに即した記述を加えてもいいのではないかと思いました。
ただし、事件そのものは新聞報道を“斜め読み”した程度ですからそれに詳しく立ち入っていくのは趣旨ではありません。

(1)医療行為の適応範囲

私は不登校情報センターを始めるまでに、医療機関で事務員として16年働いていました。
その後は教育系出版社で同じく16年ほど働いていました。
患者の診療や子どもの教育に直接に関わったことはありませんが、不登校情報センターの活動に、特に人間を見るときに役立つことは多くあると感じています。

町中の小さな診療所にいたころ、医療行為について院内学習会がありました。
30年以上も前のことです。
講師は医療系専門学校で講師も勤めていた鍼灸師のT先生です。
T先生は医療行為に必要な条件を話されました。
“治療効果と患者の状態を比べて”、医療行為による患者への苦痛と経済的負担が少ないことなどを挙げていました。
しかし、一番先に挙げたのは「医療行為が疾患に対して有効である」というものでした。

その実例は忘れましたが、たとえば胃潰瘍に必要な胃の部分切除がどんなに上手くできるにしても、同じことを肝腫瘍の患者にしたのであれば無意味であり有害である、という趣旨を話されました。
きわめて当たり前のことですが、これは最も基本的で大事であると強調されたのです。

今回のビタミンK欠乏性出血症への治療法は、このレベルにおいても考えていいものです。
いや、そういうレベルのものではなく…そもそもホメオパシーは医療行為の世界に入るものではないというのが正当であるとしても、考える余地は残されています。

現代の医学医療、医療行為の全体が科学的に実証された行為で成り立っているわけではありません。
現代の医学・医療はそこまでになっていないし、医療には科学において相対的な部分もあります。
全てが科学的であるといえば事実を超えて勝ちすぎです。

ホメオパシーを私はよく知りませんから、頭から否定もできないし肯定もできません。
肯定できるとしても範囲や程度は自ずとあります。
少なくともそれらを超えて有効性を主張し、実行したというのが今回の事件における私なりの見方です。

(2)適応における個体差の役割

次は教育編集者時代に習ったことです。
とはいえ相手は教育関係者というよりは小児科の医師でした。
教育雑誌で「子どものからだと心」のような連載をしていて、そのY医師と話し合う機会がありました。
Y医師は子どもの生存・生活にとって基本的に必要な条件は、光と熱(太陽)、空気、水、食べ物(栄養)などを挙げました。
その次に家族と友達という人間を欠かせない要素に加えました。
おそらく先天的・遺伝的な要素も加えたと思いますがいまは思い出せません。

これらの要素が子どもの生存と成長に基本的に必要であるといわれました。
そのうえで「小児科医療は高度に個体に即した科学です」と追加したのです。
個人差に注目しなければ小児科医療はできないのです。
それは小児科だけではなく医療全般に当てはまることなのでしょう。

今回のビタミンK欠乏性出血症の事件にこれが直接に通用するわけではありません。
ただ仮にホメオパシーに有効性があるとしても、適応性を個体の状態をみて判断しなければならないということになります。

私が関心を寄せるのは“ホメオパシー医療”が、個別の病名・症状について医療行為としての適応性、有効性を立証していないし、たぶんそういう種類のものではないと思えることです(事実誤認でしょうか?)。
ホメオパシーまたはホメオパシー医療は健康法か、有害物からの身を守る生活方法の類になると思えます。
その範囲の一般論においてなら趣味や生活様式の範囲であり問題にはならないと思います。

今回事件になったのは、それを超えたことです。
医療行為として行なわれ、そのために必要な医療行為を妨げたことです。
その結果はきわめて重大なものであったのです。

(3)科学は倫理に従い謙虚に振舞う

ところでホメオパシーに限りませんが、代替医療や伝統医療の存在や関心の広がりには、迷信や非科学的というものとは異なる現代医療に対する密かな不信が感じられます。
“ホメオパシー医療”を否定し、非難する現代医療は、そんなに科学的で倫理的になされていないのではないか。
それを示す実例を意外と国民は見聞きしているのです。

日本医師会、日本医学会、日本助産師会などが今回の事態に関して発表した立場を否定する気はありません。
科学的証拠と医師資格を根拠にする医師の一部にみられる“強い立場”からの医療行為に、患者やとりわけ弱者とされる人たちへの配慮不足があり、現代社会の弱者と強者の縮図を見る思いがします。
現代医療への不信は強い立場の人間の象徴である医師への不信でもあります。

科学・医学は自然に対しても人間に対しても、もっと謙虚であるような倫理を求め、それを前提としていませんか。
科学は証拠を振り回すのではなく、証拠から受け取り論理的に構成するものでしょう。
言い換えれば医師は医学により患者を振り回すのではなく、患者から学ぶ存在であって欲しいものです。

それはたとえば“薬漬け医療”にみる薬の乱用です。
これも科学に基づきながら、科学の範囲を逸脱しています。
科学の勝ちすぎとはこのような例です。
“薬漬け医療”へのある種の容認、この偏った関係が科学に基づく医学・医療を敬遠させ、反科学を助長させる背景にあると私には感じられるのです。

(4)代替医療における物品販売について

先に発表した「カウンセリング、セラピー、ヒーリングの施設データ集め」において、私はこう書きました。

「セラピーやヒーリングを考える際に、もう1つの現実的な要素があります。
それを継続するには(主としてセラピーやヒーリングによって)収入を得なくてはなりません。
これは文化的背景によって、あるいは新しいサービス業であることによって、日本人のなかにはすぐには溶け込まない事情があります。
これを埋め合わせる役割をするのがモノです。
モノの販売、たとえばハーブとかアロマ(芳香)の 販売、健康食品やサプリメントの販売を組み合わせたセラピーの普及方法が(セラピストには不満のある表現かもしれませんが)重なっているように思います。
神社や寺院におけるお守りや祭儀用品の販売と似た(?)方法です。
私はこれらに関しても大目にみてもよいと考えています。
各種のセラピーが普及・定着する にはある程度の時間を要するわけで、その過程では、その程度によっては許容されてもいいのです。」

これは実態として、職業として成立しない分野の医療類似行為・代替医療の一部に物品販売優先、そのためにその医療類似行為・代替医療の一部の正当な範囲を超えた効果を宣伝し、通常の医療行為を否定的にみる姿勢を助長することがあると認めなくてはなりません。

私が書いたことは「その程度によっては許容されてもいい」としているわけですから、この言葉の全体を消し去るのは行き過ぎと思います。
逆からいえば程度を表わす必要な制限が必要になるのです。

基本的な“代替医療行為”ないしは健康法、養生法、生活スタイル育成が職業として成立しないなかでの物品販売による“代替収入”は、医療機関にとって対岸の火事をいうことはできません。
薬漬け医療とは、実は同じことなのです。
薬が基本的な医療行為に替わる“代替収入”になっているのです。
ときには医療経営のできる医療機関がいっそうの収入を得るために薬を出しているとすればさらに罪深いとさえいえるでしょう。

(5)代替医療・類似行為をどう扱うか

ここでホメオパシーに関わらず、アロマテラピー、オーラソーマ、フラワーレメディ(フラワーエッセンス)など代替医療について考えてみたいと思います。
人によっては心理カウンセリングや身体療法の一部の医療類似行為や伝統医療もこの範囲にあるとするかもしれません。

これらが医療の範囲においてどのように考えられるのか、考えられないのか、少なくとも実証的な証拠による医学になるのかは知りません。
理解できるのは健康や精神生活において効果を発揮することがありうることです。
WHO憲章の健康の定義に“spiritual”が取り入れられたことはそれに関係すると思います。
もっとも国内で使われているスピリチュアルは多様であり、すべてがWHOのいう“spiritual”と同じであるとは思いません。
それらについては「カウンセリング、セラピー、ヒーリングの施設データ集め」[1]を参照してください。
日本医師会、日本医学会、日本助産師会などが、相次いでホメオパシーが非科学的であると批判しています。
その限りにおいては正当です。
しかし適応分野においては有効であるのまでは否定していないでしょう(とりわけ医療以外の分野、たとえば健康法、ストレス解消法、自己認識法)、またWHOのいうスピリチュアルを医師会などの見解でどう扱われるかははっきりしません。

これについては私は上の文書でも引用しましたが、中井久夫先生の論理を援用しているつもりです
(中井久夫「医学・精神医学・精神療法は科学か」『こころの科学』2002年1月号、日本評論社)。
もっとも中井先生の言及は“精神療法”の範囲で述べたものです。
私がそれより広い範囲のことを言うとしても中井先生の責任ではありません。

不登校情報センターが「メンタル相談・各種療法」の枠内で「データ集め」として代替医療や医療類似行為あるいは伝統医療に関連する施設の情報を集めるのはこの立場です。
微妙に難しい面はありますが、反科学を推奨するものではありません。
グレーゾーンというべきところも表われてくるでしょう、確実性だけで選別していては新しい取り組みや因果関係は不明ではあるけれども経験的に有効性はある、という施設を見つけ伸ばす役割をもつことはできないのです。
このスタンスをご了解ください。
  

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