カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


Center:2012年10月ー不登校は何を示し、何を学べるのか

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
移動: 案内, 検索
Icon-path.jpg メインページ > About Us/不登校情報センター > 松田武己 > 五十田猛・論文とエッセイ > 2012年10月ー不登校は何を示し、何を学べるのか

不登校は何を示し、何を学べるのか

〔2012年10月〕
〔1〕不登校は大人社会の変化を映す
不登校を知ることは、子どもを知り、人間を知ることです。
子どもは一人ひとり違います。
親は自分の子どもを知ることです。
親や教師や大人の思い込みで子どもを判断するのではなく、目の前の子どもを見て知ろうとするのです。
一人ひとりを本人から見るしかない点では不登校は特別のことではありません。
子どもはみんな違うし、一人ひとり特徴があります。
それをわかろう、理解しようとするスタンスが子どもとのいい関係をつくります。

子どもを知ろうとすることは社会を知ろうとすることです。
子どもの状態はそれぞれの子どもの性格とその子の置かれた状態において社会を映しています。
子どもは社会を映す鏡の役割をします。
社会とは学校であり、家庭であり、大人がつくっている社会です。
大人が日常の動きを子どもは感じてときには極端に表現するのが子どもです。
いじめの問題が子どもの世界でひどくなっているようです。
大人の間のいじめはあまりわかりませんが、子どもはそれを極端に示します。
子ども世界にあるいじめがひどくなっているのは大人社会のいじめがひどくなっていると教えているのです。

〔2〕子どもの変化は大人に先行する
人間は時代とともに変わります。
大人も変わりますが、子どもは時代を先取りしてしかも思いもかけない方法で変化を表します。
不登校とはそのようなものです。
今になって大人世界で不登校に匹敵することがはっきりしてきました。
会社拒否、就職しても短期間で止める人が多くなりました。
仕事についても社内での役職につくのを嫌がる人が増えています。
こういう大人の社会での変化を30年近く前に先取りして、子どもの世界に現れたことが不登校です。
不登校の低年齢化、大学生の不登校というのはこの流れに沿うものです。
日本人全体が徐々にこれまでの社会とは違う社会を求めていることを示しています。
わかりづらいでしょうが乳幼児も変化しています。
いちばん変化の少ないのは高齢者でしょう。
いちばん変化が目に付くのは思春期・青年期の若者ということです。
この変化は不登校という現象だけではありません。
対人コミュニケーションのしかた、働き方、学び方、そしてものの考え方にまで及ぶと思います。
それは進歩的とか保守的というのとは同じではありません。

一般に感覚の優れた人ほど時代と社会の変化をチャッチしやすいものです。
ただその変化を自分なりにどう受けとめ、どう表現するのかは、必ずしも初めからうまく行くわけではありません。
不登校の子どもの中にはうまく道を選び損ねているタイプの人もいます。
これは不登校の子どもの全部が自分をとらえ損ねているというのではありません。

〔3〕不登校には肯定面がある
比較的共通することを肯定面からみます。
意識する・意識しないの違いはありますが、立ち止まって自分を見る機会をつくっていることです。
立ち止まることは、それが長期化すると副作用になることがあります。
しかし、立ち止まって自分を見るのは人間として成長している証拠です。
立ち止まり自体を否定的に考えることはできません。
なぜ立ち止まるのか。
このままの自分が進んでいくことが息苦しくなる、不安感がある、そういう感覚が生まれているのです。
自分の心身に合った身の処し方を求めるとき人は立ち止まるように思います。
多くの子どもが遭遇するのは思春期を迎え始めたときです。
小学生から中学生にかけて不登校になるのはその意味で、その子どもの抱える問題の早期発見という性格があります。

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス