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Center:2012年7月ー引きこもりから社会参加の途中

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目次

引きこもりから社会参加の途中

〔2012年7月20日、千葉県なの花会での講演準備原稿です〕

(1)対人関係づくり

比較的最近の話から始めます。
40代になったIくんは、H保健所で自分の引きこもり体験を話ました。
初めに20分くらい自分で概略を話し、そのご質問を受けて、それに答えていく形の体験発表です。

Iくんの体験発表はこのときで3、4回になるのですが、改めて気づいたことが2つあります。
1つは親が聴きたいことは、どういう経過で引きこもりから動き出したくなったのか。どんな気持ちから仕事に就こうとしたのか。
もう1つは、自分の体験を話すことは、聞いている親のためになるのではなく、実際には話している自分のためになることです。

Iくんの話を聞いていくうちに、体験発表をする機会を計画していくことにしました。
それが「体験発表出前サービス」というものです。
登録したのはIくんとSくんの2名です
。他にも3名が返事をしていますので、動き出せば5、6名にはなります。

Iくんが動き始めた先はいくつかのフリースペースです。
初めて顔を出してからそこになじむまでに数か月から1年かかっています。
家から初めて出るとき近くの自動販売機でジュースを買えるようになるまでに半年ぐらいかかったといいます。

動き始めるまでに時間がかかる、動こうとするときに行く先がない、どうすればそこにいる人と話ができるようになるのかの手がかりが見つからない、声をかけられると気持ちのなかでは逃げ腰になっている…人によって様子は違いますが、何かをするときその意味は何か事前によく考え、点検してからでないとできなくなっています。

Iくんは40代ですが、この傾向が明瞭になるのはだいたいが20代後半以降のことです。
それまでは多くの人は気づかないし、油断しているのではないでしょうか。
30歳近くなっていざ自分が動こうとすると意外に動けない自分がいて、自分でも驚くようになります。
しかしそれに気が付くのはまだいいほうで、気づかないまま30歳を超え、35歳を超えている人もいます。

これが困難を感じることなのですが、困難の正体は自分が動ける・動けないという以前にあります。
それは対人関係を結ぶときの手がかりのなさです。
逆にいいますと対人関係を結ぶ手がかりをつかめれば打開策、これからの方向も少し見えてくることになります。

そこで対人関係というのをごく簡単にふれます。
冗談で「家族は人ではない」といいます。
家族以外は人です。
家族は違うのです。
何が違うのかというと、家族以外の人は社会なのです。
社会の代表というか、社会の破片が自分の身近なところにいるのです。
引きこもって一人でいるときに宅配便などが届くととても丁寧な対応をする人が多いのです。
家族と他人・社会を頭の中でははっきりと分けています。

引きこもりへの対応、支援を考えるとき、引きこもっている人が家からほとんど出ない、なかには自分の部屋からもほとんどでないという場合に、まずは家族以外の人との接点をもたせようと考えるのはこの点を考えるからです。

不登校情報センターの活動分野には訪問活動をしている部門があります。
中心は中学生・高校生や中退生などです。
比較的楽というと極論な言い方で、本当は楽ではないですが、20代後半以上の引きこもり状態の人への訪問と比べると大きな差があります。

その差は人間形成が途上にあるか、自分なりの人格の形成が進んでいるかの差です。
訪問して関わろうとする立場からいいますと、十代は指導が効きますが(信頼感も有効ですが)、それ以後は指導よりも信頼感が数段の違い重要です。

対人関係づくりのところを前書きとして少し話しておきます。
先ほどのIくんは引きこもり体験発表を2回ほどしました。
参加してもらったのは皆さんと同じ親世代の人、1名か2名です。
発表は1人ですが見習いとして別に1名が参加します。
そのなかでわかってきたことです。

なぜに対人関係がつくりづらいのか。
IくんがH保健所にいって話したのは引きこもりの経験者でした。
体験を話せるところは居場所のようなところです。
他のところでは引きこもり経験者とは話せません。
他の人の例でいいますと精神障害者手帳を持っていることを話せません。

自分の状態を話せるものがないことは社会のなかでの自分のポジションがないのです。
高校を中退した、失業中という人もいます。
受験生とか求職中=仕事を探しているときの人も言えます。
これらの話せる話せないは個人差があることですが、社会的関係に入る・社会に戻る意識が前に出るときには話せるようなのです。
そういう前に向かう気持ちがあるときに対人関係をつくろうとする気持ちが芽生えます。
そういう気持ちになることが自分の状態を話せる最低限の条件です。
それを言いかえますと社会的にどこかに所属している、少なくともその気になっていることが対人関係をつくる基礎になります。

家族以外の人と接点を持つのはこの社会関係をつくる糸口の意味を持っています。
家族関係における自分から抜け出していないからです。
長男であるか末っ子であるかではなく、学生であるか家事手伝いであるかに進んでいるのか。
社会人であるか、何がしかの社会的な身分をもっているかの状態、それは社会的な所属があることによります。
社会的所属関係がないなかで、自分を支えることは難しく、そのために社会的な他者と関わることが難しくなるのです。

(2)不登校情報センタのあゆみ

次に不登校情報センターの歴史の部分に入ります
遅ればせですが、私がなぜこういう活動を始めたのかを話します。
教育書を編集する出版社で不登校に関する企画をしていました。
そうすると親からの相談が入るようになりました。
どうすれば学校に行けるのか、なぜ学校に行けないのか。
相談の中心は不登校状態の子どもをどう理解するのかということです。
それに対して私が考えたことは編集者の仕事としての対処でした。
全国にある不登校生を受け入れる学校や支援団体を見つけて出版物にしようとしたのです。

支援者という意識はなかったです。
支援の方法というのも持ち合わせていません。
そのぶん不登校とか引きこもりとは何かを理解しようとしたスタンスは強かったと思います。
それに教育書の編集をしていましたから中学校・高校の先生、大学の教育学部の先生と話をする機会は多かったのです。

ある教師ですがこういっていました。
教育の育が難しい、教師に師が難しい。
難しいけれども大事だということです。
教えることは準備ができます。
育てるのは準備がなくその瞬間に自分の全力をかけて向き合うしかない。
いきなりの実力試験です。
これを私は後になって教育的方法と考えるようになりました。
私が日常的に口にしているのは「出たとこ勝負」、もう少し砕けますと「行き当たりばったり」、そういうスタンスで目の前にいる人の様子を見、思い描いていることを引き出していこうとします。

不登校情報センターをつくったときに、編集者としていた『こみゆんと』の読者が連絡をくれました。
これは予想外のことでした。
彼らが何かを手伝ってくれるとそのなかでわかることもあると感じて会って話そうとしました。
3人いたのですが、実は会うのが大変でした。
これが計画ではなく出たとこ勝負の始まりです。

それからどうなったのか。
不登校情報センターを始めたのは1995年ですが、3年ほどしたときに「人材養成バンク」というのを始めました。
集まってきた人のなかで仕事につきたいという人がいたのでそれを手伝うつもりで始めたことです。
取り組みとしては失敗だったのですが、それを通して引きこもりからの社会参加、当時は就職といっていたと思いますが、そうたやすいことではないことがよくわかりました。
仕事に就く以前に何が必要なのか、そのときの私のレベルでわかったと思いました。

それは対人関係づくりです。
しかし、みなさんにもお分かりの人は多いと思いますが、対人関係は練習すればよいというものではありません。
練習以前に心の抵抗感があります、人に対する警戒感や不信感があります。
そして自分に対する自己否定感があります。
そういうものをある程度超えていかないと人とかかわるエネルギーは出ないし、そうする意味もわからないし、不用意に人とかかわると火傷をします。
引きこもりの人が人との接触を避けているのはある意味では正解ともいえるわけです。

いまの自分を傷つけないでいる方法として選ぶ引きこもりは有効なことがあります。
その反面で、人と関わるなかで生まれ育つものが育ちそびれる、まずい場合は人生に行きづまります。
どんなものがあるのかというと、心が育たない、自分を見つめることができるようでいて実は自分がつかめない・わからない、人間がわからないままになる、社会がわからない、社会が怖くなる、社会が醜いものに見えてくる…そういう状態に向かいます。

不登校情報センターに多くの人が出入りするなかで、当事者のいろんな関係ができました。
趣味のような集まり、派閥的なもの、あの人がいるといやだから顔を合わせないようにしている、マージャンをする数人。
大学院学生もいるしカウンセラーになろうとする人もいる。
非常に複雑に絡み合う人間関係ができました。
そういう状況の中で2002年ごろ「不登校情報センターを働ける場にしてほしい」という人が出てきました。
もう一つはパソコンを使って検索をし、画像加工を教えるグループができました。

不登校情報センターというホームページをつくる人も生まれました。
そういうパソコンを使う人たちに呼びかけて、不登校情報センターの公式のホームページをつくろうと始めたのが2003年の終わりごろです。
不登校情報センターのホームページは不登校情報センターの活動紹介をするだけではありません。
不登校・中退者を受入れる学校や引きこもりを支援する団体を紹介するページをつくります。
これが他の支援団体と少し違うところです。
このホームページづくりは完成することがないし、作業は年間を通してあるし、企画することがあるし、いろんな技術を学び教えあう機会が出てきます。

現在の状況をいえば、不登校情報センターは「働ける職場に向かっていっています」。
というといいすぎなのですが、ワークスペースといいます。
引きこもり経験者の対人関係をつくる場であり、小遣い程度の収入を得られる場に向かっています。
しかし、それが順調に行っているわけではありません。
実は作業をしても作業費の未払いがあります。
これは昨年になって収入が減ったことが関係します。
不況が影響しているのです。

現在の作業がこのペースで進めば、数人が小遣い程度の収入を得られる場に成長する見込みはあります。
私はこれを集団的な自立をめざす取り組みと考えることにしています。
どの程度まで進むのかはまだ予測できません。
参加する各人がどれくらいのペースで働けるのか、小遣い程度がどの程度なのかは見当が付きません。
その収入だけで完全に生活できるレベルになるところまでは見通せません。
その一方で、障害者として自立支援法の適応を受けている人もいます。
生活保護を受けている人もいます。
家族と同居、一人暮らしなど状況が多様なのです。

集団的な自立の基盤になるものは不登校情報センターのホームページづくりです。
これは学校・支援団体の情報提供を中心とするウェブサイト運営業を引きこもり経験者と一緒に立ち上げようとする取り組みによるものです。
昨年は不況が押し寄せてきた年ですが、反面で彼ら彼女らが自分で動き始めた年でもあります。
自分でできるといういわば営業品目を並べました。
全部が昨年から始まったわけではありませんが、中心は昨年です。
それらを並べてみるとこれまではあまり気づかなかったものも同じ仲間に入ることがわかります。
対人サービス的なことが多いのです。
集団的自立と並んで個人として自分にできることをしよう、仕事づくりの動きと呼んでいるものです。

(3)自立の過程

不登校情報センターに関わる引きこもり経験者には就職をしたい人はいます。
これからもいると思います。
その人たちも不登校情報センターは社会に出る足がかりになるように応援しますし、特に対人関係の練習と友人・知人づくりの場としては役立つと思います。

そうしながらもかなり明瞭なことは20代後半以上になり、これから就職型で社会参加をしようとする人は、私がハーフタイム就労といっていることになります。
週5日のフルタイム就労は難しいと考えられるのです。
全員とまでいうつもりはありませんが80%ぐらいの人がこれに該当します。
3つのパターンがあります。
3か月程度の間隔で就労を繰り返す型、週2-3日のフルタイム型、週5日の1日3時間労働型です。
これを超えるとしばらくすると心身の不調を訴えるようになります。

次に集団的自立型の場である不登校情報センターとサイト制作を紹介します。
不登校・引きこもり・発達障害に関係する学校や支援団体のウェブサイトを集団で、分担してつくります。
教えあいもします。
事務的な作業もありますし、経理もあります。
こういう作業をしながら対人関係の実地訓練を重ねています。
作業時間はいたってルーズです。
しかしサイトは全国から見られる対象ですからかなり正確です。
見栄えとか見やすさはいまいちですが、かなり改善されてきました。

作業の時間は個人のペースによります。
週1回から4回です。主に午後からです。
5時までにしていますが、7時まで延長できます。
ですが9時までする人もいます。
遅刻なしの早退もなしです。
何時きてもいいし何時帰ってもいいのです。
ルーズのようですが自分のペースができるとだいたいそれで定着します。

その次に創作活動もあげておきます。
これまで5回の創作展を重ねてきました。
4回までは出展者が増え続けていたのですが今年の第5回は出展者が減りました。
9名で前回参加者の半分以下です。
創作展はできるのですが創作活動を社会参加の方法にするという見込みで取り組んできた経過からすると見込みがしぼんできた感じがします。
ネットショップを立ち上げて創作活動に新しい方向を開こうとしているところです。
創作活動をする人への別の援助策がいると思いますが、その方策はわかりません。
したがって創作活動を社会参加の方法とする道はまだはっきりした見通しはありません。

次の対個人サービス型が昨年からはっきりと出てきた動きです。
はじめは「引きこもり後を考える会」をしたいという人から始まりました。
自分で仕事に就く経験を何度か重ねています。
それが続かないわけです。
しかし怠けているのではありません。
対人関係づくり、仕事上の付き合いなどでいろんな工夫をしている。
その意見を交流しあいたいと考えたのです。

交流のなかで浮上してきたことは、就職ではなくて自分なりにしていることを仕事にする動きです。
これからの自分の生活を考えて住宅問題、年金、生活保護などに関する意見も出ました。
何かをまとめてどうするというものにはなりませんが、考えているし、意見交換を必要としていました。

これらのうち、仕事づくりや対人関係づくりの工夫を発表会の形で行いました。
少しずつ形を変えて4回ほど発表会をしました。
最後のものは第5回の創作展をかねた発表会です。
ここで私なりに理解したことがあります。
これらが業態としては対個人サービス業といわれるものに気づいたことです。
カウンセラー、家庭教師、整体師などもそれに相当するものです。

これらの職種はこれまで関わった人にも思い出せる人がいますので共通します。
大組織に入り巧みな人間関係を築いていくタイプではなく、個人ペースで一人ひとりに丁寧に対応していくタイプが似合っているという印象を強めました。
もちろんそうでない人もいますから自動的にこういう職種を奨めるわけではありません。
そういう目を持っていると理解しやすいと思います。

しかしそれが出来そうだといっても個人で営業をすることは苦手です。
応援をしようとするのが不登校情報センターの役割になります。
初めに紹介して「体験発表の出前サービス」を、保健所などに紹介しようと考えています。
予行演習としてミニ発表会を2回ほど開いたのが応援のしかたです。
カラーセラピーをする人がいます。
これらが情報センターにつながる人のなかで定着しつつあるといっていいと思います。
これも支援の方法です。

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