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Interview:中学・高校時代の事典づくりを思い出す

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中学・高校生時代の事典づくりを思い出す

〔2011年11月24日〕
東京シューレ葛飾中学校で開かれた「フリースクール全国フェスティバル」見学で、忘れられないことが1つ生まれました。
東京シューレ葛飾中学校の卒業生でいまは通信制高校の1年になっている生徒の作品です。
その生徒が中学3年生のときに作ったという2つの研究発表作品(自作のパンフレット)を見ました。
テーマは「隅田川に架かる橋」と「葬送」です。
内容を詳しく話すことはできませんが、テーマの選び方(身近であり、意外と深さをもっている)、全体の構成にバランスと落ち着きを感じます。
その会場から戻ってしばらくしてから、中学3年時の私自身を超えた作品に出会った感じが徐々に沸き起こってきました。

中学生のころから、私はいろいろな事典づくりをしてきました。
事典づくりというよりは、主に地理的な関心を小さな手作りのパンフレットにしていました。
たぶんどこかにしまいこんだダンボール箱をひっくり返せば2、3冊は出てくるかもしれません。
はじめはノートだったと思いますが、1つのテーマにまとめようとしたのです。
世界の河川、世界の都市人口、世界の湖などを小さな手書きのパンフレットにまとめた遠い記憶があります。
カンボジア王国、チェコスロバキア共和国というミニパンフをつくったことも覚えています。

このテーマ設定からして彼に遅れをとっています。
彼のように身近な実感のあるところよりも、私の場合は知識をまとめるほうに傾いているからです。
仕上げはパソコンのない時代でしたからこれは手書きになるしかなかったのですが、それでも完成度の優位は譲るしかありません。
冊子の時代の次に私にはルーズリーフの時代が来ました。高校生になって以降のはずです。
冊子としてまとまれば完成するしかないのですが、完成後も新材料が集まった、それを取り入れる方法がルーズリーフ式です。
これは20歳ぐらいまで続いていました。
ルーズリーフ時代には人名事典に挑戦したことを思い出します。
B5版くらいの用紙に、1人1枚づつ書いていきます。空白は追加をしていくときのために空けたままです。
こういうのを数十枚は書いた記憶があります。

そういう自分の歴史を思い返してみて、件の彼の研究発表作品を見たとき、中学3年時の私の作品を超えていることに気づいたのです。
よく「自分と同じくらいと思うときは相手が上」といいます。「相手が上と思うときはその差は相当開いている」ともいわれています。
そう見た方がいいのです。たぶん〇〇君は相当なものだと思います。
これからの彼の成長に期待するところがあります。

30代ころに生態学者・南方熊楠の伝記を読みました。
“テンギャン”と呼ばれた彼の少年時代のエピソードをここで知りました。
私はこれまで自分の中学時代を南方熊楠との対比のなかで“平凡”を納得してきたところがあります。
熊楠は少年のころから友人のところにある百科事典を自宅に戻って書き写していたというのです。
それはいまも大量に残されていると聞いています。

そういうことを漠然と意識してきた私には、この2つの作品は、初めて自分の中学時代のこの分野での対抗者(ライバル)に出会った感じがしてきたのです。
しかも自分を超えている作品との出会いをしたわけです。
50年の時間を隔てた同世代の自分を上回るライバルとの出会いは、気楽でもあり、気分のいいものです。
この作品との出会いは私自身の少年時代を思い起こさせてくれました。
そしてその意味することも考えさせてくれました。
彼の作品を見たことは、そういう自分の発見でもありました。
いま不登校情報センターで“支援団体の情報提供”ページという事典をつくっています。
中学時代のミニパンフという事典づくりがいまの私の出発点です。

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